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★キャンピングカー生活まであと88日★「信じること」

あした何の日?

こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか?
ぐっちーです。

今回のテーマは「信じること」です。

このテーマにした理由は、最近の世界の状態がどんどん不安定になっているニュースを見たからです。

具体的にいえばパレスチナ・ハマスによるイスラエル侵攻。

私は解説の記事や動画を見るに留めており、映像資料は過激なものもあると聞いて、極力見ないようにしています。

この争いは古来2000年前からの歴史・宗教・人種問題のみに留まらず現代の政治・国際関係があらゆる面で絡まり合って、ついに火がついてしまったと聞きました。

こと宗教に関しては同じイスラム教から分かれた幾つかの「流派」があり、それを支持する/しないで対立になってしまうのだから、今回宗教の悪いイメージがついて回っているのではないかと思います。

(細かい定義は省きますが)日本人だから無宗教、というのも相まってピンとこない人も、私を含めて多いと思います。

しかし「信仰」「信者」「信心」といった言葉があるように、宗教=信じるところから始まっているものというのは容易に想像できるところかと思います。

私もnote記事の中に四柱推命を主として占いのことなんか書いたりすることもありますが、これも自分が"信じている"ことの一つです。

ここで言いたいのは、宗教がどうの、占いがどうの、スピリチュアルなことじゃなくて。

この世の事象や技術、学問、人間関係や自己認識など...
ほとんど全ては誰かが信じた結果であるし、信じることでしか始まらないし成立しないんだろうなぁってこと。

どういうことか。


自然現象などは古来、神の恵みや神の怒りと信じられ
てきた。

科学技術だって、研究者が「より良いものが作れるはずだ」と信じてスタートして。
ニュートンが林檎をみて重力を研究したのも「重力があるはずだ!」と信じたからでしょう。

人間関係に関しては「あの人は私を信じてくれてる/私はあの人を信じてる」と思い築いていく部分も多い。

自分に対して信じることもさまざまな原動力になる。

それが良い方向にむかうこともあれば悪い方向にむかうこともある。




今回の、というか人類の戦争の歴史はすべからく「信じるもののぶつかり合い」なわけで。「正義vs正義」なわけで。

全く反対のことを同じくして信じる人が、一人じゃなく何人も存在することが人間の面白いところというか、哀れなところというか...


信じることは"悪"なのでしょうか?
信じることは"愚か"なのでしょうか?

私の答えはNoとしておきます。
前日の通り、信じることで生じた技術や認識、関係性というのが存在します。

この世は表裏一体。
「信じること」事態に善悪があるわけではなくて、それ自体を扱う人間次第で、善にも悪にもなり得る。

「信じること」を上手く操るコツは視点を自分の外部に置くことだと思っています。

信じることによって身の周り、会社、人間関係、経済、世界にどのような影響があるか?

外の視点に思いを馳せることがトラブル回避のコツなのではないでしょうか。




とはいっても人間、間違いを犯して成長する生き物です。

「愚者は経験から学ぶ、賢者は歴史から学ぶ」という言葉があります。
この代表例が戦争だと思います。

歴史上、幾つもの戦争が起きています。
なのに今の世界を含めて人類は学習していません。

賢者になれ、とは言いたくありませんが
戦争を起こすことは愚かだと言わざるを得ません。

「自分の信じることが必ずしも正しいわけじゃない」と一呼吸おくことが大事。他人に相談するのが良いですね。

その上で、自分の信じることを追い求めるべきだと思ったら、アクセル全開にすればいい。

今の世界はブレーキのない暴走列車があらゆる場所で走り回っているような感じがします。

それによって様々なところで事故に遭う人たちがいる。

信じる者は救われる。
この言葉は半分正解で半分不正解だと思う。

この世は表裏一体。
自分や周りが救われているようでも、裏に救いを求めたくなるほど悲惨な思いをする人がいる。

光あるところの陰に気づける人が増えるといいな。

<<<あと88日>>>
儲かる=信じる+者

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