【歴史概要68】ノヴゴロド公国・キエフ公国・カルマル同盟
①ロシアではノルマン人をヴァリャーグと呼ぶ。ルスやルーシと呼ぶこともある。これがロシアの語源という説がある。
②9世紀ごろの東スラブ地域は部族間が対立し混乱していた。これを収拾するために西方のヴァリャーグ人に遣いをして首長であるリューリックを呼び寄せたという説がある。ここにノヴゴロド公国が成立した。
③ノヴゴロドはバルト海と地中海を結ぶ交通の要衝であった。リューリックを継いだオレーグが南方のキエフにまで領土を拡大した。そこを中心に樹立されたのがキエフ公国である。ロシア国家の原点である。
④10世紀の中頃のイーゴリの時代にはビザンツ帝国としばしば戦った。ノルマン人は次第にスラブに同化していった。
⑤キエフ公国の10世紀から11世紀に出たのがウラディミル1世であった。この時代にビザンツ帝国との関係は友好的となりロシアでギリシア正教会が受容された。
⑥ノルマン人の故郷のユトランド半島、スカンジナビア半島では
キリスト教を受けて国家体制を形成していった。
⑦しかし国王と貴族、聖職者同士の争いは頻発し、神聖ローマ帝国の圧迫やフィン族がフィンランドに侵入するといった情勢のために不安定であった。
⑧フィンランドはスウェーデンが併合してカトリック化が進んだ。しかしロシアの圧迫もありハンザ同盟の商人たちがバルト海で活躍したので経済活動で主導権は握る事はできなかった。
⑨14世紀にデンマークの王女マルグレーテはノルウェーに嫁いでいた。父親のデンマーク国王と夫であるノルウェー国王が相次いで亡くなった。そのため両国の実権を握った。
⑪スウェーデンの貴族たちに招かれたマルグレーテは1397年にデンマーク・スウェーデン国境地帯のカルマルで三国の貴族たちと会盟した。こうしてマルグレーテは共通の国王となり三国の同君連合が成立した。
⑫これがカルマル同盟である。必ずしも友好・協調関係が維持されたわけではなかったが16世紀初頭、スウェーデンが独立するまで同盟は維持された。
⑬ノルマン人たちの諸活躍は中世のイングランドとフランスの政争、中世シチリア王国の政争、東スラヴ社会形成、北欧3国の団結などさまざまな領域において影響を与えた。
■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社
学習教材(数百円)に使います。