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【隙自語】彼氏がいる=幸せなのか

■ これは何

隙あらば自分語りのコーナー。この歳(26歳)になって彼氏ナシの今の心境を考察してみる。

■ 私にとって恋人とは

最後に彼氏がいた時期からもう2年以上経つ。破局の原因は彼がバックパッカーになると言い出したからだ。バックパッカーになりたいと思ってるんだけどという相談ではなくて、なるという宣言をされた。あっそ勝手にすればと呆れて別れた。

思い返すと私の男性遍歴は人とは違った少し変わったものだったと思う。もちろん初恋もあったし、好きな人も人並みにいた。初めて彼氏ができたのは中学生の時で、一緒に下校したりメールのやり取りをしただけだったと記憶している。もはやそれって彼氏と呼べるのか謎すぎる。そしてその後の私はジャニーズにどっぷりハマった。関ジャニの安田章大にガチ恋していた。安田章大以上にかっこいい男はこの世にいないと本気で思っていた。だからこそ同級生の男子生徒など鼻クソにしか見えてなかった。その鼻クソマインドのまま女子校に進学し、女の園で同性とバカ騒ぎして過ごし、せっかくの華のJK時代を棒に振った。大学に進学して彼氏はできたが長続きせず、今のところの最後の恋人であるバックパッカーともお別れすることになった。一番直近で好きだった人も伊吹藍(綾野剛)だし、ドラマの登場人物と付き合えると本気で思うほど私はバカじゃない。

人生で一番楽しかった期間は?と聞かれたら私は迷いなく高校時代と答える。人生で一番好きだった人は?と聞かれたら私は迷いなく安田章大と答える。つまり恋人がいたからと言って特別な経験をしたわけではなかった。そりゃあ楽しくなかったわけではないが、私の人生において全ての一番は恋人とは関係ないものばかりなのだ。だからこそ恋人という存在が必要なのかどうか今の私には余計によく分からないのである。

恋人ができると自分の生活が恋人主体になる人がよくいる。ほぼ依存状態の人。友達付き合いもしなくなり、恋人のために全てを捧げる人。私(俺)にはこの人しかいないと平気で言う。そんなはずがないのに。そこまでその人に寄りかかる理由が知りたいと私は思う。と同時にそんな経験をしてみたいとほんのちょっと思ったりもする。

結局のところ今の私にとって恋人とは、この映画観たいなこのスイーツ食べに行きたいなと思った時に真っ先に誘う相手程度の認識でしかない。それならば、気も使わない笑いのツボも同じ最低限のコミュニケーションで意思疎通ができると出かけたいと考えてしまう。

■ 私にとって結婚とは

だがアラサーとなり、恋人と呼べる存在が隣にいないことに対して猛烈な焦燥感を感じる場面は少なくない。それはきっと"結婚"が常に念頭にあるからだ。今が26歳。30歳で結婚したいと考えているとしたらあと4年しかない。4年の内に出会って、お付き合いを始めて、プロポーズをされるかするかしないといけない。だから26歳の私は焦ってしまうのだ。

子どもの頃は大人になったら誰でも自動的に結婚できるのだと信じて疑わなかった。周りの同級生が入籍しましたという報告と共に婚姻届に指輪を三つ置いた謎の写真をインスタに上げる度に目を背けたくなる。まるで結婚を国民の義務かのように感じてしまっている自分に気付いた。

じゃあ結婚のメリットって何?と考えてみた。まずは好きな人と一緒にいられるということ。これは確かにいいかもしれない。けれど私はめんどくさいことに例えどんなに好きな人であろうと他人と長時間一緒にいられないタイプだ。絶対に一人の時間が欲しくなる。家族だけはその限りではないのだが、旦那は所詮赤の他人である。だから私はもし結婚したとしても同じマンションの別の部屋に住む別居婚が理想だなと考えている。次に挙げられるメリットは、おばあちゃんになった時一人じゃないということ。私はこれが一番大きいと思っている。いつかは親も死ぬし、兄妹だって離れていく。自分が年老いた時、隣に誰かいるだけでどれだけ安心だろうかと思う。離婚するかもしれないし、子どもも孫もできないかもしれない。結婚しても結局老後は一人になる可能性もある。だけど結婚に求めるものはきっとそのぐらいしか私の中にはない。結局私は孤独死に怯えているだけなのだ。

じゃあ結婚せずに同じ考え友人と近くで暮らしてお互いに支え合えばいいんじゃないか、と考えたこともある。だけどマラソン大会一緒にゴールしようねの契りが守られたことが未だかつてあっただろうか。もし生涯独身同盟を組んだ友人が結婚することになったとしたら、多分私はすごくショックを受けるし、逆もまた然りだろう。それなら最初から傷つかないようにしたいし、友人にもそういう約束を押し付けたくない。

結婚をしたらしたで別の世界が待っているのだろうけど結婚は人生の墓場と言う先輩たちもいる。永遠の愛などは私も信じていないし、自分が父親に感じるイライラとか死ねクソジジイと思ったりすることと似たようなものを将来旦那となる人にも覚えるんだろうなと思うと今から萎える。ゲキ萎えする。好きで一緒にいたいから、という理由だけで結婚する人たちをすごいと思う。あんなに好きだった安田章大でさえ、今はもう好きじゃない私は自分の好きに自信がない。

■ 私にとって幸せとは

幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった雨に傘を差せる事だ

backnumberの「瞬き」という曲にこのような歌詞がある。私の勝手な解釈だがこの歌詞は、幸せは(星が降る夜と眩しい朝=)楽しかったり嬉しかったりすることだけじゃなくて、大切な人(に降りかかった雨=)の辛いことや苦しいことも引っ括めて支えていくことだよという意味と捉えている。これはこの曲の主人公にとっての幸せだと思うが、もしこれが幸せという言葉の定義として作られたのだとしたら余計なお世話だと思ってしまう。人の幸せを勝手に決めつけないでほしい。

幸福(こうふく)
心が満ち足りていること。また、そのさま。しあわせ。

広辞苑によると幸せとは心が満ち足りていること、またそのさまを表すらしい。「瞬き」の主人公のような考えを微塵も持ち合わせていない私にとって自分が楽しけりゃ、自分が嬉しけりゃそれはもう既に「幸せ」なのである。

だから結論として恋人がいる=幸せにはならないと思った。すごい爆睡できたらそれはもう幸せだし、一度も赤信号に引っ掛からずに目的地まで着けたらそれも幸せだし、フリマアプリで公式の倍の価格で出品していたのに買い手がついたらそれも幸せだし、ディズニー当日が晴天だったらそれもまた幸せなのである。

好きな人すらいない今だからこんな考えなのかなとは思うし、好きな人ができたら180度言ってることが変わるかもしれない。孤独死はやっぱりまだ怖いけど別に結婚する気も今のところない。結婚できたとしても、独りにならない保証もどこにもない。それならもう最初から独りで生きていくつもりで、誰のことも当てにしないになろうと思った。私は私なのだから。独りで生きていく覚悟のために、この先一生できる仕事に就こうと思って、前からやってみたくて学んでみたかったことについてのスクールに通うことにした。入校試験の狭き門も突破して、いよいよ来週から授業が始まる。だから恋人がいなくてかわいそう結婚してなくてかわいそうって顔してくる人がいたら「あんたが思ってるより私かわいそうじゃないの」と自分のネイルをそいつに見せながら言えるようになるのが今の目標。だって自分で稼いだお金で自分がかわいいと思える爪にしてもらって生きれてるだけで毎日幸せじゃない?




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