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「道徳」vs「法律」


○この事例の男性の行動は間違っている??


 妻が病に倒れました。すぐに薬屋へ薬をもらいに行きます。しかし、その病を治すことができる薬は高額で、今の自分にはとても払うことができません。だから夜中に薬屋に忍び込んで薬を盗むことにしました。意を決して実行し、妻の病を治すことに成功しましたが、盗みがバレて逮捕されました。

 彼の行動は間違っていると思いますか?

 

 おはようございます!NBA選手になって、ずっとベンチだった夢を見たT.Puです!

 さて(笑)。

 これは以前、大学の授業かなんかで問われた問題です。うろ覚えだったので詳細は異なると思いますが、だいたいこんな感じだったと思います。

 なぜ私がわざわざこの問いを引っ張ってきたかというと、「法律は絶対なのか」ってことを考えていきたいからです。

 

私の記事を何個か読んでくださっている方ならお気づきかもしれませんが、私はヒーローが大好きです。

 そして、ヒーローが大好きだから「正義とはなんなのか」、「正しいことはなんなのか」ってことをめちゃくちゃ考えます。

 その思考を突き詰めていくと最終的には、決まって「道徳」をとるか、「大衆の考え・利益」をとるかっていう二項対立になるんですよね。"シビル・ウォー”なんてまさにそうでしたし、ここ最近公開された”エターナルズ”、”スパーダーマン・ファーフロム・ホーム”もそうでした。

 そして、「大衆の考え・利益」が体現されたものが「法律」だと思います(詳しくは後で述べます)。

 だから私は今回、「道徳」vs「法律」という二項対立から、本当に「法律は絶対なのか」ってことを考えていきたいと思います!

 よろしくお願いします!


○道徳とは? 


 道徳は人類が長い歴史の中で積み上げてきたものと言えると思います。

 例えば、絶対王政の時代に「他人と平等に接しなさい(平等)」、「他人を支配してはいけない(自由)」という道徳はなかったでしょう。

 しかし革命を経て、戦争を経て、自由や平等という道徳が形作られていきました。

 道徳というのは人類の様々な愚行を乗り越え、紡がれてきた教訓の塊なんです。

 

 私は今回特に、「生命・自由・平等」を主たる道徳的価値として述べていこうと思います。


○法律とは?


 法律とは、道徳的価値である「自由」を、国民全員が痛み分けして生まれたものだと考えます。

 極端ですがこんな例を出します。

 私たちが自由な存在であれば「時速200kmで一般道を運転する自由」もあるはずです。

 ですが人間は社会的生物です。そんなことしていたら秩序は乱れ、大変危険な世の中になるでしょう。

 だから、私たちは「時速200kmで一般道を運転する自由」を放棄して、安全に生きることを選んでいるのです。

 みんなで共通の利益を探り合い、自由を少しずつ献上する形で生まれたものが法律と言えるでしょう。


 しかし、法律というのは多くの人の中間点を探って生まれたという性質上、大多数の人によって都合が良いように作られています。

 「死にかけの妻がいるのに薬が買えない夫」や「時速200kmで車を走らせないと、息子が助からない母親」など、超少数の人には適用されないんです。

 上記の二つの行動は最も最上位の道徳的価値である「生命」を守るための行動です。

 しかし、法律による裁きを受けてしまいます。

 これを受けて再度問います

 

法律は絶対なのでしょうか??


○私の結論


 再び最初の事例を挙げます。

 妻が病に倒れました。すぐに薬屋へ薬をもらいに行きます。しかし、その病を治すことができる薬は高額で、今の自分にはとても払うことができません。だから夜中に薬屋に忍び込んで薬を盗むことにしました。意を決して実行し、妻の病を治すことに成功しましたが、盗みがバレて逮捕されました。

  私は「生命」、「自由」、「平等」の順で価値の高い概念だと考えています。

 そして、より価値の高い概念のために、価値の低い概念を捨てるのは、私は決して間違っていないと思います。

 この男性は価値の高い「生命」のために、「人のものは盗ってはいけない」という価値を捨て、盗みという行動を起こしました。

 その結果、逮捕されるということにはなりましたが、それは間違っていることだとは思いません。

 ただ、男性が逮捕されるのが不当かと言えば、そうではないと思います。男性は逮捕されなければなりません。それは社会の安定のためです。

 法律を破ればどんな理由があっても逮捕されるという意味では法律は絶対的なものだと言えるでしょう。

 しかし、男性は法律を破ることによって、1人の「生命」を救うことに成功しました。これは間違っていることでしょうか?私はそうは思えません。

 このことから、必ずしも「逮捕される」=「間違っていること」ではないのだと思います。

 よって、✅法律は万能ではないし、必ずしも絶対ではないというのが私の結論です


 自分が捕まるとわかっていても、「生命」のため、「自由」のため、「平等」のため行動を起こす。

 あれ、誰かを思い出しますね・・・?

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 彼は「ソコヴィア協定」が人々の「生命」、「自由」、「平等」を損なう可能性があるとして、協定に違反する決意をしました。その結果、追われる身となりました。

 その時彼は「なんで僕たちが追われるんだ!おかしいだろ!」と主張したでしょうか?

 いいえ。彼は追われる身になることは当然だと受け入れ、それでも自分が信じる、正しいことをしようとしたのです。

 最高にかっけえです。


 よって、「法律を破らなければ大事なことが失われる場面に遭遇した」かつ、「自分が逮捕され、罪を償う覚悟がある」のなら、もしあなたが法律を破って逮捕されたとしても、自分を責める必要はないと思います。

 でも命を奪う行為はダメですよ??「生命」は道徳的価値最上位なんですから。どんな理由があっても、それだけは許されないことだと思います。

 そもそも、そんな選択を迫られる場面なんてそうそうないですから、基本的にはちゃんと法律を守りましょうね!


○最後の問い


  ここは校内お菓子持ち込み禁止の小学校で、あなたはこの学校の教員です。
  

  バレンタインデーに受け持ちのAちゃんがBちゃんにチョコを渡しているところを発見しました。
  

 あなたはチョコを没収した上で、Aちゃんに反省文を書かせることにしました。 

 反省文の内容を見ると、AちゃんはBちゃんに大きな感謝の気持ちがあり、それを伝えたかったとのことです。

 その反省文を踏まえてあなたはどんな声かけと、行動をしますか?



 今回はすごく物議をかもす内容だったと思います。もしよかったら、反対意見でも感想でもなんでも良いので、意見交流ができたらと思います!!

 ここまで読んでくれてありがとうございました!
 



 


 



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