見出し画像

昭和32年のてるてる坊主【てるてるmemo#21】


 このところ、昭和30年代のてるてる坊主に注目して検討しています。これまでに、昭和39年(1964)から33年(1958)まで1年ごとにさかのぼりつつ、当時のてるてる坊主について紹介してきました。
 引き続き本稿では、それに先立つ昭和32年(1957)のてるてる坊主に注目します。検討対象とするのは、ジャンルを問わずてるてる坊主研究所で蒐集してきた文献資料。随時、昭和33年から39年までの事例とも比較をしながら、検討を進めていきましょう。
 まず注目したいのは絵のある資料15例(★後掲の「昭和32年(1957年)のてるてる坊主(てるてる坊主図録Ver.3.8)」、および表1参照)。なお、資料⑭は教科書の挿絵です。また、資料⑮は今回新たに蒐集できた資料です。

1、姿かたち、目鼻の有無

 絵のある資料15例をめぐって、検討の切り口としたいのは「姿かたち」と「目鼻の有無」の2点。
 第一に姿かたちをめぐって。昨今のてるてる坊主は裾をひらひらとさせたスカートのような姿をしています。昭和34年から39年にかけても、そうした姿かたちのものがほとんどでした。
 そうしたなかで、着物を着たり帯を締めたりした姿のものも散見できました。とりわけ昭和33年には着物姿のものが目立ち、数の上ではスカート姿のものと拮抗しています(★表2参照)。

 この昭和32年はスカート姿が圧倒的に優勢で、絵のある15例すべてにスカート姿のものが登場しています。着物姿のものは2例(⑭⑮)のみで、その2例ともに、着物姿のもの単独ではなくスカート姿のものと併存して描かれています(★図1参照)。 

 第二に目鼻の有無をめぐって。絵のある15例のうち、眉や目・鼻・口など、顔のパーツのいずれかがあるものは9例(①④⑤⑧⑩⑪⑬⑭⑮)を数えます。いっぽう、目鼻がないのっぺらぼうのものは6例(②③⑥⑦⑨⑫)。目鼻のあるもの(9例)のほうがないもの(6例)より、数の上ではやや優勢です。
 昭和33年から39年にかけても同様に、目鼻のあるものがないものよりも、大半の年で優勢でした。昭和37年のみ、目鼻のあるものとないものが、数の上で拮抗しています(★表3参照)。

2、建物の周辺部や木に吊るす

 てるてる坊主が描かれた15例の資料から読み取れる情報をもとに、昭和32年のてるてる坊主の傾向を大づかみにしたところで、続いては絵のない文字資料にも目を向けてみましょう(★表4参照)。

 前掲した表1と表4を合わせて注目したいのが、てるてる坊主の設置場所。まず目立つのは、木という事例で16例(②⑧⑩⑪⑫⑯⑳㉑㉓㉔㉖㉜㊱㊵㊼㊽)見られます。具体的な樹種が明示されている例も多く、柳(⑳㊸)と竹(㉓㊽)が2例ずつ見られるほか、スモモ(㉑)と南天(㉜)も1例ずつ見られます。
 あるいは、軒という事例も10例(①④⑤⑥⑦⑨㉒㉘㉟㊺)と目立ちます。また、窓辺にも7例(⑩㉕㉗㉝㉞㊳㊺)見られます(⑩は木と窓の重複、㊺は軒と窓の重複)。軒と窓辺を建物の周辺部として合わせると16例を数えます。
 資料⑩では、てるてる坊主がさまざまな木や建物の周辺部に吊るされています。小説家・北町一郎(1907-90)の童話集『げんきな子ども 3年生』所収の「てるてるぼうず」と題したお話です。そこには、秋の遠足を控えて、てるてる坊主を吊るす光景が記されています[北町1957:139-140頁]。

女の生徒せいとたちは、てるてるぼうずをつくって、きょうしつのまどに、つりさげました。てるてるぼうずの、ぎょうれつです。
……(中略)……
ハルエさんはいえへかえると、また、てるてるぼうずを、いくつもこしらえて、にわの木や、へやのまどや、げんかんに、ぶらさげました。

 学校で教室の窓に吊るしたほか、自宅に帰ってからも庭木や部屋の窓、さらには玄関にも、てるてる坊主をたくさん吊るしたようです。
 「木」と「建物の周辺部」を比べてみると、昭和33~39年(1958-64)の7年間のうち、昭和35年のみ「木」が優勢で、ほかの6年は「建物の周辺部」が優勢でした。そして、この昭和32年には「木」と「建物の周辺部」がともに16例で、数の上では拮抗しています(★表5参照)。

3、電柱や物干竿に吊るす

 先述した竹に吊るしている事例ふたつのうちのひとつは資料㉓。『日通文学』10巻3号に掲載された今村延孝(生没年不詳)の「森」と題する小説に、次のような場面があります(傍点は原文のママ)[『日通文学』1957:63頁]。

向うの方に街燈が見えて、その下で三人の女の子供達が歌つていた。
 あした天気にしておくれ――
電柱に竹をくくりつけて、その先に糸で、白い紙のてるてる坊主●●●●●●を下げていた。
 あした天気にしておくれ――
子供達の声は合唱だつた。あたりには軒の低い炭鉱の社宅が連なつていた。

 糸でてるてる坊主を吊るした竹は、電柱に括りつけられています。
 あるいは、めずらしいのが資料③で、こちらは物干竿に吊るされています。児童雑誌『よい子のおぎょうぎ』2年生に掲載された「えんそくの できごと」というお話です。作者は絵本作家の斉藤博之(1919-87)[西原・斉藤1957:13-14頁]。

チン ポン カーン
ラジオの かねが きこえて、
——あすの てんきよほうを もうしあげます。
あさの うちは くもりですが、のち だんだん はれてくるでしょう。——
と いいました。
「うわあい。」
まさおくんは、つくりかけの てるてるぼうずを もって、おへやの なかを とびまわりました。
……(中略)……
それでも、ねんのために てるてるぼうずだけは ものほしざおに ぶらさげて おきました。

4、材料と作りかた

 てるてる坊主を作る手順が材料とともに、絵入りで明示されている事例がふたつあります(★図2参照)。ひとつは『おりがみあそび』学級図書館1年11(資料⑧)。作者はたかぎとうじゅ(1919-)、画家はかがわたかし(1917-75)です。もうひとつは『小学一年生』13巻4号(資料⑮)の「てるてるぼうずつくり」と題したページ。こちらは作者と画家は不明です。

 2例ともに、まず用意するのは「しかくなかみ」。それで包む頭の中身は、資料⑧(図2の左)では新聞紙、資料⑮(図2の右)では綿を丸めて作っています。首の部分に糸を巻き、目・鼻・口を書いてできあがり。後者の資料⑮では頭にリボンをつけています。
 また、色紙いろがみで作ることに触れているのは、『日本の名作童話』一年の学習文庫8 国語編(資料①)。そこに収められた「あしたは天気だ」と題するお話に次のような場面が記されています。作者は児童文学作家の岡本良雄(1913-63)[坪田・柿本1957:71-72頁]。

「ああそうだ」
いちろうにいさんは、ぴょっこり おきあがりました。
「てるてる ぼうずを、つくって おこう。」
いちろうにいさんは、そっと ふとんを ぬけだして、べんきょうづくえの ところに いきました。 ちょうど、おとうとの つくえの ひきだしに、いろがみが ありました。
「一まい もらうよ。」
いちろうにいさんは、ねむって いる ふじおくんの ほうに むかって いいながら、てるてるぼうずを つくりました。

 「いちろうにいさん」が色紙を切っててるてる坊主を作っている光景の挿絵も添えられています(★図3参照)。描いたのは童画家の柿本幸造(1915-98)。

 あるいは、ちり紙を材料としている事例もあります。『教師』と題された小説集(資料㊹)に収められた「春雷」という一文です。作者は花岡芳春(生没年不詳)。遠足の前日、学校内の一室における男女の教師のやりとりです[中野・坂本1957:127頁]

——お邪魔してごめんなさいね。明日の遠足、あたしは足が弱いから心配なんだけど、あなたも一緒だから参りますわ。……(中略)……お弁当はあなたの分と二つ作ってくるわ、だからあたし、そのことを知らせて来たのよ。
そう言い終るとポケットから鼻紙でこしらえた小さなテルテル坊主をとり出して、私の鞄へおしこんだ。

5、文字を書き込む

 この昭和32年には、てるてる坊主のまじないの効き目を増幅させるべく、工夫が施されている事例が目立ちます。本稿では大きくふたつにわけて紹介します。
 ひとつは、てるてる坊主に文字を書き込むという方法をめぐって。前掲した『日本の名作童話』(資料①)所収の「あしたは天気だ」のお話の続きに目を凝らしてみましょう。色紙でてるてる坊主を作り終えた「いちろうにいさん」が、それを吊るそうとしている場面です[坪田・柿本1957:72-74頁]。

そして、えんがわの あまどを そっと あけたときでした。
「おや、これは。」
えんがわの ひさしに、もう ちゃんと、てるてるぼうずが ぶらさがって いるのです。
てるてるぼうずの きものには、
「あした てんきに して おくれ。」
と、かいて ありました。
「ふじおが つくって くれたんだ。」
そらを みあげると、ゆうがた あった くもは すっかり なくなって、ほしが たくさん でて います。

 軒先には、すでにてるてる坊主が吊るされていました。弟が兄のためを思って作ったものです。そのてるてる坊主には、「あした てんきに しておくれ」と願いが書き込まれています(★図4参照)。

 このように、てるてる坊主に文字を書き入れるという作法は、近世・近代(江戸時代から明治・大正期を経て昭和前期まで)を通じて散見できます(★詳しくは「【てるてる坊主動画#4】てるてる坊主に文字を書くこと―近世・近代編—」参照)。

6、ウイスキーや焼酎を供える

 まじないの効き目を増幅させる工夫のもうひとつは、てるてる坊主に酒を供えるという方法。願いがかなったお礼としてではなく、願掛けの時点で酒を供えるという事例は古今を通じてまれなのですが、この昭和32年に限っては3例も挙げられます。
 もとより、そのうちの2例はともに、昭和28年(1953)7月に北アルプスで起きた、同一の山岳遭難事故を取り扱った記事。悪天候のなかで山々を縦走してきた一行が、小屋で待機を余儀なくされている場面に、てるてる坊主が登場します。
 『気象』2(資料㊲)に収められた大井正一(生没年不詳)「夏山の遭難気象」では、「20日は暴風のため停滞し、テルテル坊主にウイスキーをかけてうさ晴しをした」と記されています[気象庁1957:26-27頁]。
 あるいは、作家・小島六郎(1900-96)が著した『山の遭難:初めて山へ登る人々のために』(資料㊸)においては、「四人も、出発するのを見合わせ、退屈まぎれにテルテル坊主をつくって、それにウイスキーをかけたりなどして、時間をつぶした」と記されています[小島1957:88頁]。
 テルテル坊主が登場する、この北アルプスでの遭難事故については、登山家・春日俊吉(1897-1975)が昭和34年(1959)にまとめた『山岳遭難記』に詳しい報告があります[春日1959a、春日1959b]。その内容についてはかつて触れたことがあります(★詳しくは「昭和34年のてるてる坊主【てるてるmemo#19】」参照)。

 願掛けの時点で酒を供えている3例のうち、残る1例は資料㉙の『開拓農民』。黒姫山麓(長野県上水内郡信濃町)を拓いた人たちが自ら筆を執った文章を、狩野誠(1924-)がまとめています。
 開拓者のひとり、村井順吉(生没年不詳)が日々の暮らしを綴っているのが「もぐらの日記」。次のような一節にてるてる坊主が登場しています[狩野1957:187頁]。

×月×日 雨
てるてる坊主の頭に祈願をこめて焼酎をかけてやった。甘酒よりすこしは御利益があるだろう。一週間も降りつづけられたのでは、こっちがてるてる坊主だ。三日ぐらいは雨の中で開墾をしたが、とうとうかぜを引いてしまった。

7、お礼としての酒

 もとより、てるてる坊主に酒を供えるという作法は、まじないの効き目を増幅させるためよりも、願いがかなったお礼としておこなわれるほうが一般的でした。わたしの管見が及んだ限りでも、好天に恵まれたお礼としててるてる坊主に酒を供えるという作法は、江戸時代末期から明治・大正期を経て昭和中期まで散見できます。
 この昭和32年にも、願いがかなったお礼というケースが1例見られます。資料⑰の『小鳩童謡百曲集』です。同書は作曲家・河村光陽(1897-1946)の作品集。詩人・清水かつら(1898-1951)が作詞した「とおせんぼ」にてるてる坊主が登場します(★図5参照)。

 歌詞は2番まであり、晴れた場合のお礼に触れているのは、1番と2番のそれぞれの末尾。1番では「おれいにあんころ たんとあげよう」、2番では「おれいにあまざけ たんとのましょ」と唄われています[河村光陽・河村順子1957:173頁]。あんころ餅や甘酒といった甘いものが好まれるようです。

8、罰あるいは罵り

 いっぽう、願いがかなわなかった場合の罰について触れている事例もふたつ見られます。ひとつは、資料⑤の『読切倶楽部』6巻6号に収められている「コント テルテル坊主」です[『読切倶楽部』1957:137頁]。

天気てんきにしたいときは軒先のきさきにテルテル坊主ぼうずをブラげますが、あるひと、六がつ長雨ながあめごうやし、テルテル坊主ぼうずをブラげたところ、お天気てんきになるどころかますますりがはげしくなるばかり、とうとうはらて、押入おしいれからハサミをりだして、
畜生ちくしよう! テルテル坊主ぼうずくびをチヨンつてやる』
とばかり、ガラガラとまどのガラスけましたが、とたんにニツコリわらつて、
『ナーンだこのテルテル坊主ぼうず責任せきにんかんじてくびをくくつてやがる』

 てるてる坊主の効き目がなく、雨は烈しくなるばかりなので、てるてる坊主は首をはさみでちょん切られようとしています。
 もうひとつは、資料㊻の『川柳きやり』38巻7号に寄せられている一句から[『川柳きやり』1957:24頁]。

照々坊主千切つて雨に捨てられる 一甫

 最後に触れておきたいのが、罰ではないものの、願掛けの時点でてるてる坊主をののしる事例。注目するのは『上伊那誌資料』第4(資料㉚)で、副題に「上伊那のわらべ唄」と付されています。「童言集」の節を開くと目に飛び込んでくるのが、次のようなわらべうたです[『上伊那誌資料』1957:101頁]。

てるてる坊主 糞坊主
あした天気に しておくれ。
          (七久保)

 七久保は現在の飯島町(長野県上伊那郡)にある地域。一般的には「てるてる坊主 てる坊主」と唄う箇所を、当地では「てるてる坊主 くそ坊主」と罵りの呼び名に替えて唄っているのがとても印象的です。

 本稿で注目した昭和32年のてるてる坊主を含め、もっと長い目で見た昭和30年代全般のてるてる坊主の動向については、また稿をあらためて検討できればと思います。


参考文献

【表1と表4に関わるもの】(発行年はいずれも昭和32年(1957)。丸数字は表の左端の№に対応。うしろのカッコ内は詳しい掲載箇所や作者等)
①坪田譲治〔監修〕柿本幸造〔絵〕『日本の名作童話』一年の学習文庫8 国語編、学習研究社(岡本良雄「あしたは天気だ」)
②『こどもクラブ一年生』(1)、東雲堂(「たのしいあいうえお」)
③西原慶一〔監修〕斉藤博之〔作・絵〕『よい子のおぎょうぎ』2年生、小峰書店(「えんそくの できごと」)
④古川晴男〔編〕藤原芳春〔絵〕『ちからのつく理科』5年生、国土社(「天気うらない」)
⑤『読切倶楽部』6(6)、三世社(「コント テルテル坊主」)
⑥同(あんど利一「昨日の志士 あらまッ天狗」)
⑦『婦人生活』11(6)、婦人生活社(「笑話とクイズ」)
⑧たかぎとうじゅ〔作〕かがわたかし〔絵〕『おりがみあそび』学級図書館 1年11、青葉書房(「てるてるぼうず」)
⑨三石巌ほか〔編〕村岡登〔絵〕『なぜどうして 理科ものがたり』1年生(学年別幼年文庫15)、偕成社(「てるてるぼうずで、あめが はれますか」)
⑩北町一郎〔作〕長安周一〔絵〕『げんきな子ども 3年生』、宝文館(「てるてるぼうず」)
⑪『少女クラブ』35(7)、講談社(新川和江〔作〕橋本潔〔構成〕「てるてるぼうず」)
⑫『幼児と保育』3(4)、小学館(わかやまのりひこ〔作〕「てるてるぼうずの七夕さま」)
⑬『ひかりのくに』12(6)、ひかりのくに昭和出版(早川元二〔作〕駒宮録郎〔絵〕「ふみきりばんとてるてるぼうず」)
⑭『おんがく』3、教育芸術社〈使用年度:昭和33~35年(1958~60)〉(「てるてるぼうず」)
⑮『小学一年生』13(4)、小学館(「てるてるぼうずつくり」)
⑯教育技術連盟〔編〕『学校劇と舞踊:新しい学芸会と新しい資料 小1-6』小1、小学館
⑰河村光陽〔作曲〕河村順子〔編〕『小鳩童謡百曲集』、新興楽譜出版社(清水かつら「とおせんぼ」)
⑱林健造ほか〔編〕『教育講座子どもの工作』第3 (くみたてる力)、美術出版社(「いろいろな材料にふれて」「目的のあるデザイン」)
⑲高久めぐみ『あしたはえんそく:はじめてかいたさくぶんしゅう』、東西文明社(「ざんねんな こと」)
⑳全国児童生徒作品コンクール審査委員会〔編〕『三年生のもはん作文集:全国児童生徒作品コンクール入選作品』昭和32年版、小学館(後藤英二「やなぎの木」)
㉑今井誉次郎・宮坂哲文〔監修〕『私たちの学級経営』小学1年、明治図書出版(「何でも話しあえる教室へ」)
㉒勝田守一ほか〔編〕『新しい学級づくり:講座学級経営』3年、牧書店(谷川澄雄「先生の遠足日記」)
㉓『日通文学』10(3)、日通ペンクラブ(今村延孝「森」)
㉔松石治子『年少組の保育:幼児教育の重要な一段階』、ひかりのくに昭和出版(「年少組週案例」)
㉕『明日香路』9(8)、明日香路社(成瀬晶子)
㉖『暖流』12(7)、暖流俳句会(湯原芳山)
㉗『川柳きやり』38(9)、川柳きやり吟社(足立可粋)
㉘『新墾:短歌雑誌』27(8)、歌誌新墾発行所(松尾久子)
㉙狩野誠『開拓農民』(人間の記録双書)、平凡社(村井順吉「もぐらの日記」)
㉚『上伊那誌資料』第4 上伊那のわらべ唄―長野県上伊那地方の童唄、上伊那誌編纂会(「童言集」)
㉛中野実『乾杯!東京娘』、東方社(「共同戦線」)
㉜『児童心理選書』第9巻、金子書房 (阪本一郎「児童の発達と国語教育」)
㉝山口県教育庁教育企画室〔編〕『教育広報』10(4)、山口県教育委員会(上田孝治「連載教育小説 良雄の成長」)
㉞東京都教育研究所ほか〔編〕『おもしろくてちからのつくたのしい算数』4年生、東西文明社
㉟毎日新聞社学芸部〔編〕『ポスト』第4集、修道社(「テルテル坊主の起り」)
㊱林健造〔編〕『教育講座子どもの工作』第4 (役にたつもの)、美術出版社
㊲気象庁〔監修〕『気象』2、日本気象協会(大井正一「夏山の遭難気象」)
㊳『歌と観照』27(9)、歌と観照社(米子玻津)
㊴『東京玩具商報』72、東京玩具人形問屋協同組合(田中信義・三村八郎「希望対談 第12回 先輩にものをきく」)
㊵田中教育研究所〔編〕『子どもとともに:親のための教育心理読本』第3 (小学校低学年の巻)、日本文化科学社(「低学年の知的生活」)
㊶『刑政』68(8)、矯正協会(星剣二「雨と収容者」)
㊷日置昌一『東西古今ものしり日記』第1巻 (1-3月)、万里閣新社(「王子製紙事始め」)
㊸小島六郎『山の遭難:初めて山へ登る人々のために』、ベースボール・マガジン社(「雨また雨にたたられる」)
㊹中野好夫・坂西志保〔編〕『教師』、潮文社(花岡芳春「春雷」)
㊺警視庁警務部教養課〔編〕『自警』39(5)、自警会(森二三九「頼まれ坊主」)
㊻『川柳きやり』38(7)、川柳きやり吟社(黒川笠子・堀井幸男・一甫)
㊼『土の花:句集』第1、相生小学校PTA文化部(三津原律子「花冠」)
㊽平山孝『さんご抄:平山孝随筆集』、四季社(「テルテル坊主」)

【そのほか】
・春日俊吉『山岳遭難記』第2、朋文堂、1959年a(「鷲羽岳北方稜線上の風雨異変」)
・春日俊吉『山岳遭難記』第3、朋文堂、1959年b(「アルプスの谷の彷徨十三日間」)

#創作大賞2024

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?