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三十三間堂

三十三間堂、正式名称蓮華王院。

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平清盛が後白河上皇に寄進したもの。
これは清盛の祖父で正盛、父忠盛以来続く皇室懐柔策だった。

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堂内は撮影不可。
1001体の観音像と28体の神像が安置されている。
観音像は左右それぞれに19本、体の前に2組の手を持ち、すべての手に決められた小道具を持っているが、一つ一つが精緻に作られており感心した。
正面からはあまり良く見えないのだが(手前に28体の神像が置かれているので観音像は少し遠い)、下図のように一番最後に観音像を横から見るとき、観音像の造りが良く確認できる。
大量の手は胴体・肩から自然に生えているのではなく、平面の板のようなものに放射状に取り付けられているという構造もよくわかった。

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また、この蓮華王院の歴史には続きがある。
鎌倉時代、戦国時代を経て、豊臣秀吉が天下統一を目前とした際にそのモニュメントとして大仏建造を計画した。その大仏を中心とした境内として、この蓮華王院や京都国立博物館を含む一帯が開発エリアとなったのだ。

大仏殿方弘寺の南門として築かれた塀が「太閤塀」として三十三間堂の敷地内に残されている。

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なお、この大仏はその後、地震、火災、落雷と散々な運命をたどり、昭和48年に火災で焼失。今は方弘寺内に「大仏殿跡地」を見ることができる。

更に、三十三間堂の歴史と言えば、江戸時代には、三十三間の長い軒下を射大洲通す競技「通し矢」が流行。
現在でも1月の成人の日に大的大会として新成人による競技が開催されいている。

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