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【歴史概要85】エジプト・メソポタミア・シュメール・アッカド・古バビロニア・ヒッタイト

①古代四大文明のなかでエジプトとメソポタミアは
大河の洪水が要となる。

②メソポタミアにはティグリスやユーフラテス、エジプトにはナイルという巨大河川が流れている。灌漑施設の整備により農業は可能になった。

③メソポタミアには周辺の遊牧民が侵入してきた。そして国家の滅亡が続いていく。最初の文明を築いたシュメール人の文字は継承されその楔形文字は2500年以上も使用された。

④BC6世紀に始まったアケメネス朝ペルシア帝国のダリウス1世が残したベヒスタン碑文はそこに同時に記されたエラム語やバビロニア語とともに楔形文字の解読に寄与している。

⑤エジプトは天然の要害が多くメソポタミアとは違い異民族の侵入が少なかった。エジプト人の王朝が長期にわたり維持された。BC27世紀ごろから古王国時代にピラミッドが建設された。

⑥5000年前、現代のイラクがあるメソポタミア地域にはシュメール人によって多くの都市国家が建設された。これらの都市国家間では食料や領土をめぐって度々戦争が起こった。また遊牧民族の侵入が脅威であった。

⑦BC2300年ごろにアッカド王国が建設された。建設者サルゴンの名前はこの地域で語り伝えられている。サルゴンの孫であるナラム・シンの時代、北西ではシリア方面、南東ではイランのエラム地方にまで領土拡大をした。

⑧この中央集権的な支配に多くの都市国家は反抗した。都市国家の範疇を越えた統一国家の台頭はオリエント文化に新事態をもたらした。そしてアッカド語が国際語となった。古バビロニアやアッシリアなどの言葉はこのアッカド語が派生したものである。

⑨アッカド王国の滅亡後はシュメール人が一時的に復活した。
そして古バビロニア王国が台頭してきた。

⑩BC18世紀初頭に第6代の王ハムラビの時代にメソポタミアからシリアにかけて大領域国家を建設した。「目には目を、歯には歯を」で知られるハムラビ法典の作成は対立の調停に用いられた。

⑪古バビロニアは小アジア(トルコ)から強大化したヒッタイトによって弱体化していった。その土地の北部からシリアにはミタンニが成立し、南部にはカッシートが成立した。

⑫ヒッタイトはミタンニと戦って鉄製武器の使用で知られるヒッタイトが優勢となっていく。そしてシリア地方に進出していく。同時期に南方からエジプトが拡大していく。

⑬これがメギドの戦いやカディシュの戦いに繋がっていく。エジプトやヒッタイトにとってBC1200年ごろの海の民のオリエント世界席巻が試練となった。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』関 眞興 日本経済新聞出版社

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