スポットライト

昨日、学園祭が終わった。

学園祭。去年はコロナに奪われ、今年も厳しい感染対策のもと、例年は2日のところ1日で行われた。正直、悲しいしなぜ私たちだけ...と思う。

でも!だからこそ、もっと特別でもっと大切な時間になったんじゃないかなぁとも思った。

うう、、書きたいことが多すぎる。でも、とりあえず昨日の後夜祭の話をしていきたいと思う。私は、ダンスを8年ほどやっていて、学校の外で同じようにダンスをしている友達と2人で、5分間の作品を作り、踊った。

曲選び、SNSからの振り選びから始まり、振りを覚え、一つ一つの動きを調整し、立ち位置を考え、自分が1番しっくりくる角度で踊れるまで練習。

練習期間はこの1ヶ月くらいだったけど、本当に本当に楽しかった。お互い、これまでどこでどのジャンルのダンスをしてきたのかが全然違った。踊り方、踊る上で大切にすること、何もかも違うから自分に足りないところがたくさん出てきて、それを直していく過程はすごく自分にとっても幸せなことで、刺激いっぱいで。何より楽しくて、幸せすぎて。あー、、生きてきてよかったなって大袈裟じゃなく思ったりした。

そんなこんながあり、迎えた昨日。本当に、本当に楽しかった。コロナの関係で舞台の上で踊る機会が減り、しばらくスポットライトを浴びてなかった。でも、スポットを浴びた瞬間、こんなに気持ちいいんだ、楽しいんだ、と思った。スポットライトは、圧倒的だ。なにもかもを圧倒してしまう。マスクの下で笑った。

スポットが当たる。周りが暗くなって見えなくなる。自分と相手だけの世界。どう表現するかは私たちに完全に委ねられている空間。曲が始まる前のみんなの高揚感、私たちの緊張感。ぴんと張り詰めた静寂がいきなり破れる。音が鳴りだす。私たちが踊り出す。言葉にできない感情が溢れる。

そこからはほぼ記憶が無い。踊る位置にばってんに貼られていたガムテープくらいしか記憶にない。踊ってる時はとにかく楽しかった、気持ちよかったことぐらいしか覚えていない。でも、多分それで十分だ。自分のために踊っているのだから、楽しいだけで十分理由になるはず。

そう。私たちは、他でもなく自分のために表現するんだ、と今回の後夜祭の練習、本番を通して痛いほど感じた。ダンスなんて、踊ったことのない人から見たらみんな一緒らしい。みんなかっこいい、すごいらしい。この人のダンスはこうで、こうで、とわかってくれる人は本当に1部だ。というか、ダンスに限らず、なんでもそうなのだろう。楽器だって歌だってスポーツだってなんだって。

だから、誰かに分かってもらおう、褒めてもらえるかも、と期待して踊るのは無駄で傲慢なことなのかもしれないと思った。初心者から見たらダンス1年の人も8年の人も同じように見えるなら私はなんのために踊ってるのだろう?と、この期間かなり葛藤があったけど、結局それって他人軸で自分のダンスを考えているからそうなるわけで。見せることを1番の目的にしたら後々辛くなることに気づいた。

誰かに期待せず、自分が踊りたいから踊ればいいんだと思った。だって本当にそうだから。ダンスは自分の感情に素直になるためにするもので、救われるためにするもので。私は、他人に何を言われようとダンスを辞められないはずだから。

そんなふうに、ダンス観も少し変化した、そんな1ヶ月と、昨日だった。感覚が残っているうちに、ここに書き残せてよかった。楽しかった。絶対スポットの下でまた踊る。もっと進化する。

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