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冒険は、自分が主人公に躍り出よう。

夢の叶え方を考える。


「庭と冒険」編集家 中西寿道(なかにしひさみち) です。

大学を卒業して就職して新社会人となって3年も経つと、夢を持つって意味が変わってきます。私の世代(60年代生まれ)だと子供の頃の夢は、レーサーかパイロット、CA。今だとユーチューバーでしょうか?

そうしたステレオタイプな夢の他に夢を持つと言っても、もっと現実的な暮らしや生き方、素敵だと思えるサービスや商品、仕事やボランティア、会社やプロジェクトを起こして良い人間関係を築きながら、目標に向かって充実した毎日を過ごせる自由を求めていることに気付き始めるからです。

プロジェクト夢イメージ


もちろん、”夢なんて、ありません” という方も居て、仕事場と往復だけの余裕が持てない状況で、きっかけを得ることすら難しい場合あるでしょう。

私は2017年秋より、京都でシェアアトリエの一室を借り、自身が代表理事を務める一般社団法人一休みの学校の事務所兼オルタナティブスペース(多目的ギャラリー)として「庭と冒険」を開設。「生き方と仕事を発明する」と宣言して、自転車屋台コミュニティ京都というクリエイティブなオンライン、オフラインを融合した場で、様々な方々と自由にプロジェクトや場を編み続けていますので、そうした意味で”夢は叶えた”とも思うのです。

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でも、昼間勤務の仕事では、バッしバッしと社内と社外をオーナーシップをもって片付けて行く仕事廻しが求められ、副業扱いの一休みの学校の活動は基本認められて居ない逆境の中、どちらにもエネルギーを注ぎたい、結果を残したい思いだけが先行し、人の意見やバッシングに振り回されながら空回りの状態かもしれません。

だから「冒険は、自分が主人公に躍り出よう」そう言い聞かせないと自分に自信が持てず、失敗が自分自身の能力不足、努力の足りなさ、継続できない意志の弱さだと自己嫌悪、先送りの日々で潰されそうな3年間でした。

それでも2020年に入り、大きく様々な団体ともプロジェクトを進めて行こうと動き出す自転車屋台コミュニティ京都。

昨年から準備してウェブサイトも作り、京都で活動してきた3年間だけでも見えてくると物語が動き出すのでは?と、様々な協力も得てサイトの準備を進め、あとはリアルイベントを4月、5月と行って記事UPでサイトも充実させて行こうとしていましたがコロナ禍にあって、なし崩し的に時間だけ過ぎて行き、サイトも半完成のまま。こうしている間にも次々とカタチをつけて行かないとだめだなぁと思う事柄が自分の中に大量に起こって居て、不安と期待の入り混じった気分の今、ここです。

簡単ではない。だから、一休みも必要かも。

9月というのは、私自身の誕生月ということもあってか、毎年なにか振り返りの時間を意識的につくっていますが、次々とカタチをつけて行かないとだめだと思う時にこそ、「一休み」が必要で立ち止まって振り返ること大事だなぁと思っています。

それは余白をつくるように、時間と気持ちのメリハリをつけることに集中する合図だと思いますので、4年前の自転車屋台プロジェクトを始まりから少し振り返ろうと思います。

まず自転車屋台コミュニティ京都というのは、私が京都市内のコワーキング施設などで開催された新規事業系ワークショップや参加するオンラインサロンやSNSで知り合った方に声をかけ、関心をもって反応して頂いた方や紹介頂いた中心に動き出して来たゆるい集まりです。

皆さんオンラインでも個人プロジェクトを複数持って活動する方が主体の集まりですが、自転車屋台そのものは参加していたオンラインサロン(Social Design Salon)のメンバーで、姫路の美容室オーナーが投げかけた次世代バイクカフェプロジェクト『NinesCafe』を、私自身がフリーランス(屋号:TRUNK)のお仕事としてクリエイティブディレクションしてまとめたのが始まりです。

この時私は、2016年の春に飛騨高山・乗鞍岳のプロジェクト等から一旦退き、次の模索をしているときに自転車で大きな事故を起こし入院中。なんとも自転車に縁があるわけですが失業も同時にしており、「もうこの仕事で次の仕事をつくるしかない」という、かなり思い詰めた状況でした。

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そして執念のような動きで退院後、すぐに体力も戻らない状況でしたが、当時は名古屋に居ながら、つなぎのアルバイト的仕事もしながら大阪、京都、姫路に通ってプロトタイプというべき1台を完成させて、テストイベントをオンラインサロン仲間の協力を得て完了させたのでした。

いろいろな意味を感じて、一休みの学校を立ち上げた10年ぐらい前から究極の数字(9)という数字が好きになっているんですが、この時も偶然、ナインという数字に縁があり『NinesCafe』の誕生でした。

次のタイミングは、足場ができるとやってきた。

しかし、当初思っていたような運用が難しく、カフェとして立ち上げて行くには更なる投資が必要となり自転車屋台だけが倉庫で眠る状況に。そこで私が買戻す形でオーナーチェンジして舞台を京都に移し、このオルタナティブスペース「庭と冒険」とも連動して、震えるほどの夢を叶える複業のプラットフォームを目指しました。

そして精力的に毎週土日や平日でも夜に開催されるワークショップにも参加して、知り合った方のご縁もつながり1日だけのイベントに貸し出すような取組みとなっていきました。

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そうした活動が重なり徐々にコミュニティと言えるようになった2019年夏過ぎからは、企画をどんどん投げ込めるようなデレクションやコミュニティマネージャーと呼べるような動きができる方が、フォロワーシップを発揮して自転車屋台コミュニティを支えてくれました。そして遠くは九州から京都のリアルイベントに参加してくれたり、他のプロジェクトやデザインの仕事を頼んだりする関係性が出来て、足場と言える場ができてきました。

なによりも嬉しいのは、メンバー同士が個々に連絡取り合っていて、私自身も知らない間に、ZOOMで話していたりオフラインで会っているような交流が、あちこちで起こっているようなんです。(もう全貌はわかりません)

そして2020年9月に入り、不思議な事に1年越しは元より2年越し、3年越しで自転車屋台に関係する方々からのご紹介がつながりプロジェクトが動きだしました。それは京都だけにこだわらず日本の様々な地域や世界のあらゆるところで、オンラインもオフラインも融合した人生の先に描き出される「震えるほどの夢」が、徐々に実現しそうです。

だからその為に自転車屋台を運転してくれる人を探すことも必要なんです。自分自身で漕いでお客様や町の声を聴きながら、自分自身が信じる物語や世界観を自分が主役に躍り出て、社会に発信していくことに熱量がある人。

それをオンラインとオフラインの融合でニューノーマルにやって行くのが面白いし、私はそれを伴走して行きたいと思っているんです。

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オルタナティブスペース「庭と冒険」も自転車屋台コミュニティも、きっかけに過ぎませんが一人一人が主役の冒険。そして遊びができる庭。

多くの方々が生涯に渡って充実感を持ちながら働き学び続け、仕事上の責任を果たすと共に、人生の各段階に応じた多様な生き方が選択できる社会の実現に寄与していきます。

冒険は、自分が主人公に躍り出よう。

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生き方と働き方を発明するメディアです。一般社団法人一休みの学校が発行します。

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