土屋礼子ゼミ@早稲田政経

私たち土屋礼子ゼミは、ゼミとその活動内容を広く紹介することを趣旨に本アカウントを開設し…

土屋礼子ゼミ@早稲田政経

私たち土屋礼子ゼミは、ゼミとその活動内容を広く紹介することを趣旨に本アカウントを開設しました。私たちの研究成果を一般社会に還元することを目指します。詳しくはこちらをご覧ください。→http://www.waseda.jp/sem-tjournal/

マガジン

  • ゼミジャーナル2023年度

    土屋ゼミ11期生のゼミジャーナルの記事をまとめています。

  • ゼミジャーナル2022年度

    土屋ゼミ10期生が取材・執筆した記事をまとめています!

  • インタビュー調査2022年度

    土屋ゼミでは「ジャーナリスト・メディア関係者個人史聞き取り調査プロジェクト」という活動を行っています。記念すべき十回目の2022年度では、地方紙記者OBの方々にインタビューをお願いしました。地方紙記者としてどのような仕事に携わられたのか、地方紙記者として日本のジャーナリズムやメディアについてどう考えてきたのかなどを中心にお話を伺い、ライフヒストリー(個人史)として記録するプロジェクトをすすめました。 このマガジンでは、10期生が担当したインタビュー要旨を投稿していきます。

  • ゼミジャーナル2021年度

    土屋ゼミ9期生によるゼミジャーナルをまとめています。

  • インタビュー調査2021年度

    土屋ゼミでは、「ジャーナリスト・メディア関係者個人史聞き取り調査プロジェクト」という活動を行っています。九回目を迎えた2021年度は、ゼミ九期生が戦後日本の大手新聞社の社会部記者として活躍された方々にインタビューをお願いしました。そして、どのような仕事をどのようにすすめられてきたのか、また日本のジャーナリズムやメディアについてどう考えてきたかなどを中心にお話を伺い、ライフヒストリー(個人史)として記録するプロジェクトをすすめました。このマガジンでは、各インタビューの要旨を投稿していきます。

最近の記事

土屋ゼミ 2023年 北海道新聞社訪問

はじめに  福岡での西日本新聞社訪問を終えた土屋ゼミ11期生。私たちのインタビュー調査を兼ねた新聞社訪問旅行の次なる舞台は北海道!欲張りなゼミ生は北海道でやりたいこと、食べたいものをリストアップしながらわくわくと飛行機へ乗り込みます✈️ 10月12日  福岡でのホテルのチェックアウトを終えたゼミ生は、各々行動します。午前中に新千歳空港に着き、札幌市内を散策しているゼミ生から、福岡でまったりと観光してから午後に北海道内に着いたゼミ生まで様々。知らない地方でウキウキと観光す

    • 土屋ゼミ 2023年 中日新聞社訪問

       夏期休暇が終わりに差し掛かり、秋学期も目前となった10月3日、土屋ゼミ11期生は中日新聞社に赴いた。本稿では、中日新聞社見学の様子を名古屋に前乗りした筆者の記録とともに振り返る。 10月1日 18時30分:  10月3日に控える中日新聞社訪問に向けて、筆者は一足先に名古屋入り。名古屋でひとり暮らししている旧友に泊めてもらう算段だ。 19時00分:  名古屋の友人と地下鉄「今池駅」で合流。その足で中華料理「味仙」へと向かい、夕食を済ませた。どうやら名古屋名物「台湾ラーメ

      • 土屋ゼミ 2023年 西日本新聞社訪問

        はじめに  夏合宿からたったの1ヶ月で、またまた土屋ゼミ11期で福岡と北海道にインタビュー調査を兼ねた旅行に行ってきました!秋学期は始まっていましたが、私たち土屋ゼミ生は、半ば夏休みの延長気分でした。(笑)  3日のうちに、福岡と北海道に行くということで、パッキングが大の苦手な筆者は懲らしめられました。(泣)結局、始めるのも遅かったせいで終わったのは家出る30分前。 (~_~;)  とはいっても、福岡と北海道は皆さんご存知の通り、美味しいものが多い!!ここだけの話、グルメ旅

        • 土屋ゼミ 2023年 夏合宿

          前日譚  初のゼミの合宿ということで、結構わくわくしながら集合場所に向かった記憶があります。筆者はゼミの同期 3 人と共にレンタカーを利用して、軽井沢のセミナーハウスに向かいました。他のメンバーは新幹線で向かうようで、渋滞による遅延も考えつつ、新幹線組より 1 時間ほど早い出発となりました。運転手は自分を含め 2 人いたため、交代しつつの運転かと思いきや、もう 1 人の運転手の発表資料がまだ完成していないということが判明。車の中で作業するようで、首都高までは運転してもらい、

        土屋ゼミ 2023年 北海道新聞社訪問

        マガジン

        • ゼミジャーナル2023年度
          4本
        • ゼミジャーナル2022年度
          3本
        • インタビュー調査2022年度
          14本
        • ゼミジャーナル2021年度
          10本
        • インタビュー調査2021年度
          18本
        • インタビュー調査2020年度
          10本

        記事

          映像技術の世界で活躍する早大生~三宅智之氏~

          ◉取材の目的 約5万人の学生が通う早稲田大学。多種多様な人々が集い、各界の有名人も多く輩出するこの学校では、課外活動やボランティア、インターンシップなど、学業の傍ら自分の興味のある分野に力をいれる人が多い。しかし一方で、専門性高い趣味を仕事にして、特定の世界ですでに有名人として活躍するすごい早稲田生も存在する。そこで私たちは、普段のキャンパスライフからは見えない、特殊な経歴や才能を持つ早稲田生を対象に、その人の素性や学生としての生活ぶりを覗くというテーマのもと、取材活動を行

          映像技術の世界で活躍する早大生~三宅智之氏~

          誰もが"発信”できる時代 〜早大生インフルエンサーの実態〜

          ◉メディアにおける情報発信の変容  新聞、ラジオ、テレビなど様々なメディア媒体が溢れかえっている現代社会ですが、その中でも人々の日常生活に欠かせない存在になりつつあるのは「SNS」です。SNSが普及する前は、メディア関係者になるか、メディア関係者に接点を持つことでしか情報発信をする手段を得ることができませんでした。しかし、SNSの登場により、一般人にも情報発信が可能になりました。  そこで、私達は、 ⚫︎早大生ならではの観点から取材・執筆活動 ⚫︎現役早大生がどのような

          誰もが"発信”できる時代 〜早大生インフルエンサーの実態〜

          コロナ禍後の早稲田生の思いを探る

          早稲田生は各学年につき10,000人近くもおり、一括りに早大生と言っても全く異なる学生生活を送っています。そのため、授業で隣に座っている人が何をしているのか分からない、ということも多いです。特にコロナ禍では学生同士の交流も減りました。そこで今回は学年も学部も属性もバラバラな3人の学生に対してインタビューを行い、それぞれの個性を浮き彫りにすることで早稲田大学の魅力の発見を試みました。 【インタビュー@早稲田大学早稲田キャンパス3号館】 ◉3人の自己紹介 A:早稲田大学4年

          コロナ禍後の早稲田生の思いを探る

          インタビュー調査<徳永伸一氏>

           徳永伸一氏は1951年新潟県塩沢町で生まれる。中学ではスキー部と野球部、六日町高校でもスキー部に入った。1969年神奈川大学法学部法律学科に入学。英字新聞『ザ・クラリオン』のサークルに入り、マスコミを目指す。就職浪人をして必死の勉強で、『新潟日報』に1974年入社。  最初は編集局報道部で県警記者クラブに配属され、和気藹々の中で先輩に教えられつつ、習うより慣れろという育てられ方をした。次いで巻支局に異動。「巻原発だけは抜かれるな」との命令を守り、東京紙には一回も負けなかった

          インタビュー調査<徳永伸一氏>

          インタビュー調査<白川政雄氏>

           白川政雄氏は1929年に新潟市で生まれた。軍国少年として育ち、14歳で陸軍少年飛行兵学校へ入学。しかし、一度も飛行機に乗って操縦訓練をすることなく、朝鮮半島で終戦を迎え、1945年10月に復員。一ヶ月後に新潟日報社を訪ね、社員に採用される。16歳で「坊や」として原稿取りから仕事を始め、勤めながら夜間中学へ通い、七年かけて明訓高校を卒業した。その間に調査部、校閲部を経て、文化局へ移り『新潟子供新聞』の記者となった。  1952年直江津支局へ赴任し、各紙の激戦地だった糸魚川支局

          インタビュー調査<白川政雄氏>

          インタビュー調査<平野有益氏>

           平野有益氏は1950年に熊本市に生まれ、済々黌高校を卒業。熊本大学法文学部に入学し、世界共通言語であるエスペラントの普及活動に熱中した。政治に関心があり、またダイナミックな仕事ができると考え、1974年熊本日日新聞社に入社する。  初任地は八代支社。記者二人で悪戦苦闘して取材し、写真も撮り、記事も書いた。次いで本社政経部で県政を担当。1983年に東京支社に異動。熊本県知事選挙の自民党公認争いで東京の動きをリポートしながら長期連載も行った。その後熊本へ戻り農政を担当、農家の借

          インタビュー調査<平野有益氏>

          インタビュー調査<矢加部和幸氏>

           矢加部和幸氏は1948年福岡県大牟田市生まれ。小中学生時代は熊本県荒尾市で過ごした。1967年に熊本大学理学部生物学科に入学。学生運動、熊本大学新聞部、山での生物採集に勤しむ日々を送っていた。大学卒業後は熊本大学大学院に進学。卒業した1973年に地元紙の熊本日日新聞社に就職する。 入社後は地方部熊本市役所担当として新人研修に取り組み、新聞記者の基本を学んだ。1973年に大洋デパート火災の取材を経験。この事件での取材経験が「一生、新聞記者をやっていこう」という決心に繋がったと

          インタビュー調査<矢加部和幸氏>

          インタビュー調査<永田幸男氏>

           1945年新潟県加茂市で生まれた永田幸男氏は、中高を新潟で過ごしたのち、1964年早稲田大学第一法学部に進学。大学での成績に関わらず門戸を広げていた新聞社を志望し、1968年新潟日報社に入社。  最初は報道部で、司法担当としてサツ回りを経験。1969年9月からは佐渡支局へ異動。少人数で佐渡全体の取材に奔走。小さな事件や事故が大きな社会問題へ繋がることを学ぶ。次いで本社校閲部では、手書き原稿の校正に苦労した。30歳前後は経済担当として記者クラブに通い詰めた。次に上越支社に移り

          インタビュー調査<永田幸男氏>

          インタビュー調査<飯島裕一氏>

           1948年、長野県生まれの飯島裕一氏は、昆虫採集に夢中だった幼少期を過ごし、北の大地への憧れから1966年に北海道大学に入学する。海に強い関心を持ち、魚類生態学を専攻した。「ものを書きたい、表現して伝えたい」との思いからマスコミを目指したが道のりは険しく、一旦、社団法人大日本水産会に就職するが、諦めきれず再度チャレンジして、1971年12月から信濃毎日新聞社で働き始めた。  最初は報道部に配属され、サツ回りを担当。出社三ヶ月弱で「あさま山荘事件」が起き、防弾チョッキを着て取

          インタビュー調査<飯島裕一氏>

          インタビュー調査<飯田正孝氏>

           飯田正孝氏は1944年に愛媛県松山市で生まれたが、実家のあった長野県諏訪で育つ。諏訪清陵高校を卒業後、一浪して東京教育大学への入学を果たす。大学では自治会や平和活動に加わる。1968年に信濃毎日新聞社に入社。最初に配属された松本本社報道部では、サツ回りから始めて多様な経験を積む。1971年に長野本社報道部に異動。翌年起きた連合赤軍あさま山荘事件の最前線で取材にあたるが、自身の結婚式の挙式のため、現場から離脱となる。1973年に佐久支社に異動、小諸支局に脅迫状らしきものが届き

          インタビュー調査<飯田正孝氏>

          インタビュー調査<春木進氏>

           1950年、熊本生まれの春木進氏は、済々黌高校では新聞部に属し、卒業後は、上方落語への興味から大阪で暮らすことを夢見て同志社大学文学部心理学専攻に入学。卒業した1974年に熊本日日新聞社に入社する。  入社して最初は、熊本市役所にて市政全般に関する取材を担当し、記者クラブに張り付いて比較的穏やかな日々を過ごす。その後、東京支社を経て1981年頃から、教育担当記者となり、「地域の土台を揺さぶるような」衝撃的な事件に次々と出合い、そのスキャンダル性に目を奪われ、必死に実態を追っ

          インタビュー調査<春木進氏>

          インタビュー調査<高峰武氏>

           高峰武氏は1952年に熊本県玉名市で生まれる。伝統ある済々黌高校で新聞部に入り、恩師と出会う。大江健三郎の作品にはまり、早稲田大学仏文科に入学。  就職に際し、『主婦の友』などマスコミを受けたが、兄の一声を受けて1976年に熊本日日新聞社に入社。新入社員代表で挨拶した。最初に配属された校閲部では先輩の記事を読んで学んだ。1977年に社会部へ異動。県警と協力する中で特ダネ記者となる難しさを感じる一方、交通事故の検証記事で社会面のアタマを飾り、記者としての在り方を見つける。19

          インタビュー調査<高峰武氏>