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【日本史8】平安史備忘録58(壇ノ浦の戦い・平宗盛投降・平家滅亡・安徳崩御・草薙剣喪失)

平安時代の学習を深めていきます。

本日の学習は、

①屋島の戦いに敗れた平家軍は関門海峡に面する壇ノ浦(山口県下関市)に追い詰められた。この地が平家にとって最終決戦の舞台となった。

②1185年3月の朝に開戦した。義経ら源氏の軍勢は関東から来た三浦氏の水軍、紀伊国(和歌山県・三重県南部)の熊野水軍、瀬戸内海の河野水軍など西国の有力船団を味方とした。

③海戦を得意とする平家は交易に使う大型船に安徳天皇らが乗っていると見せかけて囮にした。軍船から弓を射って源氏の軍船を近づけまいとした。

④平家軍の有利に進んだかに見えた。しかし午後には源氏の軍船が有利に転じたと『平家物語』や『吾妻鏡』では書かれている。田口成良が途中で裏切ったため平家軍が劣勢に陥ったとも云われている。

⑤夕方ごろには平家軍の敗北は明白となった。

亡き清盛の妻である二位尼(時子)は三種の神器の草薙剣を手にして海に身を投じたと云われている。

⑥徳子(建礼門院)と子の安徳天皇(81代目)もこれに続いた。知盛ら平家の将兵の多くは入水か自害した。当主であり総大将の平宗盛は投降した。徳子は救出され後に出家した。

⑦こうして平家は滅亡した。

三種の神器のうち八咫鏡と八尺瓊勾玉は回収されたが草薙剣は見つからなかった。

⑧1210年(承元4年)に伊勢神宮から贈られた剣を新たな草薙剣とした。ただ水没の剣も伊勢神宮から贈られた新剣も形代(儀式用の複製品)と云われている。

⑨後白河法皇としては三種の神器をすべて回収をして安徳天皇から後鳥羽天皇に皇位を譲る儀式を行う事を望んでいた。しかし草薙剣と安徳天皇が失われたのでできなくなった。

■参考文献 『1冊でわかる平安時代』 大石学 河出書房新社

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