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【歴史概要58】アメリカ合衆国憲法・米英戦争

①新政府の役割を果たしていたのは戦争中の1777年に各州が批准した連合規約によって作られた連合議会であった。

しかし権限が弱く軍隊も徴税権もなく中央政府として役割を果たしていなかった。

②1787年にフィラデルフィアで憲法制定会議が開催された。連邦派(フェデラリスト)=集権派のハミルトンと反連邦派(リパブリカン)=分権派のマディソンが対立した。

③課税権や常備軍を持ち、戦線や条約締結などの外交権を行使可能な強力な中央政府を規定した合衆国憲法が成立した。

三権分立も具体化された。立法府になる連邦議会は下院と上院の二院制となった。

④行政府は間接選挙で選ばれる大統領と補佐官たちで構成される。司法府は最高裁判所とその下の連邦裁判所からなっている。裁判所は違憲審査権を持ち法律をチェックする。合衆国憲法は主に政治機構を規定した。

⑤信条や言論の自由などの基本的人権に関する条項がなかったのでこれらが修正条項として10条にまとめられ権利の章典として付加された。南北戦争後の1865年には第13条の奴隷制度の廃止もここに加わった。

⑥1789年に初代大統領にG・ワシントンが選ばれた。最初の外交で課題となったのがフランス革命とナポレオン戦争であった。ワシントンは基本的に中立的な立場であったが対仏大同盟に際してイギリス寄りの姿勢をとって世論の批判を浴びた。ワシントンはアメリカ建国の父として有名である。

⑦ナポレオン戦争でナポレオンは大陸封鎖令を出した。イギリスはこれに対して逆封鎖を行ったがアメリカは中立の立場でフランスとの友好関係を示した。

⑧アメリカ船をイギリスが拿捕しその時捕まったアメリカ人が戦線に送られていた。このためアメリカとイギリス関係は悪化した。1812年には開戦となった。

⑨独立後から険悪な関係は始まっていたが、対仏大同盟が結成された1793年以降も対立があったが1794年のジェイ条約でイギリスが譲歩し決着していた。

⑩米英戦争では相互に先住民インディアンの土地をめぐって争っていた。インディアンは土地を守るために戦っていたが、アメリカ人は背後にイギリスがいるとインディアンを攻撃した。こうしてインディアンはイギリスと手を組む事になった。

⑪後に大統領となるジャクソンはインディアンに残虐な行為をした。クリーク族は1000人の内800人が殺されたと云われている。当時のアメリカはこのような人物が英雄になる社会であった。

⑫米英戦争のきっかけとなったナポレオンが失脚した事で平和条約が結ばれ戦争は終結した。

⑬米英戦争の間にイギリスとの貿易関係が遮断されたのでイギリスからの物資がなくなった。そしてアメリカ国内でそれが生産されるようになった。これがアメリカの工業化のきっかけとなりアメリカ産業革命に連なっていく。

⑭この戦争はかつての同国人であるイギリスと戦うことで自分たちはアメリカ人であるという意識に繋がった。

アメリカナショナリズムのきっかけでもあった。米英戦争は第2の独立戦争と云える。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 下』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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