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インタビュー調査<藤井通彦氏>

 1958年生まれの藤井通彦氏は、大分県の高校から早稲田大学政治経済学部を経て、1981年に西日本新聞社に入社した。寄本勝美ゼミで社会問題への意識と現場中心主義の考え方を培ったことが影響したという。
 入社後は社会部に配属され、警察担当として忙しない日々を三年間過ごした。北九州支社に異動後は司法担当となり、在日韓国朝鮮人に対する指紋押捺反対運動の取材に携わる。それが韓国問題に関心を持つ大きな転機となった。四年後、本社文化部へ異動。「暮らし」を幅広く捉えて関心が強かった国際的テーマを取材しに、フィリピンやタイ、ベトナムなどに行った。
 1990年に東京支社報道部政治担当となり、水俣病訴訟や週休二日制の改革、PKO法案における与野党の対立などを取材。経世会一強支配から、非自民連立政権に至る激動の政界と権力闘争を目の当たりにする。1996年に官邸キャップに就任。「世界的には冷戦、国内的には55年体制後で模索の時代、右往左往しましたけど、あの局面に立ち会えたというのは私自身、記者としては幸せだった」と振り返る。
 1997年から西日本新聞本社で地域報道部、文化部デスクを務め、2000年からは佐賀総局デスクとして活躍する。2002年に『釜山日報』との交換記者第一号に選ばれて現地の取材にあたり、翌年からはソウル支局長として変転する日韓問題や九州に関係あるテーマを「地方紙らしい方向性」で取材。2005年には国際部長に就任。記者交換やシンポジウム開催など日韓交流活動に尽力した。
 その後は佐賀総局長、事業局次長を経験し、2009年に経営企画委員会副委員長に就任。翌年に委員長となる。新聞離れ問題に直面し、『西日本新聞』ブランドを見つめなおした上で、時代に適応すべく試行錯誤する日々を過ごす。2012年からは論説委員長となり、「九州全体の発展をにらみ、それに対する提言」をすることを使命と考えて仕事にあたった。
 2016年からテレビ西日本に移り、取材対象や仕組みの違いはあるものの、ネット全盛の時代において将来が危うい点は同じであり、「地域の腐敗、不正の防止でそういう側面で報道が果たしてきた存在」がなくなることに警鐘を鳴らす。「メディアの一番いい時代から厳しくなる時代」激しい変化を経験してきたとメディア人としての人生を語った。

主担当:福岡