【昭和初期の医療事情⑤】大学昇格熱が大流行、学生はこぞって感染
祖母が遺してくれた曽祖父の論文(昭和10年発表)の現代語訳。
第8章は、知育に偏った教育を行ってきたがために学者ばかりが輩出され、実践的な医師が少なくなった現状に苦言を呈している。「学者だけが社会の重要人物ではない。社会は学者の充実より良医の充実を望んでいる」と訴え、世の中のニーズに応え得る医育カリキュラム案を挙げている。
第8章 医育について
現在の医育は未製品教育である。さらに精製を加えなければ実用には適さない。学校を卒業して2~3年間の実地(訓練)を習得しなければ、独立開業はできない。かつて「大学昇格熱」が流行した時、専門学校の学生は学士号に憧れ、こぞってこれに感染し、政府当局は無定見(むていけん/その場その場で意見が変わるなど自分の一貫して定まった見識を欠いていること)にも、医育統一の名のもとに皆大学に昇格した。
これを機にますます、知育万能の教育が盛んになり、おかげで医学は長足(物事が非常に早く進むこと)の進歩をなし、学者を輩出するペースはこれまでになく、毎年十数人の医学博士を輩出して、世の人を驚かせた。翻って治療界を見ると、世で「良医」と呼ばれる者は大変稀である。
このような辻褄の合わない結果をもたらしたのはなぜか。従来の医育は知育に偏重して、教育の実際化を忘却していた。学者養成を急いだので、人格陶冶(育成のこと)が実用に適さない。画一教育に囚われて、個人の天稟(うまれつきの性質・才能のこと)を無視してしまった。教育の本旨は、人格陶冶と学術の練磨にある。学者だけが社会の重要人物ではない。社会は学者の充実より、良医の充実を望んでいる。疾病の病理を聞くことより、現在苦悩している病苦を取り除くことを要求する。しかし従来の医育は、この社会の要求に反して、無用な学者の養成に専念してしまった。医育は頭のみ重く手足の動かない役立たずを養成してきた。
当局はこの欠陥を是正するため、「医育の内容を根本的に改革する」か、さもなければ「学校卒業者に一斉に国家試験を課して、その技術を検定した後に開業資格を与える」か、のいずれかを選ぶべきだ。私はむしろ前者を取り、その改革について少し意見を述べたい。
1. 実務家を養成する医育機関として、現在の大学専門学校を、予科一年、本科五年の高等医学校とし、別に篤学者(とくがくしゃ/熱心に学問に励む人)の為に、4~5の大学を残し、その組織は全く改め、学問を好む者に解放する。主に高等医学校を卒業して、さらに進んで学術の奥義を極めようとするものを集め、医学の最高研究機関として、教育機関と研究機関とを区別する。このようにすれば、真の学者は養成するのを待たず自然に育つ。
2. 学生の講義、実習、試験採点においては、画一的な詰込み主義を排除し、在校中すでに個人の天賦に応じて、希望する主要学科を選択させ、関係の薄い科目は省略するか、概念の習得にとどめ、主要学科の習得に全力を傾けることのできる余裕を生み出す。このため高等医学校では、予科二年の基礎医学を修了した後は、学生を2つの班に分ける。すなわち将来、手術的療法をメインとする外科、耳鼻科、産婦人科、泌尿科、眼科を志望する学生を「手術班(外科班)」、薬物的理化学的療法をメインとする、内科、小児科、脳神経、精神病科などを志望する学生を「非手術班(内科班)」とし、各別に医療材料を揃え、技術を練習する。ただし二者で共通する点は適宜良い具合に協調して習得をする。このようにして内容を改正し、在学中、専門的に十分な学問と、技術の練習を積み、卒業と同時に既製品として社会に供給する必要がある。
そのほか、医師のような日進月歩の学術を職業とする実務家には補習教育機関を設ける必要がある。従来はその機関に乏しく、これを行うキャパシティの不足感があったが、この際、各学校の付属病院、府県病院及び官公立病院は、医師補習機関として開放し毎年講習会を開くか、研究生制度を設け、いつでも希望者が来れば迎え入れ学術の補習を行う。またこれを機に、治療上無意味な称号は全廃し、学位の授与に慎重になるべく、この乱用を禁じ、医師はただ医師というだけで、十分信頼するに足る権威ある者とするべきだと考える。
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■次回は「第9章 結論」です。
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日本公衆保健協会10周年記念応募懸賞論文(第一等)本邦医療制度論
日本公衆保健協会雑誌第11巻第1号(昭和10年1月発行)
【目次】
第8章 医育について ☚今回はココ
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