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昭和31年のてるてる坊主【てるてるmemo#22】


 昭和30年代のてるてる坊主について、これまで8回にわたって検討してきました。9回めの今回は、気象庁が発足した年である昭和31年(1956)の、てるてる坊主が登場する資料を紹介します。
 検討対象とするのは、ジャンルを問わずてるてる坊主研究所で蒐集してきた文献資料。これまでに紹介した昭和39年(1964)から32年(1957)までの事例とも比較をしながら、検討を進めていきましょう。
 まず注目したいのは絵のある資料。この年は18例と多めです(★「昭和31年(1956年)のてるてる坊主【てるてる坊主図録Ver.3.9】」、および、表1参照)。

1、姿かたち、目鼻の有無

 絵のある資料18例をめぐって、検討の切り口としたいのは「姿かたち」と「目鼻の有無」の2点です。
 第一に姿かたちをめぐって。昨今のてるてる坊主は裾をひらひらとさせたスカートのような姿をしています。昭和32年から39年にかけても、そうしたスカート姿のものがほとんどでしたが、ときおり、着物を着たり帯を締めたりした姿のものも散見できました。そうしたなか、着物姿のものが目立って多いのが昭和33年で、数の上ではスカート姿のものと拮抗していました(★表2参照)。

 この昭和31年はスカート姿が優勢で、18例のうち13例(①②⑤⑥⑦⑨⑪⑫⑭⑮⑯⑰⑱)見られます。いっぽう、着物姿のものは4例(③⑩⑬⑮)見られます。⑮はスカート姿のものと着物姿のものが併存しています(★後掲の図5参照)。また、④と⑧はてるてる坊主が手のなかに包まれているため、その姿の詳細は不明です。

 第二に目鼻の有無をめぐって。絵のある18例のうち、眉や目・鼻・口など、顔のパーツのいずれかがあるものは11例(①②⑤⑥⑦⑧⑩⑬⑯⑰⑱)を数えます。なかでも、資料⑯の眉と目は「への」「への」という文字で書かれているのが特徴です(★図1参照)。

★図1

 いっぽう、目鼻がないのっぺらぼうのものは8例(③④⑥⑨⑪⑫⑭⑮)。目鼻のある11例のほうが、目鼻のない8例より数の上では優勢です。
 ⑥は目鼻のあるものとないものが併存しています。ただし、軒下に吊るされてのっぺらぼうのように見えるてるてる坊主も、実は向こう側を向いていて、見えているのは後頭部である可能性もぬぐえません(★図2参照)

 昭和32年から39年にかけても、目鼻のあるものが大半の年で優勢でした。昭和37年のみ、目鼻のあるものと目鼻のないものが、数の上で拮抗しています(★表3参照)。

2、木や建物の周辺部に吊るす

 てるてる坊主が描かれた18例の資料から読み取れる情報をもとに、昭和31年のてるてる坊主の傾向を大づかみにしたところで、続いては絵のない文字資料にも目を向けてみましょう(★表4参照)。

 前掲した表1と表4を合わせて注目したいのが、てるてる坊主の設置場所。まず目立つのは、木という事例で14例(④⑤⑦⑫⑭⑱⑳㉑㉒㉓㉖㉙㉛㉜)見られます。具体的な樹種が明示されている例もあり、柿が2例(⑳㉙)見られるほか、松(⑳)、梅や杉(ともに㉑)、南天(㉙)が1例ずつ見られます(⑳と㉙は複数の樹種を併記)。
 ほかに目立つところでは、軒が7例(②③⑥⑧⑩⑮⑲)、窓辺が3例(⑪㉑㉗)見られます(㉑は木と窓辺を併記)。軒と窓辺を建物の周辺部として合わせると10例を数えます。
 「木」と「建物の周辺部」の事例数を比べてみると、昭和32年から39年にかけての8年間のうち、「木」が優勢だったのは昭和35年のみ。ほかの7年は「建物の周辺部」が優勢でした。そして、この昭和31年はめずらしく、「木」14例が「建物の周辺部」10例よりも優勢です(★表5参照)。

3、そのほかの設置場所や設置方法

 この昭和31年には、てるてる坊主の設置場所や設置方法に特徴のある事例が目立ちます。資料⑪では教室の窓辺に吊るされています。『学校劇代表作選』小学編に収められている、粉川光一(生没年不詳)「行けないどうし」の挿絵です(★図3参照)

 同じように教室に設置されているのが資料㉕。句集『萬緑』11巻12号に寄せられた次の一句です[『萬緑』1956:41頁]。

てるてる坊主へ日当る教室運動会 但馬美作

 また、先述した事例のうち、柿や松の木に設置することが記されているのは資料⑳。小山玄夫しずお(1912-)『作文とお話会:たのしい教室』に掲載された作文の例のなかで、てるてる坊主が次のように登場しています[小山1956:18頁]。

てるてるぼうず
たくさんつくりましょう。大きなのをつくりましょう。きっと天気てんきになるように、かきの木にも、まつの木にも、はなのかきにも、ものほしにもみんなつけましょう。大きなこえでうたをうたって、おいのりしておきましょう。

 てるてる坊主の設置場所として、「かきの木」や「松の木」のほかにも「花のかき」や「ものほし」が挙げられています。「花のかき」とは花の咲いた垣根、「ものほし」とは物干竿のことを指しているのでしょう。吊るすのではなく、木や垣根や物干竿に「みんなつけましょう」と表現されているのも特徴的です。

 めずらしいのが資料㉛で、枕元に置くと記されています。随筆集『日雇いの歌』に収められている、宮崎義一(生没年不詳)の「さんまを焼く」と題した一文です。失業対策事業に日雇い労働者たちが集まったものの、雨で仕事がなくなってしまった場面で、てるてる坊主に触れられています[労働省職業安定局失業対策部1956:121頁]。

フト自分は雨で子供の遠足が延期になつたので一寸助かつたような気持ちになつた。
又子供が照る照る坊主を枕許においていたことなど思い出す。今朝出がけに妻が遠足に三百円ほど要りますよ……といつたことなど思う。明日はどうしても民間の仕事に行かなければならない。

4、材料と作りかた

 てるてる坊主の材料や作りかたが、絵入りで明示されている事例がふたつあります。ひとつは『幼児4(ママ)季の製作 100選』(資料①)。「へやかざり十二か月」の「6月」の項で、「てるてるぼうずいろいろ」が紹介されており、次のような説明文が添えられています(★図4参照。傍点は原文のママ)[新保育研究会1956:31頁]。

やわらかい紙をまるめて、頭のシン●●にして、てるてるぼうずを作る
いろいろな色紙で大きいのや小さいのを作るとおもしろい。

 もうひとつは、『Art in education』17巻8号(資料⑮)。三木多美子(1922-)が「六月のプラン 幼稚園」のなかでてるてる坊主を紹介しています。挿絵には先述したようにスカート姿のものと着物姿のものが併存して描かれています(★図5参照)。

 左端の1例のみがスカート姿、ほかの3例は着物姿です。着物姿のものはいずれも帯を締めている点が共通しているものの、着物の折りかたや袖の有無などはさまざまです。説明文には次のように記されています[『Art in education』1956:51頁]。

ザラ紙や、反古紙を顔のしんに丸めて、模造紙で包み頭として人形のてるてる坊主を作つて軒に下げましよう。
手足のない、単に丸くふくらんだままのもの手足を別に針ピンでとじつけたもの、切紙の着物をきせたもの等いろいろ考えられます。着物は色紙、包紙、布切等を利用しても面白い……(中略)……
出来上つたてるてる坊主をつるす時は、首を糸でぐるぐるしばるのはざんこくであり、又、首がぬけやすいので、背の方へ細いテープを貼りつけ、その上(ママ)もう一度おさえをはつておきますと、しつかりします。

 材料が詳しく挙げられています。芯となる頭の中身にはザラ紙、すなわちわら半紙や反古紙。それを包みこむ、頭の表面に用いるのは模造紙。そして、着物には色紙や包み紙、あるいは布切れを使います。
 姿かたちの例もいくつか挙げられています。「手足のない、単に丸くふくらんだままのもの」とはスカート姿のもの、「切紙の着物をきせたもの」とは着物姿のものに該当するのでしょう。そのほかに「手足を別に針ピンでとじつけたもの」も挙げられていますが、もとより、これは工作の本に掲載されている一例であるためデフォルメの要素が強そうです。

 あるいは、材料や作りかたが明示されているわけではないのですが、俳句集『かびれ』26巻8号(資料㉔)には、てるてる坊主の姿かたちや色使いを垣間見ることができる、次のような句が寄せられています[『かびれ』1956:45頁]。

赤帯のてるてる坊主若葉雨 勿来 大平たかし

 てるてる坊主は着物姿なのでしょう。帯を締めています。雨が降りそそぐなか、帯の赤と若葉の緑との対比が鮮やかです。

5、効力アップの工夫

 好天を願うまじないの効き目が増大するよう、てるてる坊主に工夫を凝らす事例もいくつか見られるので紹介しましょう。
 ひとつめは、願いを文字にして書き込む方法で、前掲した資料⑥に見られます。児童文学作家・岡本良雄(1913-63)の童話集『よい子の童話』2年生に収められた「あしたは てんきだ」と題する一文です。てるてる坊主の衣の部分に「あした てんきに しておくれ」と平仮名で書き込んであります。川本哲夫(1925-96)による挿絵も添えられています(前掲した図2の左)[岡本・川本1956:78頁]。
 なお、岡本によるこの「あしたは てんきだ」というおはなしは、翌昭和32年に児童文学作家・坪田譲治(1915-98)が編んだ『日本の名作童話』にも収められました。そこには、童画家・柿本幸造(1915-98)が挿絵を添えていることをかつて紹介しました(★詳しくは「昭和32年のてるてる坊主【てるてるmemo#21】」参照)。

 あるいは、てるてる坊主の効力アップを狙う、もうひとつの方法として、てるてる坊主を逆さまに吊るすという例が資料㉘に見られます。足尾郷土誌編集委員会が編んだ『足尾郷土誌』の「風俗習慣」の章に、てるてる坊主が簡潔に登場しています。執筆担当者は青木利夫(生没年不詳)[足尾郷土誌編集委員会1956:122頁]。

○てるてる坊主を逆につるすと天気がよくなる。

 てるてる坊主をわざと逆さまに吊るす光景は昨今では、雨が降ってほしいと願うときにしばしば見られます。しかしながら、元をたどるとかつては、晴天を願うときにてるてる坊主を逆さまに吊るすのが一般的な作法だったようです。晴天を願って逆さまに吊るされたてるてる坊主の姿が、いくつかの絵画資料にのこされています(★図6参照)。

 ただし、晴天祈願のため逆さまに吊るすという作法が盛んに見られたのは、江戸時代の終わりごろまでのこと。その後、そうした作法は明治期に1例見られるのみで、めっきり姿を消しました(★後掲する「続・逆さまのてるてる坊主【てるてる坊主の作りかた#2】参照」)。そうしたなか、ここに掲げた足尾(現在の栃木県日光市)からの報告は、昭和の中ごろにおけるたいへん稀少な事例です。

 てるてる坊主の効力アップを狙う方法として、もうひとつ注目しておきたいのが資料㉖。詩人・山本和夫(1907-96)がまとめた詩集『小学生の詩』のなかで、「遠足」の節の解説文に次のような記述があります[山本1956:148頁]。

遠足はたのしい。
おとなになってから、思いだしても、なお、しんぞうがどきんどきんするくらいです。
遠足の日が近づくと、みんなは、ラジオの天気よほうに、ちゅい(ママ)します。また、前のばんには、テルテル坊主をつくって、こっそりと、木の枝につるします。

 遠足の前夜、てるてる坊主を作って木の枝に吊るすのですが、その際には「こっそりと」吊るすのだといいます。どうやら、誰にも知られることなく密やかにおこなうのが秘訣のようです。

6、テルテル坊さん、日和坊

 最後に、呼び名が特徴的な事例をふたつ。ひとつは資料㉛。郵政弘済会から発行されていた広報誌『郵政』8巻2号の「私の趣味」欄に、黒瀬豊子(生没年不詳)が「人形」と題した一文を寄せています。
 そのなかで黒瀬は、「小さい時分にチリ紙をまるめた頭のテルテル坊さんを木にぶら下げた」と綴っています[『郵政』1956:45頁]。「テルテル坊主」ではなく、ていねいに「さん」を付けて「テルテル坊さん」と呼んでいるのが注目されます。
 もうひとつは資料㉝。木太刀社から発行されていた俳句集『木太刀』53巻8号に、高島秋晴(生没年不詳)が詠んだ次のような句が収められています[『木太刀』1956:7頁]。

日和坊もされてあるなり七夕に

 七夕の日、短冊などで飾った笹に、晴天を願う日和坊も吊るされているという光景です。七夕伝説の主役は織り姫(こと座のベガ)と彦星(わし座のアルタイル)、あるいは天の川などの星たち。そのため、雲が晴れていて星空を望めるよう願って、七夕の風習にてるてる坊主が伴われている光景はしばしば見られます。
 さて、注目したいのは「日和坊」という呼び名。実はかつて西日本では「日和坊」のほか「日和坊主」「日和坊さん」といった呼び名が主流でした。そうした呼び名を本稿では「日和坊主」系と称しておきましょう。
 《東日本の「てるてる坊主」系》と《西日本の「日和坊主」系》という対比は、実は想像以上に鮮烈です。西日本でもかつては「てるてる坊主」と呼ぶのが一般的だったものの「日和坊主」と呼ぶ事例も散見される、という程度では済みません。文献資料に見られる呼び名を整理してみると、江戸時代後期の1830年ごろから明治期を経て大正期までの100年ほどのあいだ、西日本ではもっぱら「日和坊主」系の呼び名が使われており、「てるてる坊主」系は皆無なのです(★詳しくは表6、および、「西日本では「日和坊主」というのは本当か【てるてる坊主の呼び名をめぐって#6】」参照)。

 先述のように、西日本で「日和坊主」系の呼び名が盛んに使われたのは、わたしの管見の限りでは1830年代から約100年のあいだ。昭和に入ると西日本でも呼び名は「てるてる坊主」系に収斂していき、「日和坊主」系はすっかり聞かれなくなりました。そうしたなか、ここに掲げた俳句集『木太刀』所収の句は、昭和の中ごろにおけるたいへん稀少な事例です。
 句のなかで「日和坊」という語を用いている高島秋晴の生年は残念ながら不明です。しかしながら、京都在住であることが明記されています。おそらくは、生まれも育ちも西日本で、幼少時には「日和坊主」系の呼び名に馴染みが深かったのでしょう。『木太刀』の発行元である木太刀社があったのも京都です。

 本稿で注目した昭和31年には、めずらしいてるてる坊主の事例を散見できました。晴天祈願に逆さまに吊るしたり、枕元に置いたり、「日和坊」と呼んだりといった具合です。
 もっと長い目で見た昭和30年代全般のてるてる坊主の動向については、また稿をあらためて検討できればと思います。

参考文献

【表1と表4に関わるもの】(発行年はいずれも昭和31年(1956)。丸数字は表の左端の№に対応。うしろのカッコ内は詳しい掲載箇所や作者等。)
①新保育研究会〔編〕『幼児4季の製作 100選』、白眉音楽出版社(「へやかざり十二か月」)
②教育技術研究所〔編〕『小学館新学習年鑑』昭和32年版、小学館(「てるてるぼうずのはじめ」)
③大木雄二〔著〕鳥居敏文〔絵〕『二宮金次郎 ひらかな』、金の星社
④安田浩『幼児4季のげき 新選』、白眉音楽出版社(「てるてるぼうず」)
⑤『保育の友』4(7)、全国社会福祉協議会(木俣武「セロフアン紙芝居」)
⑥岡本良雄〔著〕川本哲夫〔絵〕『よい子の童話』2年生、鶴書房(「あしたは てんきだ」)
⑦日本子どもを守る会〔編〕『プレイメート』7(6)単元構成の模範絵本第4集、プレイメート刊行協会(せおたろう「ライオンたろう」)
⑧浜田広介ほか〔編〕『一年生の童話』、ひかりのくに昭和出版(清水たみ子「にじ」)
⑨笹倉美好〔著〕石田武雄〔絵〕『四年生の国語』、保育社(「ことばのふしぎ 雨がふってきた」)
⑩日本童話会〔編〕『小学生に聞かせるお話台本百選』、小峰書店(久保道男〔著〕中谷泰〔絵〕「あした天気にしておくれ」)
⑪日本児童劇作家協会〔編〕『学校劇代表作選』小学編、宝文館(粉川光一「行けないどうし」)
⑫安島雨晶『図画辞典』、育英出版
⑬日本子どもを守る会〔編〕富永秀夫〔絵〕『四季の子どもたち』1年生、宝文館(「なかよし かるた」)
⑭平井昌夫〔編〕『えとき国語じてん 学習基本語いによる』、光風出版
⑮『Art in education』17(8)、教育美術振興会(三木多美子「六月のプラン 幼稚園」)
⑯『あこがれの星』(まんが物語81)、きんらん社(三島みちひこ〔作・絵〕「てるてるぼうず」)
⑰『小一教育技術』10(4)、小学館(平井芳夫〔作〕「童話 てるてるぼうず」)
⑱『小学四年生』35(3)、小学館(小野忠孝〔作〕斉藤年弘〔絵〕「てるてるぼうず」)
⑲日本童話会〔編〕『幼児に聞かせるおはなし百選』、小峰書店(滝川慈海「おばあちゃんのおうちで」)
⑳小山玄夫『作文とお話会:たのしい教室』、講談社(「えんそくの作文」)
㉑東京都幼児のお話研究会〔編〕『子供のための言語十二か月』、ひかりのくに昭和出版(「遠足」、林くみ子「てるてる坊主」)
㉒『潮汐』12(10)、潮汐会(長尾繁)
㉓花井千穂『銀の旋律』、短歌新聞社
㉔『かびれ』26(8)、加毘礼社(大平たかし)
㉕萬緑運営委員会〔編〕『萬緑』11(12)、萬緑発行所(但馬美作)
㉖山本和夫『小学生の詩』、宝文館(「遠足」)
㉗東京都中学入試委員会〔編〕『国立私立有名中学三ヶ年間入試問題と模範解答:最近三ヶ年間出題傾向の研究』昭和32年版、文源堂
㉘足尾郷土誌編集委員会〔編〕『足尾郷土誌』1956年版、足尾町学校組合会(青木利夫「風俗習慣」)
㉙東京私立初等学校協会〔編〕『たのしく心あたたまる子どもの文学』6年生、ポプラ社(石井桃子「ある春の朝」)
㉚労働省職業安定局失業対策部〔編〕『日雇いの歌』、労働法令協会(宮﨑義一「さんまを焼く」)
㉛『郵政』8(2)、郵政弘済会(黒瀬豊子「私の趣味」)
㉜『女性教養』9月(212)、日本女子社会教育会(古月三枝「着物」)
㉝『木太刀』53(8)、木太刀社(高島秋晴)

【図6に関わるもの】(丸数字は図6の№に対応。)
❶内田ハチ〔編〕『菅江真澄民俗図絵』上巻、岩崎美術社、1987年
❷尾上梅幸〔作〕花笠文京〔代作〕歌川国貞〔画〕『皇国文字娘席書』、丸屋甚八、1826年
❸尾原昭夫『日本わらべ歌全集』27 近世童謡童遊集、柳原書店、1991年

【表6に関わるもの】(丸数字は表6の№に対応。発行年のあとの括弧内は掲載箇所の詳細。二重括弧内は原典にあたることができなかったための参照元。)
❶柳生範萊〔編〕『冠附類題集』、1834年 ≪穎原退蔵〔著〕尾形仂〔編〕『江戸時代語辞典』、角川学芸出版、2008年≫
❷山月庵主人『意気客初心』巻之下、吉田屋新兵衛・山城屋佐兵衛、1836年
❸『冠附あふむ石』、1839年≪前掲同書『江戸時代語辞典』≫
❹田中楽美『大阪繁昌詩』巻之中、紀律堂、1859年
❺松井由谷『麗新画帖』下、本田書店、1900年
❻松瀬青々『妻木 青々句集』、春俎堂・宝船発行所、1904-06年
❼長崎市『長崎市史』風俗編、1925年(古賀十二郎「長崎方言集覧」)

【そのほか】(うしろのカッコ内は詳しい掲載箇所と作者。)
・坪田譲治〔監修〕柿本幸造〔絵〕『日本の名作童話』一年の学習文庫8 国語編、学習研究社、1957年(岡本良雄「あしたは天気だ」)


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