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【歴史概要77】ローマ建国と統一

①ローマ建国の伝説はBC753年に遡る。トロイの陥落にトロイの貴族であるアエネイスの子孫であるロムルスとレムスの双子の兄弟が対立し勝利したロムルスがローマを建国した。

②都市国家(キヴィタス)のローマはBC509年にエトルリア人の支配から独立し王政から共和政とした。

③ローマには貴族(パトリキ)と平民(プレブス)という身分があったが政治は貴族が行って最高議決機関は貴族の中の長老から構成される元老院であった。

④軍事と政治の最高司令官はコンスル(執政官)がいた。独裁化を防ぐために任期は1年で2人が任にあたった。最高司令官が2人いることで権力独裁を防いでいた。

⑤戦争などの緊急事態ではディクタトル(独裁官)が置かれた。これは1人であったが任期は半年であった。他には法務官や戸口調査官などの官職がコンスル(執政官)を補佐していた。

⑥ローマの多数派は平民であったがローマの市民軍団の中核でもあった。貴族と平民の間には差別があり平民は貴族の政治権力独占に抵抗した。そしてBC494年の聖山事件が勃発した。平民は貴族への協力を拒否して聖山に籠った。

⑦結果として元老院の議決に拒否権を持つ護民官と彼を議長にした平民会が設置された。この拒否権は戦時しか行使できなかったのであまり使えなかった。

⑧BC451年にはローマ初の成文法、十二表法が作られた。この法律ではまだ貴族と平民の結婚は禁止されていた。BC367年のリキニウス法では公有地の専有面積を制限しコンスルの1人は平民から出せるようになった。

⑨BC287年のホルテンシウス法では平民会の決定が元老院の承認は得なくてもローマの国法になるという事態に進展した。元老院と平民会の2つの立法府ができた事になる。

⑩独立をしたローマの最初の敵は独立以前に支配を受けていたエトルリア人であった。その中心であったウェイイとの戦いはBC4世紀の初頭にローマの勝利で終わった。

⑪次に北方のガリア人が襲撃してきた。BC390年ごろにローマは占領された。無残な略奪を受けた。ガリア人は戦利品を得てローマから撤退した。回復したローマ人はBC4世紀の半ばには周辺のラテン人を制圧した。

⑫南方のサムニウム人との戦いにも勝利した。有名な軍道やアッピア街道はこの戦争中に建設されたものだ。さらにイタリア半島南部にはギリシア人の植民市が存在していたがこれとも戦った。

⑬BC282年にタレントゥムの戦いに勝利して半島の統一を実現した。ローマは集権的な覇権主義はせずに分割統治をした。征服した都市国家と同盟を結びローマ人と同等に市民権を与えた。都市がそれぞれ同盟する事を禁じた。

⑭ローマの有力者の中には公有地を私的に拡大していく者がでてきた。高い役職を歴任しながら元老院の中で重要な役割を果たした。そして新貴族であるノビレスといわれる支配勢力を形成していった。

⑮平民の中に巨大な富によって騎士身分(エクイテス)が与えられる者が出てきた。共和政の後半からは元老院議員を出していない富裕階級を示すようになった。

⑯騎士身分(エクイテス)は私有地化した土地で奴隷を使った大土地経営(ラティフンディア)を作ったり徴税請負人として活躍して富を蓄積していった。

⑰この流れでポエニ戦争が始まり、ローマは地中海に進出していく事になる。ポエニ戦争が終わるころには共和政の伝統は揺らいでいく事になる。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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