【歴史概要97】クレタ・ミケーネ・トロイ・アケメネス朝ペルシャ
①BC3000年ごろに青銅器文明を持った人々が小アジアから
クレタ島に移住していくつかの都市を建設した。
②BC2000年ごろになりクノッソスがクレタ島を統一した。地中海の各地と交易を行い繁栄した。これがクレタ文明(ミノア文明)といわれている。この文明には線文字A呼ばれる文字が使われていた。未だ解読されていない。
③BC2000年ごろからギリシア人がバルカン半島に南下してきた。一派のアカイア人はバルカン半島のミケーネなどに城砦で囲まれた拠点をつくった。クレタ島に行きクレタ文明を学び線文字Bを作った。この文明がミケーネ文明だ。
④ミケーネ文明は北方的・閉鎖的要素が強く奴隷や農民を隷属させるといった専制的支配を行っていた様子がある。
⑤ミケーネ文明の人々はエーゲ海にも進出しトロイとも交渉している。トロイは小アジア半島の北西部にありBC3000年頃からエーゲ海貿易で栄えた。BC13世紀ごろにミケーネはトロイを攻撃した。トロイ戦争の原型とも云える。
⑥BC1200年頃になるとミケーネ文明も衰退していった。この頃バルカン半島で起きたのがギリシア人の第2次南下である。今回はドーリア人が中心となった。ここから約500年はエーゲ海地域は混乱期であった。新時代はBC8世紀頃からである。
⑦現代でも使われているギリシア文字はこの文明圏の人々がフェニキア人との交流のなかで学んだフェニキア文字をもとに作ったものだ。フェニキア文字はエジプト文字に由来するシナイ文字を改良したものだ。ギリシア文字は西方のローマに伝わってラテン(ローマ)文字となる。
⑧イランはアーリア人の国を意味している。ペルシアとはアケメネス朝発端地イラン南部のファールス地方がペルシアと一般化し西方に伝わったものだ。
⑨アーリア人はインド・ヨーロッパ語族を誇示するプロパガンダに使われた。現在この学説は否定されている。
インド人やイラン人、パシュトゥン人の祖先を示す使い方もある。「インド侵入した外来民族」という意味や「イランの国風」的な使い方が一般的である。
⑩BC6世紀にアケメネス朝ペルシア帝国は建国された。
キュロスが開祖であり3代目ダレイオス1世(ダリウス)、クセルクセスと続いていく。ダレイオス1世(ダリウス)の時代に強大な中央集権国家を樹立した。
⑪アケメネス朝ペルシアが小アジアの南西部にあるイオニア地方のギリシア人に圧力をかけ始めた。これがギリシアの歴史は変遷するきっかけとなった。
■参考文献
『30の戦いからよむ日本史 上』 関 真興 日本経済新聞出版社
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