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【歴史概要21】第5回十字軍・第6回十字軍・第7回十字軍

①1221年にハンガリー王やエルサレム王などによって十字軍が行われたときはイスラーム拠点となったエジプトを目標にしてダミエッタを攻撃したが失敗した。

この十字軍は回数に含まれていない。

②神聖ローマ皇帝でシチリア王のフリードリッヒ2世は教皇から第5回十字軍遠征を頼まれたが軍を進めなかった。ゆえに教皇から破門の脅しを受けていた。1025年にエルサレム王の娘と結婚し、エルサレム王の位を得た。

③1027年に軍を進めたが、疾病の流行で帰還した。そうして新教皇から破門されてしまった。1028年に破門状態で十字軍をはじめてアイユーブ朝のスルターンのアル・カーミルと友好的な話し合いの結果、期限付きでエルサレムの返還を実現させた。

④一時は返還されたエルサレムが1248年にアイユーブ朝によって奪還された事をきっかけとして第6回十字軍派遣の声があがった。ただ第3回十字軍を引き起こした1187年の時のような衝撃はなかった。フリードリヒ2世は教皇と戦っており、イングランド王は内乱のため余裕がなかった。

⑤1248年に敬虔なキリスト教徒だったフランス王ルイ9世が軍を進めた。エジプトへの攻撃が決定したが、ナイル氾濫やイスラーム側の反撃で全軍が捕虜となり失敗に終わった。

⑥エジプトでクーデターが起きてアイユーブ朝は滅亡しマムルーク朝が成立した。この混乱を用いてルイ9世は釈放されアッコンに移りそこで領地拡大を目指したがここでもそれは失敗した。1254年に帰国した。

⑦シリア地方でのマムルーク朝による勢力拡大の報せを受けてルイ9世は1270年に第7回目の十字軍を形成した。補給基地建設のためチュニジアに軍を進めたが、体調を崩していたルイ9世はここで亡くなった。これにて十字軍は終焉した。

⑧1271年にはルイ9世の弟のシャルル・ダンジューとイングランド王太子エドワード(エドワード1世)がアッコンに向かったが何の成果もなく帰国した。1291年には最後の拠点アッコンが陥落して西欧の拠点はすべてなくなった。

⑨ヨーロッパ封建社会が分権体制であり強力な指導力が確立できなかった事が十字軍が失敗に終わった理由と云われている。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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