自分のものさし・相手のものさし【子どもの想いに寄り添うとは?】

先日の対子どもアンガーマネジメント【なぜ人は怒るのか】の最後に、

「相手を理解し受け止めるということは、自分のものさしで相手を計らず、相手のものさしがどんな長さでどんな形をしているのか想像してみること」

という話をしました。

記事では「怒る」エネルギーを「相手を理解し、受け止める」エネルギーに変換できればという話をしましたが、実際に苛立っているときにそれができるかというといきなりは中々難しいですよね。

なので、私はいざというときのために、普段からそう考えるクセをつけるように努めています。相手を理解して受け止めるのは、冷静なときでも結構難しいので私も日々あの手この手と試して、模索中です。



自分のものさし・相手のものさし

私は、人は皆自分なりのものさしを使って世の中を測っていると考えています。そしてそのものさしの形は人によって様々で、目盛りの取り方や長さ、形も大きさも違います。顕微鏡のようなものさしで世の中を細かくみていたり、望遠鏡のように世の中を広く捉えていたり、メジャーのように伸び縮みしたりするかもしれません。


子どもも、幼いながらに自分なりのものさしを持っていて、そのものさしで世界を測っていると考えると、自分は大人として何かその子がものさしを作っていく過程で助けになれたらいいなと思っています。

そのためにはまず今その子がどんなものさしを使って世の中を測っているか知らなければなりません。


ひたすら質問して思考をフォローする

ここから私が子どものものさしをどのように知ろうとしているかについてお話ししていきます。


私は小学生の勉強を見ることが多いのですが、わからない問題や考え方があったとき、子どもは自分がなぜわからないのか、どこがわからないのか上手く説明できません。というよりなぜわからないのかわからない、何がわからないのかわからないことが多いです。自分がどんなものさしで世の中を測っているのかがわからないのです。


その状態でいくら解説をしてもその時わかったような気分になって、また次見た時に「なんだっけ?」となってしまいます。


そこで私は、何がわからなかったのか、なぜわからなかったのかを明確にするために沢山質問をします。その子がどんなものさしを使って世界を測っているのかを一緒に探っていく作業です。

例えばわからない問題があるので教えて欲しいとなった場合には、まず、

「どういう風に解いてみたの?」
と質問します。

そしてもう一度自分なりに解いてもらうと、実際にどこでつまずいたのかが見えてきます。

そしたら今度は、
「ここがわからなかったのかな?」
「これがこういう感じだったからわからなかったのかな?」と**自分の考えが合っているか確認します。 **

それでもどうかわからないこともありますので、そのときには「じゃあちょっとやってみよう」と少しずつ内容を確認しながらまた探っていきます。


その時、勢い余って解説を始めてしまうと自分のものさしの基準が入ってしまうので、その子が自分で考えていけるように思考を促す質問をします。

「これは何の形になってる?」
「この形はどんな特徴があるんだっけ?」
「これがわかったらここはどうなる?」

といった感じです。このように聞いていくとまた別のつまずきが見つかったりもします。


ここで私が大切にしていることは、相手の頭の中をこちらの想像で決めつけないで、
その子の中から出てきた話しを基にその子のものさしがどんなものか都度考えてどんどんアップデートしていくということです。想像は想像でしかなく、本当にそうかは相手に確認しないとわかりません。当然ですが、その子のものさしはその子の中にしかないのです。


こうしてその子の中のものさしの輪郭が少しはっきりしてくると、自分にとって些細なことがその子にとってはとても重要なことになることがあるということに気づきます。

私にとっては1mmのこともその子のものさしでは30cmになることもあるのです。


そうやって考えていくと、自分ではつまずきの原因にならないようなことがその子にとってはつまずきの原因となっていることがとても多いと気づきました。



「その子の想いに寄り添う」とは?

「その子の想いに寄り添う」とよく言われますが、実際どういうことなのか、このものさしの考え方を使うと少しイメージしやすくなるのではないでしょうか。


何か子どもが「問題行動」と思われることをしたとき、自分からみたら明らかに「間違っている」「正さなければならない」行動であってそ「それが当たり前」であっても、まず「なぜそうしたのか」を聞きます。


すると必ず、その子なりの理由が出てきます。
仮にその理由が全く論理的でなく、理由になっていなかったとしても、その子はそれを理由に行動していて、そこにはその子の想いがあります。その子はその子なりにがんばって自分のものさしで世界を測っているのです。


自分にとっては当たり前で1mmくらいの些細なくだらないことでも、その子にとっては30cmくらいの重要なことなのかもしれません。


その子に質問をして、その子の想いを受け止めることでその子がどんなものさしを使って世界を測っていたのか想像すること。これが「子どもの想いに寄り添う」ということなのではないでしょうか。


どんな想いでその行動をしたのかを受け止めて「そういう想いでいたんだね。」と受け止めてから始めて、「なぜそれがいけないことなのか」という理由と「私はあなたにそうして欲しくない」という自分の想いを伝える。
あなたはそうやって世の中を測っていたんだね、私はこういう測り方をしているよ、だからこう感じるよと伝えてみてはどうでしょうか。


「問題行動」でなくても、子どもって何だかよくわからない行動をとったり、自分からすると何が面白いかわからないけれどとても楽しそうにしていたりしますよね。


私はそのときにも「何が面白いの?」「どう面白いの?」と聞くようにしています。すると、「そんな風に考えてたのか〜」と自分にない発想を教えてくれるのでとても面白いです。

かと思えば、自分が正しいと思っていたことに対してサラッと確信をつかれてドキッとすることも沢山あります。
私も、無意識の内に「こうあるべき」と思い込んでいて押し付けがましくなっていたことを子どもに指摘されるまで気づかず、反省することが多いです。

相手のものさしを知ろうとすることで、自分のものさしがどんなものなのかも考えるきっかけになり、とても勉強になっています。


もしかしたら人は生まれながらにとても柔軟なスライムのようなものさしを持っていて、次第に形を決められていき、本当は決められたくなかった形もあるかもしれないけれどそんなことを考えるヒマもなく形ができてしまっている部分があるのかもしれません。


大人になった自分が「こうあるべき」と思っていることももしかしたらどこかで形を決められてしまっていただけで、ほぐせば「そうでもなかったな」とスライムのように戻れる可能性があるのかなと考えると、子どものものさしを知る作業はそのヒントにもなるような気がします。

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