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ドイツのミーティングに参加 その6

パスポートを取り戻した!

オートバイでブレーメンを出発。アウトバーン走行の途中でパンク修理をしながらおおよそ450kmの距離を走って、ローレライ近くの会長の家まで無事?戻って来ました。
とりあえずホッとしたものの、翌日は再発行されたパスポートを取りに当時の首都、ボンの領事館(当時)に行ってから出国しないといけません。
会長の奥さんは車でミーティングに参加していたのですが、もちろん先に戻っていました。
夜になって、夕食後に「寝たいか?、それともお風呂に入りたいか?」と聞かれ、パリを出てから3日間はシャワーだけ、排ガスで汚れていたから、「日本人は毎日風呂に入る。もちろん、風呂に入りたい」となりました。
会長が先にお風呂に入って、なぜ浴室の中が見えたかは忘れましたが、円形のお風呂に入りながら上を向いて大いびきで寝ている姿を見ました。
「それはそうだよな、着くや否やパスポートを落とし、帰りはパンクして炎天下の中アウトバーンを3キロも歩いて戻って、体も頭も疲れ切っている。申し訳ない」と反省。
翌日の朝、会長が私に「パスポートを拾ったという人がいるから、取りに行こう」と言われました。「本当!」当時はまだEUになる前。イミグレ―ションでは日本のパスポートを水戸黄門の印籠のように外側を見せるだけで担当官が手を振って、「いいから通れ」とチェックも押印もせずに通り抜けられました。あれは気持ちがいいものです。日本に信用があるから、ノーチェックなのですから。
私がパスポートを落とした店から直接か、警察を通してかは分かりませんが、小さな事務所に会長と一緒に行きました。
そこには、正しく真っ赤な菊の御紋のパスポートが!中を確認すると間違いなく自分のパスポートです。
お礼を言って、受け取りました。「何かお礼をしたい」と会長に言いましたが、「お礼はいらないそうだ、帰ろう」だそうです。
会長の自宅から領事館に電話して、「パスポートを拾って届けてくれた方がいて、自分の物と確認しました。再発行したパスポートは不要です」と伝えました。申請の費用はもちろん戻りませんが、「良かった~、戻って来た。これでパリに戻れる」とホッとしたのです。
ケルン中央駅まで送ってもらい、ホームで見送ってくれました。ヨーロッパの駅は入場券不要で自由に立ち入れます、その時の写真です。
この写真のコピーでは読めませんが、ちょうど今、パリ オリンピックが開かれていて、その直前に妨害行為の影響を受けた駅、PARIS  NORD(パリ 北駅)行きと書いてあります。

お別れに時には日本語で「ありがとうございました」

私がかなり小さく写っていますが、それは会長の身長が高いから。上から見下ろすようにカメラを向けているからです。
「パスポートをなくしたり、アウトバーンでパンクしたりして、あなたには大変な迷惑をかけた。ごめんね」。最後に日本語で「ありがとうございました」と言いお別れしました。
帰りは昼間の電車だったので、ゆっくりミーティングの興奮を思い出しながら、ヨーロッパの車窓の風景を楽しみました。
夜にパリ 北駅に着き、従兄弟の部屋に戻りました。友達にはドイツワインを買って、ホームパーティーで振舞いました。
この時、パリには3か月間滞在していました。だから乗り換えや目的のところまで一人で行けます。パリにはその後も家内と訪れています。機会がありましたら、また旅行記を書きたいと思います。

”その5”でも書きましたが、この年のパリは猛暑で最高気温41℃という日があり、珍しく湿度も高かった。その日にシャンズ エリーゼ通りの電話ボックスからオープンチケットのリ コンファームの電話をしたのですが、余りの蒸し暑さで電話ボックスの中で気が遠くなりそうでした。
当時はまだスターバックスはパリにはありませんでした。余りに暑いのでカフェ グラッセ(アイスコーヒー)をよく飲んでいました。元々、フランスにはアイスコーヒーを飲む文化がなく、日本人がアイスコーヒーを飲んでいて、それが「これ、冷たくて美味しいね」とフランス人に広まったと聞きました。
今や一人旅の人気ユーチューバーの”しげ旅”を見ていると、世界中のスタバでアイスコーヒーが飲めるようですが、どうやら発祥は日本のようです。

パリからの帰りのアエロフロートで、モスクワ空港からイタリアからのサッカー選手の一団のトランジットと乗り合わせました。モスクワ経由で日本へ練習試合に行くのだそうです。おそらく中2から高1くらいの感じ。
私の後ろの席にコーチとおぼしき責任者が2人乗っていて、話をしたら「彼らのうち何人かは、将来イタリア代表になるだろう」と話していました。U-17とか、U-15位のイタリア代表だったのでしょう。
その頃はサッカーに興味が無かったのですが、もしかしたら少年時代の名選手と同乗していたのかも知れません。旅客機が着陸すると、みんなで大拍手して大喜びしていたっけ。さすが陽気なイタリア人ですね。

ドイツの会長にはその後、また会う機会がありました。フィヨルドもツーリングしていますが、それはまた後で。
そのような繋がりがあり、マジ軽ナットをドイツにサンプル輸出しています。ドイツ人でも分かるですよ、効果が。

静電気の帯電でゴム分子の動きが悪くなっているのが、タイヤを除電すると分子の動きが良くなる。初めてオートバイで走行テストした時は、路面に対してタイヤがまるでシルクのように滑らかに接地する。ステップやシートを通してその感覚が伝わるのです。それで、「接地感の向上」と表現するようになりました。この感覚は体験した人しか分からない。
ユーザーによっては「しっとりした」、「路面に張り付くように」とか様々な表現があります。
一般走行では転がり抵抗が低減するから、いわゆる「転がりが良くなる」だけではなく、タイヤの摩耗も低減してタイヤダストも減ります。走行安定性が高まり、安心して楽しく走れます。
レースではホイルスピンがしにくくなるので、ドリフト走行はしにくくなります。つまり、走り方が変わる。
シーズン中の2輪レースですから、シーズン後に話を進める事になります。
タイヤの変化に合わせたライディングが出来るライダーを選定する必要があります。
鈴鹿8耐でお分かりの通り、燃料消費やタイヤの寿命はレースに大きな影響を及ぼします。転がり抵抗の低減は、レース運びにもの凄く有利です。
オリンピック競技でも車輪を使う競技は多い。いろいろと話はするのですが、何しろ技術的知識がなく説明しても理解できない。
中学生の理科レベルの話なのに、それが分からない。
そのようなスポーツ団体からの問い合わせは、技術が分かる方からお願いします。

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