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【昭和初期の医療事情③】国の貧相な衛生対策に一言モノ申したい

祖母が遺してくれた曽祖父の論文(昭和10年発表)の現代語訳。

第3章は、「結核」「トラホーム」「らい病」などの感染症が大流行し、早急な対策を求められているにもかかわらず、貧相すぎる国の衛生対策に苛立ちを隠せない筆者(曾祖父)。そもそも医業を個人医師の営利事業に任せ、効果のない衛生対策に税金を浪費していることが誤り。医業は公営化すべき!と主張する。

第4章は、医業を一部公営化するにあたっての全体像や組織体系を示している。患者のフリーアクセスや、貧困層に対する医療費の減免措置、国定薬価の制定など、今では当たり前のように敷かれている医療体制の姿を切々と語っていて興味深い。クライマックスは、医師会規程の診療費と鈴木氏が設立した実費診療所の「診療費」を比較するくだりだ。

第3章 衛生上の自給自足

ここに衛生上の自給自足について一言モノ申したい。
近頃は保健衛生上の施設が次々と設置されており、らい病(現在で言うハンセン病)、結核、トラホーム(急性および慢性の角結膜炎のこと)、花柳病(性病のこと)、などといった国民病は不完全ながらその予防法が制定され、現に実施されつつある。しかし、その事業は甚だ貧弱であり、実績を挙げるには、まだまだ道のりは遠い。

そればかりか我が国においては毎年発生する急性伝染病のために多額の予防費用を費やし、国民病の撲滅や、健康保全の施設のような緩慢な事業に至っては、その経費の出所はなく、まことに微々たるものに過ぎない。一昨年にはラジオ聴取料の一部寄贈を得て、結核に対する一縷の望みを得るような状況だ。

衛生上の諸経費は、市町村費・府県費・国費より支出するものだが、これらの出費は言うまでもなく国民の負担であり、国民はこの負担が浪費されていることを良く思っていない。衛生施設が常に消極的で、その出費は浪費に終わり、浪費に終わるがゆえに、その支出にまた消極的となる。そのようななか、我々は結核の撲滅を期待し、トラホームの全滅を待つのである。

我々国民は衛生関係において三重の負担を負う。一つ目は医師の養成に必要な国費の一部、二つ目は医師の懐に投じる多額の治療費、3つ目は伝染病予防やそのほかの衛生費である。

国家は衛生事業の中で最も有利な医業を個人医師の営利事業に放任しているにもかかわらず、衛生上の諸経費については国民に負担を求める。これは大変な誤りだと言わざるを得ない。ここに述べようとする医業公営はこういった不合理の制度を改革し、公営の利得をもって、伝染病、国民病の予防撲滅はもちろん、その他必要な衛生的施設に要する経費を捻出することであり、これにより衛生上の自給自足を確立しようとする意図にある。

今や結核国であり、トラホーム国であり、らい病国であるわが日本においては、今後国民の保健衛生上、幾多の喫緊事業が山積している。その経費の出所がなく、窮地に立たされた際の適当な財源として医業公営を推奨する。

第4章 医業一部公営論

医業一部公営とは、行き詰まる医療制度を改革して治療界の悪弊を除去し、医療を普及させ治療費を軽減することで庶民を救済し、衛生的国家事業に必要な経費を捻出することで保健衛生上の施設を完備しよう、とするものである。以下の要項によりこれを行うことを提言する。

医業一部公営とは、地方自治公共団体が法律をもとに医業を公営することである。地方自治公共団体の単位である市町村は、医療事務を公営する為、各一箇所に市町村医院を設置する。町村の経済状態や土地の状況、交通の便利・不便さ、人口などを考慮して、2~3村を統合して組合を作り、組合立医院としても可能である。特に人口2,000人前後の小さい町村においては組合立医院として、医師2人以上を配置すると便利である。

市町村医院には必要に応じて、医師のほか、歯科医、薬剤師、産婆、若干の看護師を置き、また伝染病舎および精神病監置室を付属する。精神病者は市町村監置を原則とし、自宅監置を希望する者に限り、これを許す。市町村長が管理者となり、主に市町村民の診療を行う。

一方、府県については府県病院を設置する。勅令(天皇などの君主が直接発する命令・法令)をもって指定する特別市は、各区に区域病院を置き、区内主要部に分院を設け一般患者の診療を行う。また市は別途、精神病院、結核療養所、同相談所、トラホーム、花柳病、治療院及び伝染病院等の特殊の治療院を運営することとする。これらの諸療養院は全て市長の管理に属し、その従業員は全て市の公務員とする。東京市のような地域は、地方とは事情が異なるので、地方制度をもって管理すべきではない。本項はその大綱を記載するが、実施にあたってはなお詳細な研究が必要となる、

以下、主に地方制度を記載する。

府県病院は知事が管理者となり、その規模は大きく、権威ある専門的臨床家が網羅的に配置され、必要な設備が全て備わった病院とする。なお大学付属病院の区分に準じた専門分科を置く。地域の状況によっては分院も設置する。

府県病院は、市町村医院より送られてきた患者や来院した患者を診療し、必要に応じ入院させる。また市町村医院を指導監督し、常に密接な連絡を保ち、その治療を援助する。重病者は必要に応じて引き受け、またいつでも往診の求めに応じる。府県病院は治療機関であると同時に医育の補助の役割も担うため、医師研究生や見学希望者にはそれを許可し一定の指導を行うほか、産婆および看護師の養成機関を置く。

受診の流れとしては、市町村住民はまず居住地市町村医院にて診療を受け、病状が良くならない場合、または手術や特別の療法を必要とする時は府県病院に連絡し、専門家の往診を要請し、または入院させる。ただし医師の選択は患者の自由意志に任せ、居住地外れのいずれの市町村医院に行っても、あるいは市町村医院を経由することなく直接府県病院にかかるのも自由である。

府県病院には結核相談所、同療養所、精神病院、トラホーム治療院、寄生虫駆除院などを付属施設として設ける。結核相談所は単に事務的に患者の相談に乗り、病状を説明し、治療の道を教えるだけでは、その効果がない。寄宿舎的な患者の宿泊施設を設けて、2~3週間の短期間ここに入所し、合理的にその治療方法を実行訓練し、同時に学術上の標本または実物をもって、結核の知識を教える実践的かつ経済的なものであることが求められる。

公営病医院は国家がその予防撲滅を期待するため、法律で規定する結核、トラホーム、花柳病、らい病の患者に対しては、実費をもって診療にあたる。公営医院の医師は診療に従事するかたわら、その自治体内において防疫上、公衆衛生上の諸勤務に服する。公営病医院には常勤医を置き、夜間の診療に従事させる。夜間診療には規定の往診料はもちろん、特別手当を支給するべきである。夜間とは日没から日の出までを指す。

政府は陸軍薬局方に倣い、治療上効果が確実である薬品を選び、公営薬局方(以下、局方)を制定し、市町村医院においては、局方で認められていない薬品の使用を禁止する。局方は治療効果のあることを主眼として、薬品名、化学的組成、生理作用、医治効用、良否の鑑別法、用量、用法、貯蔵法等を簡単に記載するべきである。

政府は現在の煩雑な治療品を統制するため、治療薬研究所を設け、誇大広告をもって雨後の筍のように発生し、医家を煩わす新薬に対しては、厳密な臨床試験を行い、効果の確実なものを選定し、局方に追加し、この使用を許可するべきである。

現在新薬として発売されている物で、その効果が不確かなものや、あるいは無効にしてインチキ薬業者の射利(手段を選ばないで、ただ利益を得ようと考えること)のため出ているものが多い。このような薬品を無制限に市町村医院に乱用させるのは、いたずらに患者を犠牲にし、医療費を増加させ、医療の確実性を減滅させてしまう。このため医療に応用させる新薬・新製剤の発売は許可制度とし、厳密な効果試験を経て、医師の煩わしいことを除去し、医療の効率増進と医療経済化を図るべきである。

また公営病医院は患者の財力に応じて治療費減免の規程を設けるべきである。従来からある施療券や半額券のような患者の自尊心を傷つけ、煩雑なる手続きを必要とするものは効果を期待できない。市町村はあらかじめ住民中、薬価の支払い困難者とこれに耐えられない者を調査し、薬価減免者帳を作成し、これをもって薬価を減免するようにする。

政府は国定薬価を制定し、全国一斉にこれを実行する。ただし地域の状況により減額を要する場合は内務大臣の許可を受ける。国定薬価はいかなる標準によるべきかは、「医師会規程」と内務大臣の許可する「実費診療所の規程」とを対照し参考にするべきである。

【割愛】※千葉県医師会規程より各診療行為の価格規程、社団法人実費診療所の価格規程をそれぞれ引用

今両者を比較するに、その甚だしい価格差が認められる。もし実費診療所の薬価が収支相償(公益法人が行う公益目的事業について、収入がその実施に要する適正な費用を超えてはならないという規定)に該当するならば、医師会規程の薬価はあまりに高額と言わざるを得ない。

鈴木氏の経営する実費診療所が、この低額な薬価をもって事業経営し、なお多少の余剰を生み出し、年々その事業を拡張しつつあることは、鈴木氏の自供で明白である。

国定薬価は、患者負担の軽減を図るとともに、収支決算において若干の余剰を生み出す程度に定めざるを得ない。両者の中間において適宜これを定めれば、必ず双方の利益になるとと確信している。

市町村医院の往診料は区内50銭~1円とし、夜間および他町村に往診する場合は増額する。府県病院の往診(医長級)は遠近を問わず3円とし、文管内国旅費規程による旅費額を加えたものをもって往診料とする。内10円は病院の収入とし、旅費額は往診車の旅費に充当する。

公営病院の経理は全て特別会計とし、他に流用することを禁じる。
国家は公営病院に対して所得税の形式により一定の国税を賦課する(仮に医療税)。府県は市町村医院に対して一定の府県税を課す(医療賦課税)。府県は経営困難な市町村医院に対し、その欠損の全額または何割かを補給する責任を担う。

市町村医院は医療上の収入をもって収入とし、医院従業員の給料、賞与、診療材料費、医療税及び付加税、区内伝染病予防、その他衛生費の支出をもって支出とする。収支決算上、余剰を生じた時はこれを積み立て、決算不足の場合は府県より一定の補給を受け、なお不足ある時は市町村税賦課の形式により住民より徴収する。

府県病院経営の収入と市町村より納入する医療賦課税とは医業公営による府県の収入にして、医院、従業員の給料、賞与、治療材料費、そのほか病院経営上の諸経費および府県衛生行政、保健衛生、伝染病予防日、経営困難な市町村医院に対する補給、国庫に納入する医療税をもって支出とする。収支決算において余剰は積立金とする。

公営病医院の職員である医師は待遇官とし、その任免や給料、旅費(往診を含む)、恩給(官吏であったものが退職または死亡した後本人またはその遺族に安定した生活を確保するために支給される金銭)、叙位、叙勲等の関係は全て現行文官に関する規定に準用する。公営病医院の監督は、府県制、市制、町村制に従って、内務大臣および府県知事が行う。

なお、府県庁には、従来の衛生行政事務と医療公営による事務とを処理監督するため、衛生部を設置する。衛生部には必要な課を設け、その事務を分掌する。内務省に医療公営局を置き、公営事務を処理監督する。もし一局では不足と感じるようならば、衛生上の諸事務を、打って一丸(すべての関係者が一つにまとまる。団結する)とする衛生省を設立する。

督学官(専門学務局または普通学務局に所属してその事務をとるとともに、学事の視察・監督を行う)および視学制度(学事に対する指導監督のための旧制度)にならい、内務省に医療監督官、府県に医療巡視を置く、二者ともに医療の実際に精通する医師にして、行政的手腕のある物を任じ、管内を巡視監督する。

医療巡視の監査事務は大略以下のようにする。
1、 医療実施の状況
2、 医療は公正かつ敏速に行われているか、
3、 不要の手術や投薬等の行為がないか、
4、 薬品材料を乱費(無駄遣い)することがないか、
5、 患者に対し不親切な態度がないか、
6、 薬価減免やその他不正な行為がないか、
7、 従業員の勤怠状況、
その他医業経営上に必要なる事項とする。

医療巡視は府県を区制を敷くこととし、各区に一名駐在する。便宜上、従来の衛生行政事務を兼務する。公営病医院の従業員に対しては、特別な服務規律及び懲罰令を設ける。

ある時、数名の町村理事者に医業全営について意見を求めたところ、皆、賛意を表した。町村としては一刻も早くこういった制度の実施を希望するが、医師が動かないのでは?との意見もあった。しかし、従来官公吏の態度はしばしば横柄にして、繁文縟礼(礼儀や規則・形式などがこまごまして煩わしいこと)に流れ、世人に不親切な者が往々にして見受けられるが、医業公営においてはこのような態度は実に庶民の迷惑であって、公営の大禁物である。ゆえに、こういった事態に留意し、厳重な服務規律および懲罰令により、不親切な者、治療に誠意を欠く者、職務怠慢な者など、公営の障害となる者は容赦なく罰して、勤務良好で、技術優秀な者は、従来の心太式(ところてんしき)によらず、抜擢するなどの方法で未然にこれを防がないといけない。
以上をもって、医業一部公営に関する大体の骨子は説述した。

次章では、その実行方法について一言申したい。

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■次回は「第5章:実行方法」「第6章 公営に従事しない医師をどうするべきか」です。

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日本公衆保健協会10周年記念応募懸賞論文(第一等)本邦医療制度論

日本公衆保健協会雑誌第11巻第1号(昭和10年1月発行)

【目次】

第1章 緒論

第2章 現代の医相

第3章 衛生上の自給自足 ☚今回はココ

第4章 医業一部公営論 ☚今回はココ

第5章 実行方法 

第6章 公営に従事しない医師をどうするべきか 

第7章 医業公営と医業国営 

第8章 医育について

第9章 結論

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