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【日本史8】平安史備忘録50(福原京遷都・大衆芸能文化・田楽・散楽・白拍子・今様・鳥獣人物戯画・琵琶法師)

平安時代の学習を深めていきます。

本日の学習は、

①以仁王の挙兵を鎮めた後に安徳天皇、後白河法皇、高倉上皇をともなって自身の本拠地である福原遷都を強行した。

皇位継承の儀式に使われる三種の神器(草薙剣、八咫鏡、八尺瓊勾玉)も福原に運ばれた。

②平安京に存在した平家の敵対勢力を避ける説や防衛しやすく海洋国家を目指したという説、平家の血を引く安徳天皇を即位させた後に平家の都を確立させたかった説などがある。

③福原京の正確な位置は不明だが兵庫区の北部を中心に隣接する中央区、北区などにまたがる範囲と推測されている。平家の者でさえ野宿同様の有様で状況は芳しくなかった。

④大半の貴族は福原京の遷都に抵抗して後継者の宗盛をはじめ平家一門から不満が続出した。全国各地で平家に多雨する反乱が続発し清盛は新しい都づくりに取り組めなくなった。

⑤福原京は未完成のまま放置され約半年で都は平安京に戻された。こうして威信は下がっていった。

⑥院政期は武士が台頭すると同時に大衆的な芸能文化が普及した時期であった。太鼓や笛を鳴らして舞う田楽が有名だ。農民の田植えの踊りから発展した。専業とする芸能民もでてきた。

⑦大江匡房が著した『洛陽田楽記』には1096年(永長元年)に都の民のみならず貴族までが田楽に熱中した。曲芸や手品、物まねを演じる散楽も流行し後の能楽となる。

⑧男装した女性が舞う白拍子も人気であった。
吉田兼好の『徒然草』によれば信西が磯禅師という女性に
舞わせたのが始まりと云われている。

⑨七五調のフレーズをくり返す今様という流行歌も人々に親しまれた。後白河上皇は特に熱中をして『梁塵秘抄』を編纂している。世のはかなさを歌ったものが多様である。全20巻である。

⑩院政期は上流階級と庶民の文化の融合が進んだ。12世紀に成立する説話集『今昔物語集』には前半には天竺(インド)、震旦(中国大陸の歴代王朝)、後半の本朝(日本)が紹介されている。

⑪『今昔物語集』の編者とされるのが覚猷こと鳥羽僧正である。仏画の達人でありウサギやカエルなど様々な動物の姿を描いた『鳥獣人物戯画』を残して後世の民衆にも愛された。江戸時代には「鳥羽絵」と云われるようになった。

⑫流行歌や物語や説話を広めた担い手として楽器の琵琶を手にして各地を放浪する琵琶法師がいた。平家と源氏の争乱は琵琶法師を通じて庶民の間に広く語り伝えられていく事になった。

■参考文献 『1冊でわかる平安時代』 大石学 河出書房新社

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