実費診療所_img

【昭和初期の医療事情②】『医は仁術なり』なんて、もはや昔日の美風

祖母が遺してくれた曽祖父の論文(昭和10年発表)の現代語訳。第2章は、患者と医師の信頼関係が崩れ、互いに疑い腹を探り合うようになってしまった状況について書いている。

第2章 現代の医相

最近の開業医の悩みは、薬の購入費を納めない患者が多いことだ。どの地域に行っても未納者が3~4割はいる。

こういった未納者には、社会の退廃に伴って増加した悪徳な人間もいるのだが、一方で生活に追われる無産者(資本主義社会における賃金労働者階級に属する人)であるがゆえに費用を支払えないような人間もいる。

医師はこの不払い者を警戒し、どうにか損害を被らずにすむよう防衛策を講じてはいるものの、いわゆる施療患者(貧しくて無料で治療を受けている患者)にかかる費用の損害は、富裕者に求めざるを得ない。その結果、医療費はますます高騰する。また、こういった状況は医療上のインチキ行為を生み出すことにもなる。つまり医師は診療する前にまず患者の支払い能力を「診」なければならないのだ。

昔日の美しい風習である「患者はいかなる事情があろうとも、薬礼(医師の診察を受けて薬を処方してもらった患者が医師に払う礼銭のこと。今日の診療報酬にあたる)は渡さなければならない」という患者道徳と、「医は仁術なり(医は人命を救う博愛の道である)として私欲にはこだわらない」とする医人の道徳や品性などといったものは、すっかり消え失せてしまい、今や患者と医師は互いに猜疑の目をもって治療行為を取引する状況にまで失墜してしまった。

公立または都会の大病院、そのほか現金を厳守できるレベルの医師には不払い者は寄り付くこともできないわけで、中規模以下の開業医には、この不払い問題が常について回ることになる。医師の応召義務(日本の医師法において医師の職にある者が診療行為を求められたときに、正当な理由が無い限りこれを拒んではならないとする法令で定められた義務のこと)の不履行や前金および現金の請求は暴利だと言う人もいるが、こういった状況に鑑みれば、医師の不払い者に対する防衛と、その損害の補償を目的とするものであって、一種の正当防衛にすぎない。

鈴木梅四郎(明治-昭和期の実業家、政治家、社会運動家。財団法人実費診療所創立者。日本の医療制度の貧弱さを目の当たりし、社会福祉の充実を主張。その一環として、医療所不足を解消するため1911年に実費診療所を東京府京橋区に設置した。その後、横浜や大阪などに設立したが、各地で医師会が反発し、対立に直面した)は、その著書『医業国営論』(昭和3年、実生活社出版部より刊行)において、新聞広告で募集した医師の不徳および暴利行為に関する多くの投書を調査し、その結果を下記の16項に分類して詳述した。今その項目をここに記載して参考としたい。

1. 薬価、診察料、交通費、入院料などの暴利に関するもの。
2. 金持ちや社会的地位の高い人を対象とした特診料に関するもの。
3. 入院患者の足留め策として行われる風紀問題に関するもの。
4. 軽症患者を重症患者のように扱い、ありもしない病気や症状をあるかのように偽って、患者を搾取する行為に関するもの。
5. 目新しくて珍しい看板もしくは誇大広告によって患者を欺く、医師の悪辣に関するもの。
6. 誤診もしくは過失致死に対する、冷淡・無責任な行為に関するもの。
7. 貧しい家の招き(往診の依頼)には応じない医師の不埒(道理に外れた様子)に関するもの。
8. 前金もしくは現金を提供しなければ、手を下さぬ医師の非道に関するもの。
9. 一旦引き受けた患者の予後(病気や治療などの医学的な経過についての見通しのこと)に対し、甚だしく無責任な医師の行為に関するもの。
10. 重症を軽傷のように偽り、余病(一つの病気に伴って起こる別の病気)を無視して、患者を死に至らしめる医師の抱え込み主義に関するもの。
11. 医師の伝染病の隠匿(届出義務の怠り)に関するもの。
12. 医師の堕胎手術に関するもの。
13. 博士の肩書を利用し、患者を欺く医師の不法行為に関するもの。
14. 職業上の特権を利用する医師のわいせつ行為に関するもの。
15. 医師でない病院従業員の貪婪な(非難されるような欲深い)行為に関するもの。
16. 博愛慈善の名による特殊大病院の不親切に関するもの。

前述した各項目を見ると、多くは医師の利欲に関するものであって、このうち「普段から行われているもの」と「たまに行われるもの」とが含まれている。確かにこれらが事実であることは否定しないが、投書者も鈴木梅四郎氏も共に医師ではない。つまり前述されているものは門外者の観察なので必ずしも肯綮(こうけい/ぴたりと要点をつく)に当たっているとは言えない。もし職業的秘密を熟知する医師自らが厳正公平の立場より現代医相を観察すれば、恐らくさらなるインチキ行為を随所に発見することができるだろう。

この種の行為のなかで特に憂うべきは結核に対する態度である。結核は合理的衛生法により自然治癒を促すのが治療の基本*(注釈参照)だが、患者が医薬万能信者であるのに乗じて、あらゆる新薬を乱用し、医師の懐は肥える一方で、患者の財産と身体はますます弱っていき、治療の好機を逸してしまう。このような事態は、「医師 対 患者」の関係にとどまらず、国家の結核対策としても大いに問題がある。

要するに、今の治療界の悪弊の多くは利欲問題に始まる。財産の無い者は医療を受けるに値しないので、医師の目をかすめて無名の施療患者(貧しいため無料で治療を受けている患者)であろうとし、医師は患者の財産を確認しなければ不測の損害を被るに至る。この医療界の行き詰まりは医業を個人の営利事業に放任してしまった結果だと言えよう。この状態を矯正するには医業を公営化し、医師の営利観念を公務観念に転向させ、貧しい者に対する施療院(無料で貧民の病気を治療するために設立された一種の慈恵病院)を充実させるのが妥当である。

社会の疾病不安を取り除くために、内務省社会局は膨大なる国民健康保険制度を企画すると言う。もちろんその案は可能だが、根源となる医療制度改革とあわせて行って初めて効果を上げ得るものだ。そうでなければ無駄に医師の懐を肥やして終わることになろう。

*注釈:当時の結核治療について

結核の治療は、ストレプトマイシンをはじめとした抗結核薬が開発されるようになるまでは、自然治癒力を助長し、それを妨害するものを防ぐという原則に基づき大気、安静、栄養療法が主な柱となっていた。なお、大気療法は文字通り、戸外の新鮮な空気を吸わせて治療する方法で、19世紀後半から欧米で広まり、日本でも全面的に取り入れられた。

※写真は鈴木梅四郎の設立した財団法人実費診療所。

----------------------------

■次回は寄り道して当時の患者事情が書かれた小説を紹介します。

-----------------------------

日本公衆保健協会10周年記念応募懸賞論文(第一等)本邦医療制度論

日本公衆保健協会雑誌第11巻第1号(昭和10年1月発行)

【目次】

第1章 緒論

第2章 現代の医相 ☚今回はココ

第3章 衛生上の自給自足 

第4章 医業一部公営論 

第5章 実行方法 

第6章 公営に従事しない医師をどうするべきか 

第7章 医業公営と医業国営 

第8章 医育について

第9章 結論

-----------------------------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?