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インタビュー調査<井上能行氏>

 井上能行氏は1955年に大分県別府市で生まれた。別府鶴見丘高校を卒業、京都大学理学部に進学し地質学を専攻した。化石を研究する亀井先生の薦めにより1977年に中日新聞社に入社する。
 入社後は岐阜総局に配属された。新人研修中の取材が朝刊の社会面トップの記事となり、受賞した。その時の編集作業を見て、「編集局全体のスピードとセンスは凄い」と圧倒された。高山支局に移ると化石発掘のスクープ記事を担当。「社を超えて若い記者を育ててくれる。それが地方の良さ」として印象に残ったという。
 1987年より東京新聞の科学部にて科学記者としての道のりを歩み始め、当時の科学技術庁の記者クラブに所属した。翌年、アメリカのUCLAへ一年間留学する。現地ではジャーナリストとして地質学の学会などに出席した。帰国直後に発生したサンフランシスコ地震の緊急取材のために再度アメリカに派遣されたが、「留学のおかげでスムーズに仕事ができた」と振り返る。地質学の知識を活用し、その後の地震や噴火などの災害取材でも現場に赴いた。特に1991年に起きた雲仙岳の火砕流では、記者のためのハザードマップも作成した。
 2000年に科学部長に就任し、政治面などに比べ読まれにくかった従来の科学記事の範疇を超え、「科学面を読んで貰うためには純粋科学よりもちょっと外に広げた方がいい」との方針で、自動車エンジンの話など各部の縄張りの間に落ちてしまうものも科学面の記事にしていった。四年後に就任した硬派デスク長時代でも「面白くなければ新聞じゃない」という姿勢のもと、柔軟に欄の性格を変えた。東日本大震災後に説得して現場に戻り、福島県から連載「井上能行のふくしま便り」を始めた。
 「読者はどう思って読んでいるのかとか、どういう視点が面白いと思われるのかとかいうことを気にして書かないと、やっぱり新聞は読まれなくなるんじゃないかな」と危惧する。論説委員を勤めた際に災害関連の社説を多く書いたが、退職した現在は名古屋大学博士課程にて、「災害情報の出し方」をテーマに「新聞ではできなかったこと」を模索しつつ研究を進めている。

主担当:片桐