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私が再び走り始めた理由 vol.1 〜走り切れなかった中学時代〜

30台半ばでランニング習慣を再開し、早3ヶ月が過ぎました。

最近は、東京オリンピックのマラソン、最期の一枠の争いを興奮して見つめていました。大迫選手の東京マラソンでの激走、名古屋ウィメンズマラソンでの一山選手の力強い走り。素晴らしかったですね。

彼らが走ってる理由ってなんだろう?と思うのと同時に、自分はなんで走ってるんだっけな?と思うことがあります。

私がなぜ7年振り・30台半ばでランニング習慣を再開したのか、なぜ舗装されていないトレイルを走りたいと思いチャレンジを始めたのか。どうでもいいかもしれませんが、ちょっと書いてみたいのでお付き合いください。

小学時代 辞めたくて仕方なかったサッカークラブ

大きく遡ること、26年。

小学校2年頃から、地元のサッカークラブに入っていました。はっきりとした理由は覚えていないですが、確か叔父がそのサッカークラブのコーチをしていたこともあり、なんとなく入ったのでしょう。

ただ、私には向いてなかった。

決してドンドン前に行くタイプでもなく、引っ込み思案だった小さい頃の私は、「はい、二人組みになってパスの練習して」と言われれば、誰にも声をかけられず一人残る始末。自分の責任でゴールされることが怖かったのか、試合でボールが来てもすぐにワンタッチで前線にクリアしてしまう。

「やめる!」と何度も死に物狂いで訴えながら、結局5年間、小学6年まで続けたのでした。私は一つの会社で4年以上いたことがないので、これまでで一番長く組織にいた経験が、これ笑。

中学時代、晴れて単独競技へ。しかし。

さてさて、「チームスポーツは自分には無理」と12歳にして悟りを開いた私は、中学生に入るやいなや、個人スポーツの最高峰・陸上部に入ります。リレーなんてもちろんしません。中距離です。

幼稚園の頃から身長や生育状況など身体的には人並み以上には恵まれ、身体能力は低くなかったからでしょうか。陸上部はじめの大会で男子1500mの出場枠2人に選ばれました。

おしっこを漏らしそう(ちょっと漏れてました)な緊張感。
脚の血が止まるほどきつく結びすぎた靴ひも。

初めて踏むタータンの柔らかさ。
そこに「カッカッ」と食い込むスパイク。

記録は、5:09。

初めてにしては別に悪くはない。ただし全然よくもない。

しかし何よりの悲劇は、この初出場の記録が、私の中学時代のベスト記録となってしまったことでした。

実は、これが私の走る理由の一つです。

悔しさを感じない

私は、何をするにも、あまり悔しさを感じません。良くも悪くも、です。

悔しさを感じないと、ひとの気分には波風が立たず、平穏でいられます。その一方で、向上心に欠けます。あの人の記録を抜きたい、とか、自分の記録を更新したい、とか。そういう気持ちが湧きづらいのです。

そして、私は、それなりに練習を頑張りましたが、その頑張りは”人並み”の域を超えることはありませんでした。辛い練習のその一歩先にある世界を覗くことすらなく、私は陸上部生活に幕を降ろしました。

中学校の同学年全員が走る長距離走大会でも、1年で3位、2年で9位、3年で16位といった具合に、毎年順位を落としていきました。1年の頃にはずっと負けるはずがないと思っていた陸上部の同級生にも、あの時一緒にサッカーをしていた今はサッカー部のキャプテンとなった同級生にも、最終ストレートで抜かれていきました。

そんな私です。中学最後の駅伝大会のメンバーにはもちろん選ばれず、けど悔しさを感じることもなく、中学を卒業しました。

「なぜあの時、もう少し頑張れなかったんだろう?」

私が”いま”走る理由のひとつ。

それは、中学時代、1500m4分台すら達成できなかった自分を超えたいからです。

中学時代に感じなかった悔しさが、長い時間をかけてじっくりと発酵してきたかのように、少しずつ芽生えてきているのです。

「なぜあの時、もう少し頑張れなかったんだろう?」

今、1500mで5:09を切ったからといって、4分台を叩き出したからといって、どうってことはありません。ましてや誰かのためになる訳でもありません。

ただ、私にとっては、確実に”何かの意味がある”ことは確信できます。

中学時代の1500mベスト記録に打ち勝ちたい

誰かの世界を変えるほどのチャレンジじゃない。けど自分の世界は大きく変わるかもしれないほど意味のあるチャレンジ。

30台半ば・元陸上部サラリーマンの挑戦。

中学時代の1500mベスト記録に打ち勝つ。

よろしければ、そこまでの道をお付き合いください。

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