対子どもアンガーマネジメント 【人はなぜ怒るのか】

子ども相手についきつく怒ってしまい自己嫌悪、という体験は教育関連の仕事をしていたり子育てをしているとかなり多くの人が経験しているのではないでしょうか。

今回は、20代の頃、私が小学校の教員として働いていたときに自分の「怒る」感情をコントロールしようと思うきっかけになった考え方と、今どのようにコントロールしようとしているか、についてお話していこうと思います。


子どもを自分の思い通りにしようとしてしまっていた

大人が子どもを「怒る」のは大人からみて「問題行動」と思うことをした時に多いのではないでしょうか。

当時の私は無意識に、子どもたちが大人から見て「問題行動」と思われるような行動をとった時には「言うことを聞いてもらう」「言うことを聞かせる」のが教員の仕事だと思っていました。「授業中に教室の外へ飛び出たら教室へ戻ってもらう・戻させる」「片付けができないなら片付けてもらう・片付けさせる」のが仕事で、それがその子のためだと思っていたのです。

しかしこの考え方は子どもに言うことを聞いてもらえなかった時に、
「なんで言うことを聞いてくれないんだ」と苛立ち、子どもを「怒る」原因になっていることに気づきました。

「言うことを聞いてほしいのに聞いてもらえない・言うことを聞かせられない=自分の思い通りにならない」ので苛立ち、自分は教員なので怒ってでも言うことを聞かせなければならない、となってきます。

しかしよく考えてみると、子どもがいい方向に進むことだけを考えるならば原因を探り直して他の対応を試せばよいだけで、自分が怒る必要は全くないのです。

そもそも怒る原因が自分の苛立ちであるならば、怒るのは自分の為の行為です。そう考えると、「教員だから」「大人だから」という大義名分の元に自分の苛立ちを子どもにぶつけてしまっていたことに気づきました。
子どものためと思って行動していたことが、無意識の内に、苛立ちを解消するための行動、つまり「子どもを自分の思い通りにするための行動」にすり替わってしまっていたのです。


今自分はなぜ苛立っているのか?

そこで私は、無意識に自分の仕事と思っていた「言うことを聞いてもらう・聞かせる」ことがそもそもただの押し付けで、今までその流れで行っていた「なぜ子どもはその行動に至ったのかについて考え、話を聞き、その気持ちを受け止めて問題の原因を解消すること」こそが自分の仕事なのではないかと考えるようになりました。

そう考えると、「問題行動」と言われていた子どもの行動について「その行動の問題は何なのか・そもそもそれは問題なのか」と考えるようになります。「問題行動」というと子どもが悪いのが前提のような印象も受けますが、必ずしも子どもが悪いわけではないと思うことも少なくないのです。

それ以来、自分がイラッとしたりムッとしたりした時には「今何か相手を自分の思い通りにしようとしていないか」と考えるようになりました。すると今のところ全ての場合において何かしらを自分の思い通りにしようとしていたことに気づき、途端に自分の行動の勝手さに気づいて苛立ちを収めることができたのです。

ここ数年では、これを子ども相手だけでなく大人と関わる時にも意識するようになってきました。すると今まで怒ることに使っていたエネルギーがどれだけ相手にも自分にも負担だったのかを実感します。

相手を理解し受け止めるというのはエネルギーも時間もかかりますし、とても難しいのでなかなか上手くいかず大変です。しかし、どうせエネルギーと時間がかかるのなら、今まで怒ることに使っていたエネルギーと時間をそちらに使えるようになれば少し生きやすくなるのではないかなと思いました。

エンパシーという言葉が最近よく聞かれるようになってきましたが、相手を理解し受け止めるということは、自分のものさしで相手を計らず、相手のものさしがどんな長さでどんな形をしているのか想像してみることなのではないかなと思っています。

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