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ワーキングホリデーという選択をした

 海外に住んだことがある人は、多いようで少ないことに社会に出てから気づいた。僕が海外に住んだのは、大学4年の頃だ。当時、長期休暇限定バックパッカーだった僕は、大学4年目に休学してイギリスでワーキングホリデーすることを選んだ。あの頃、就活は3年生の秋口にスタートし、4年生のゴールデンウィーク前に終わることが一般的だったので驚く人もいたが、特に気にはしなかった。たった9か月間しかワーキングホリデーらしいことはしなかったが、自分にとってとても大きな経験だった。近年の状況は分からないが、ワーキングホリデーについて紹介したい。

①    ワーキングホリデービザとは?
「ビザ」とは、渡航先の国に事前に申請し、審査を経て発行される「入国許可証」のことである。事前申請に基づいて発行されるため、入国目的によって「仕事用」「観光用」「勉学用」など、さまざまな種類のビザが存在する。僕が取得した「ワーキングホリデー用」のビザは、特定の目的はなく、外務省が以下の理由で制定した特別なビザだ。

【ワーキングホリデー制度とは(外務省ホームページより引用)】
各々の国・地域が,相手国・地域の青少年に対して自国・地域の文化や一般的な生活様式を理解する機会を提供するため,自国・地域において一定期間の休暇を過ごす活動とその間の滞在費を補うための就労を相互に認める制度

上記記載の通り、外務省規程の特別ビザのため、発行可能な国は限られる。また、「青少年」限定のため、30歳以下しか受給資格がない。それでも、一定期間は何をしてもかまわず、「勉強」「就労」「農業体験」など選択肢は極めて多い。
現在、イギリス向けのワーキングホリデービザは観光や休暇ではなく「短期就労」が第一義の者になったそうだ。僕は40時間/週働いていたので現行制度でも問題はなさそうだ。ただし、国によって状況は異なるため、ぜひトライしてほしい。

②    なぜワーキングホリデービザを選んだか
僕の先輩で就学ビザでイギリスに渡り、アルバイトをしていた方がいた。当時のイギリスにおいては、「就学ビザ」でも週20時間の就労は可能だったため、そのような選択をしたそうだ。話を聞くと、イタリアンのホールで働き、様々な国籍のお客さんや同僚とコミュニケーションをとっていたそうだ。

「異国で様々な人種の方と働いて、生きた英語を学ぶ」。

ありふれているが、素晴らしく魅力あふれる言葉だと思う。
僕はこの体験をしたいと思ったが、いかんせん語学学校の費用が高く悩んでいたところに、「ワーキングホリデー制度」に出会った。
「何をしてもいい」「お金がなくても働いて稼いで暮らせる」
この2ワードが効いた。
これをするしか道がないと思ったのは、出国半年前の秋だった。渡航先はイギリスに決めていた。イギリスで暮らして働いた先輩の話も大きかったが、好きなロックバンドの出身国だったことも決め手の一つだった。

③    ワーキングホリデーに旅立つ前にしたこと
日本では、「往復航空券、3か月の語学学校、1か月のホームステイ」を手配した。入国後1か月で新しい住居が見つからなければ、ロンドンで路頭に迷いかねないスリルも面白かった。
そして、英語の勉強以外にやらないといけないことを3つ決めた。

【決めたこと】
1.1か月以内に新居を探す
2.2か月以内にアルバイトを探す
3.最後の1か月は欧州を旅行して帰国する

3は完全な遊びだが、バックパッカーの自分としては移動だけでも高額な欧州を旅行できる絶好の機会を逃したくはなかった。この頃からLCCもメジャーになってきており、LCC会社が多い欧州で飛行機を活用した旅行もしてみたかった。

④    心情
入国初日に、持ってきた裁縫セットのハサミで髪を切ろうとした。新しいことを始めるのだから、髪と一緒に不安も断ち切りたかったのだろう。イギリスに渡った当初は、「ここで何かを成し遂げる・成果を出す」という気合と、「本当にできるのか」という不安を抱えていた。
結局、髪はまともに切れず、小さいハサミが壊れた。新しいことを始めるのはスリルと不安がつきものだが、肩の力は抜いていこうと思った。人は誰も結局自分らしいものになるのだから、気を張りすぎてもつらいだけだ。

ホームステイ先がカリブ人だったこと、語学学校、イギリスでのバイト探し、イギリスでの家探し、ムスリムとのハウスシェア、最後の旅行については、また書こうと思う。

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