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【歴史19】エジプト史備忘録35(モンゴル到来・モンケ・フラグ・アッバース朝滅亡・バイバルス・イルハン国)

エジプト史の学習内容を深めていきます。

①1206年にチンギスハンがモンゴル高原を統一した。
中国東北部や中央アジアに軍を進めて勢力を拡大していった。

②モンゴル帝国が西アジア侵攻を始めたのは4代目皇帝モンケ治世下からである。1254年にモンケの弟であるフラグを大将として中央アジアからイラン高原を制圧した。

③フラグは軍を西へ進めた。1258年にバグダードを征服して破壊した。カリフを倒してアッバース朝は滅亡した。

全イスラーム世界のリーダーとして君臨してきたアッバース朝の滅亡は衝撃的だった。

④イラクやシリア、アナトリアの地方政権はフラグの軍門に降った。1260年1月にはシリア北部の要衝アレッポが征服された。シリア南部を経てエジプト侵攻を伺った。

⑤エジプトではアイバクのマムルークであったクトゥズがスルタンとなっていた。

クトゥズはモンゴル軍を討伐するためにシリアに向かった。

⑥モンゴル皇帝モンケは1259年に亡くなった。

その後継者選出のためにフラフが軍の大部分を率いて東に引き返した。シリアに残ったモンゴル軍はダマスカスを征服して各地を荒らしたが数は減っていた。

⑦1260年9月3日にガリラヤ湖近くのアイン・ジャールートでエジプト軍はモンゴル軍を撃退した。モンゴル軍はシリアからいなくなった。エジプトのマムルークたちは聖戦の戦士となった。

⑧エジプトへ戻る途上でクトゥズはライバルのマムルーク将軍であるバイバルスに暗殺された。バイバルスはスルタンとなった。

⑨フラグはモンケの後継者をめぐるモンゴル帝国の内争から距離を置いて征服したイランで自立をした。これがイル・ハン国である。引き続きシリア・エジプトを狙っていた。十字軍と結んでマムルーク朝を倒そうとした。

⑩バイバルスは東ではイル・ハン国軍の侵攻を撃退して西では十字軍国家の領土を征服していった。またアッバース朝カリフの末裔をカイロに呼び新カリフとした。

⑪マムルーク朝の領土に加わったシリアの統治体制を固めていった。バイバルスは1277年にアナトリアでイル・ハン国軍を撃退した。シリアに戻ってバイバルスは急死した。

⑫バイバルスがベースを形成したマムルーク朝はここから240年に
わたってイスラーム世界の要となっていった。

■参考文献
『1冊でわかるエジプト史』 山崎世理愛 五十嵐大介 河出書房新社

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