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【読書】 ずっと繋がっていること。これからのこと。 ~ 私の遺言 佐藤愛子 ~

久しく読んでいなかった佐藤愛子さんの本。

娘さんとの丁々発止の楽しいやり取りのエッセイは好きでよく読んでいる時期がありました。

最近は終活のようなエッセイの広告がよく新聞に載っていました。そんな感じで気になっていたところに、本屋さんで平積みのこちらを見つけて買いました。


タイトルだけなら終活的な「あれは捨てる。これは誰それにあげる。預金通帳・・・」のような、まんま遺言書をイメージしますが、そこは佐藤さん、違います。

ある土地を買って山荘を建てたことに端を発する、約30年間の出来事の記録となっています。別にDIYなことではありません。

その土地自体にまつわる地続きの出来事と因縁が、佐藤さんに一気に襲い掛かって来ます。しかし、佐藤さんの気合と気迫、くじけそうになる度に協力と援助を惜しまない人たちとの出会いにより、何度も心を折りながらも立ち上がって立ち向かう話。


信じない方には「読んでいられない」と思うかもしれません。

確かにスピリチュアルというか因縁話が主体だと思うので。

ただ人間でも何でも、生き物は親がいて祖父祖母がいて、さらに遡っていくことが出来るように「ご先祖様」から脈々と連なって、今に至ります。

死んでしまうと肉体は滅びます。

今こうしてnoteを書いていますが、それは脳からの電気信号による指令で、手が動いて指でキーボードを打っている状態です。

「書いている」ことのそもそもは脳からの電気信号の発信ではなくて「思考」とか「想像」といった「思う気持ち」や「心」が元になって「書く」という動作に繋がっていると思います。

「脳」とか「電気」といった形のあるものでは無いので、死んでしまうと肉体は滅びますが、無念と思う「思想」や「思念」は残ってしまって、どうにかしてやろう!!とするんじゃないかと。


佐藤さんはそういった土地に残っている「思念」や「ご先祖様」のやってしまった出来事のケリを付けさせられるかのように、「その土地」に導かれていらしたように思います。


自分は子どもの頃から怖い話を怖がりつつ、耳をそばだてて、薄目を開けて見るタイプなので、ハラハラゾクゾクで読んでいました。

「相手」に何が希望か聞くことも出来ない、理屈では無い出来事に日々向き合わないといけない理不尽さ。

日和った自分だったら、とっくに逃げ出してしまうような、俗に云うポルターガイスト現象がバンバン起こり続けるし、「その土地の山荘」どころか自宅にも現象が起こり出し、体調にも異変が起こるくだりには、よく頭がおかしくならないな、、と驚くばかりでした。

「その土地に棲むもの」との対峙は佐藤さんの希望通りには・・といった展開ではありましたが、それよりも佐藤さんが「そんなものはありはしない」と怒ることも無く、あるものをあるがままに受け入れることの出来る度量は凄いと思います。受け入れざるを得ない状況であったとしても。


良い思念だったら、何も問題は無いでしょうし、むしろ前向きな気持ちになれてハッピーライフを過ごせると思います。

ところが「残留思念」とか言われるような「悪い方の思念」は、純粋な人を染めてしまう。

本の終盤はそのことについて書かれています。

特に顔付きの話については、ドキっとすることが書かれていました。

全部が全部「悪い思念」に憑りつかれたことによる悪い出来事とは思いませんが、当てはまることは多いように感じます。

健康的に生きることが難しい世の中になりつつある今は、心にとどめておくべき話が書かれていると思います。


一点だけ。。

本に出て来る「その人」を初めてテレビで見た時から、この本を読むまでは「人の不幸で生活する人」と思っていましたが、全くの真逆だったようです。

完読した後も、微妙な気持ちのままだったりします。

メディアイメージを植え付けられているのかなぁと。

「その人」の本を読んでみて考え直そうとまでは思いませんが、勝手なイメージの思い込みはいけませんね。。


それと、お墓参り、相当大切ですね。

行ってないなぁ。


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