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京都には、いつだって祇園辻利とよーじやがあった。

10代の頃、京都を訪れると必ず寄っていたのが「祇園辻利」と「よーじや」。

中学3年生で初めて友達と訪れて以来、京都は憧れの街になった。

でも10代が自由に使えるお金なんて限られている。神社やお寺は何軒でも回ることができたけれど、川床料亭、豆腐懐石の店、祇園の割烹なんて、とてもじゃないけど敷居をまたげない。

そんな私達にも優しくて、皆が大好きだったのが、この2つのお店だった。

抹茶スイーツの代表格「祇園辻利」

祇園辻利の2階にある喫茶店「茶寮都路里」で、初めて抹茶パフェを口にしたとき、間違いなく、人生最高に美味しいパフェだと思った。

東京で食べる抹茶のお菓子とは何かが違う。その理由は明白。抹茶の味だ。もっともっと濃厚で深く、ちゃんとほろ苦さもある。お茶の専門店にしか出せない味だった。

祇園辻利は、160年以上の歴史を持つ宇治茶専門店「京都宇治総本家 辻利」から暖簾分けされたお店で、1948年に祇園に店を構えた。

祇園辻利の展開する甘味処が「茶寮都路里」。始めたきっかけは、若い人のお茶離れ。当時「清涼飲料水やコーヒーにはお金を払うけれど、日本茶にはお金を払いたくない」という風潮が広がり、お茶の販売が激減したという。

そこで5代目が、もっと身近にお茶をおいしく楽しんでもらう目的で始めたのだとか。

茶道とは別に、気軽にお茶を飲んでもらうにはどうすればいいか。お茶の飲み方を広めるために1978年につくったのが、喫茶店のようにお茶を楽しむことができる「茶寮都路里」です。しかし、単に日本茶を提供するだけでは人は来ません。甘いものなら老若男女に受けるのではないかと考え、アイスクリームに抹茶を入れて、それがパフェに発展したそうです。

引用:Agenda note 関西発・地方創生とマーケティング#16「なぜ祇園辻利は、お客さまから長く愛され続けるのか」

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写真:photoACより

一番人気の特選都路里パフェ。抹茶ゼリー、抹茶カステラ、抹茶ホイップ、抹茶アイス、と抹茶づくし。そこに白玉や栗の甘露煮、茹でた小豆がアクセントのように散りばめられていて。パフェグラスが宝石箱のようにキラキラ輝いている。

これだけのものが1,000円ちょっとで頂けるのだから、10代にとってはありがたいことこの上ない。本当にお世話になりました。

「よーじや」がもたらしてくれた貴重な経験

よーじやでのお目当ては、もちろん「あぶらとり紙」。

高校時代、クラスメイトのお土産にすると100%喜ばれた。吸収力の高さがダントツで、皮脂に悩まされる10代の頃、重宝している子は多かった。

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写真:よーじやホームページより

よーじやの創業は明治37年に遡る。大正初期に歯ブラシ(当時は楊枝〈ようじ〉と呼ばれていた)の商いに力を入れたことから、「ようじ屋さん」という愛称がつき、これを店名にしたのだとか。1920年代に販売を開始した「あぶらとり紙」がたちまち評判になり、看板商品となったのだそう。

このあぶらとり紙を使うと、ちょっぴり豊かな気持ちになれたのも素敵な思い出。表面に鮮やかにプリントされた京美人のせいか。いかにも丁寧な作りの少し大判で厚みのある和紙のせいか。

上質なものに、なかなか手の届かない10代で、よーじやのあぶらとり紙に巡り合えたことは幸運だった。丁寧に作られたものを使うと気持ちが満たされるという素敵な経験をさせてもらえた。

お店を訪れると、紅色鮮やかな美しい品々がていねいに並べられていて。10代の私は、胸を高鳴らせながら、飽きることなく眺めていた。

紅を「塗る」のではなく、昔ながらの「筆で紅をさす」という所作に「よーじや」は惹かれます。なぜならそこには、美しさのために手間をかける、ていねいな気持ちのあり方が感じられるから。そして、その様がとても女性らしく、長い歴史の中で育てられ磨かれてきた京化粧の心を表していると思えるからです。

引用:よーじやホームページより

参考:

・祇園辻利ホームページ「私たちの歴史

・よーじやホームページ「よーじやの歴史

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