小学校教員3年目😤 負けるなT.Pu

3年目の小学校教員です/ 理想は【全ての子どもを人生の主人公に】/でも現実は【2年連続…

小学校教員3年目😤 負けるなT.Pu

3年目の小学校教員です/ 理想は【全ての子どもを人生の主人公に】/でも現実は【2年連続で学級経営失敗】/「現実に打ちのめされた先生がどのように成長していくのか」というドキュメンタリーのようなアカウントなのかもしれないです!/果たして僕はどんな先生になっていくのでしょうか?

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

『スーパーこども食堂』を作りたい!!!!

 この記事は前回の記事の続きになります。まだ見られていない方はこちらからどうぞ⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎⬇︎   ○「学力格差」と「経済格差」は切り離せない   前回の記事では、親の経済状況が子どもの学力に大きく関わるという話をしました。そして学力の格差は高確率で「経済格差」を生み、「経済格差」が再び「学力格差」を生むという負のループが起こっているという話もしま

    • 幸福に辿り着きやすいけど辿り着きづらい世界

       幸福について考えていきます。  幸福ってなんでしょうか?「僕は」2種類あると思っていて、それに便宜上名前をつけるとしたら「動物的幸福」と「人間的幸福」になるのかなって思います。 「動物的幸福」とは、外部からの刺激によってもたらされる刹那的なものです。何も努力しなくても、簡単に得られます。反面、持続性がなく、麻薬のような依存性があります。同じ刺激じゃ満足できず、「もっと、もっと」を求めるようになります。飲酒、パチンコ、ギャンブル、SNS、ゲームなどがこれにあたります。

      • こ・ど・く こ・ど・く と・に・か・く・こ・どく🎵

          「ああなりたい」って思える人が身近にいません。    これは何も、周りに尊敬する人がいないという話ではありません。尊敬する人はめちゃくちゃたくさんいるし、日々たくさんのことを学ばせて頂いています。でも、「ああなりたい」って思える人がいないんです。  また、生き様として「ああなりたい」っていう人がいないーというわけでもありません。あくまでも、仕事ぶりや役職、役割の問題であって、生き様に憧れる方々はたっくさんいます。  これはなんでなんでしょうか??  現時点では

        • 理論をする人が現場を小馬鹿にし、現場が理論をする人を小馬鹿にするのであれば、どうして理論を開発する必要があるでしょうか??    両方の世界を知り、理論と実践の架け橋になれるような存在・・・そんな先生に出会ってみたいです。 、

        • 固定された記事

        『スーパーこども食堂』を作りたい!!!!

        マガジン

        • 自分に突きつけたい記事
          1本
        • 定期的に読み返さなきゃダメな自分の記事
          9本
        • 初任のペーペーが参考にしたい記事
          28本
        • 2年目の記事
          1本
        • 初任時代の記事
          116本
        • 親愛なる教師を目指して頑張る、新人T.Pu(大学時代)の記事
          107本

        記事

           自分が上とか下とか、すごいとかすごくないとかではなく、僕は大多数の先生みたいにはなれないんだろうなってなんか思いました。タイプの問題です。  ヒトカゲがカメックスに憧れず、リザードンに憧れるように、僕にとってのリザードンを早く見つけたいです。  

           自分が上とか下とか、すごいとかすごくないとかではなく、僕は大多数の先生みたいにはなれないんだろうなってなんか思いました。タイプの問題です。  ヒトカゲがカメックスに憧れず、リザードンに憧れるように、僕にとってのリザードンを早く見つけたいです。  

           行政と現場を一年ごとに行ったりきたりする人がいれば、お互いの理解も深まって、より良い教育ができるんじゃないかなって思います。  第二次世界大戦中のアメリカ軍もこのように戦場と司令部を行ったり来たりしていたそうです。  「あっち側」「こっち側」って分断されるのは良くない・・・

           行政と現場を一年ごとに行ったりきたりする人がいれば、お互いの理解も深まって、より良い教育ができるんじゃないかなって思います。  第二次世界大戦中のアメリカ軍もこのように戦場と司令部を行ったり来たりしていたそうです。  「あっち側」「こっち側」って分断されるのは良くない・・・

          三連休あけって、なんとなくふわふわしません?? 寝起きみたいな??夢から覚めたばっかみたいな?? 今週も頑張りましょ〜!

          三連休あけって、なんとなくふわふわしません?? 寝起きみたいな??夢から覚めたばっかみたいな?? 今週も頑張りましょ〜!

          もう死んでもいいや

           先週、お家の窓から見える雲をぼーっと見ていて、何の脈絡もなくそう思いました。  これは何かが嫌になったとか、人生に絶望したとかそんなものではなく、むしろ真逆で、今まで味わったことのないくらいの内面的な充足感からきたものでした。  この内から湧き出てきて体を包むような充足感の正体は、圧倒的な自己肯定感でした。「あなたが僕でよかった」「あなたの人生は素晴らしいものだ」「あなたの周りは素晴らしい環境だ」そんな言葉が頭をぐるくるしました。  そして最後に出てきた言葉、というか

          似たもの同士って引きつけあうのかな?

           『Pu先生って職場でどんな人ですか?』  と僕の職場の人に尋ね、忖度なしで答えてもらったとしたら、「ポンコツな人」「ドジな人」という人が一定数いるでしょう。少なくとも、バリバリ優秀な人という人は皆無なんじゃないかなって思います。(わからないですけどね)  僕自身も自分自身のことを同じように評価していて、同期や後輩と比べても今ひとつ戦力にはなってないないし、活躍はできてないのかなって思います。    でも、そんな僕をなぜか面白がったり、気にかけてくだっている(ような気

          似たもの同士って引きつけあうのかな?

          「大人にしないことは子どもにするな」という風潮について

           例えばですけど、給食をこぼした児童を怒鳴りつけ、代わりに処理するっていう指導は良くないって個人的には考えています。この指導には良くない要素が2つあります。 まず一つ目が「怒鳴りつけること」。そして二つ目が「代わりに処理すること」です。今回は、なぜこれらがまずいと思うかを、伝える記事にしていきたいと思います。それではよろしくお願いします!!  最近の教育界の風潮として、「子どもの人権を保障しよう」というものがあります。とっても簡単に言っちゃうと、「大人にしないようなことは

          「大人にしないことは子どもにするな」という風潮について

          例えばですけど、「給食こぼした児童を怒鳴って、(先生が)こぼしたものを処理する」っていう行為は個人的に良くないなあて思っちゃうんですよね。 僕と同じ感覚の人いないでしょうか??

          例えばですけど、「給食こぼした児童を怒鳴って、(先生が)こぼしたものを処理する」っていう行為は個人的に良くないなあて思っちゃうんですよね。 僕と同じ感覚の人いないでしょうか??

          傲慢になっている期のあとは、鼻折られる期が来るのは僕の「あるある」です。 その以降の兆しが見えてます。何となく学級のうまくいってない感です。 逆に言えば成長するのはこの時期です。よーし、成長するぞ!✨

          傲慢になっている期のあとは、鼻折られる期が来るのは僕の「あるある」です。 その以降の兆しが見えてます。何となく学級のうまくいってない感です。 逆に言えば成長するのはこの時期です。よーし、成長するぞ!✨

          僕はどんな時でもきっちり5時半に目が覚めます。前日何時に寝ようと例外なくです。 でも今日・・・。「何ヶ月ぶり???!」ってレベルで寝過ごしました。僕って寝過ごすことあるんだ・・・。

          僕はどんな時でもきっちり5時半に目が覚めます。前日何時に寝ようと例外なくです。 でも今日・・・。「何ヶ月ぶり???!」ってレベルで寝過ごしました。僕って寝過ごすことあるんだ・・・。

          昨日うちのクラスで自分のことが好きかという話になりました。すると大半の子が「嫌い」とのこと。どれだけ考えての意思表示かは分かりませんが責任を感じました。 この出来事で気づいたんですが、僕は自分の価値を信じられない人を見ると「なんとかしないと!」って思うみたいです。

          昨日うちのクラスで自分のことが好きかという話になりました。すると大半の子が「嫌い」とのこと。どれだけ考えての意思表示かは分かりませんが責任を感じました。 この出来事で気づいたんですが、僕は自分の価値を信じられない人を見ると「なんとかしないと!」って思うみたいです。

          昨日の夕方、不意に「もう死んでもいいや」と思いました。 全ガティブな気持ちからくるものでは全くなく、とんでもない精神的充足からくるものだったようの思います。今自分は幸せなんだろうな〜

          昨日の夕方、不意に「もう死んでもいいや」と思いました。 全ガティブな気持ちからくるものでは全くなく、とんでもない精神的充足からくるものだったようの思います。今自分は幸せなんだろうな〜

          「最近の若者は・・・」←今の若者を育てたのは誰だ?

           よくある若者批判を見ていきます。  ・・・なんともまあ、痛烈なものばかりですが、これらの若者批判に対して、1人の若者としてこう問い返させてください。  じゃあ、そんな僕たちを育てたのは誰? と。  誰かと言われれば、今まさに若者を批判している、大人達です。親や教師、上司達です。もし、今の若者を批判するのであればそれは同時に自分たちの行った教育の責任を問うことにもなるのだと思います。「自分たちの教育が失敗だった」と。    ただ、僕自身は今まで受けてきた教育が失敗

          「最近の若者は・・・」←今の若者を育てたのは誰だ?