広島・長崎の真実 2
広島原爆
公式の情報では、1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分、
原爆ドームの頭上600mで原爆が炸裂したとされています。
事実上、原爆ドームのほぼ真上ということになっています。
はたしてそれは本当なのでしょうか?
原爆ドームの破壊状況を見て、公式の説は正しいと感じるでしょうか?
なぜ爆心地近くの建物がこれほど残っていて、爆心地から遠くかなたの建物がことごとく消滅してしまっているのでしょうか?
全焼地域は、見渡す限り荒野になってしまっています。
爆弾一発の威力は、爆心地真下の建物をこれほどきれいに残すものなのでしょうか?
原爆ドームの外壁はほぼきれいな状態で残っています。
しかし、内側のレンガは破損して焦げています。
違和感を感じないでしょうか?
建物内部の方は、明らかに高熱や爆発によるダメージの痕跡があるように感じます。
爆破直後の写真には、黒ずみは見られません。
黒ずんだ現在の状態は、後から付けられたものです。
原爆ドームの破壊は、おそらく内部からの爆破によってなされたものではないのでしょうか?
広島で起きたこの最悪の悲劇は、私たちが教えられている内容とはまったく違うということが想像できます。
広島原爆の爆破・破壊事件の真相は、一発の原爆によるものではなく、大量の爆破物による破壊工作だったのではないでしょうか?
トリニティ実験
地上で爆発した核実験の煙はこちら。
広島の地上500メートルで爆発したとされている原爆の煙はこちらです。
地上での火炎がはっきりと見られますが、よく見ると、爆発地点がほぼ地上に見えます。
原爆炸裂は「地上600メートルの高さで爆発した」と、私たちが聞かされている話とはまったく違うようです。
左の写真は広島原爆投下直後に発生したキノコ雲、右の写真は広島新聞に掲載された、炸裂2分後の同じ写真ですが、左の写真にあった地上の火炎が、
あたかも空中炸裂したかのように修正されています。
これは、原爆の爆発地点をごまかすための、明らかな隠蔽工作ではないでしょうか?
※地上の火炎を修正した広島新聞のプロパガンダ記事
広島原爆・本当の爆心地
当時の原爆は、水に落とし込むだけで爆発するという、開発に関わった人の話があります。そのせいでしょうか?護岸の一部が崩れている場所があります。
水に落とし込むだけで爆発する広島原爆は、「マグネシウム爆弾」だったのではないでしょうか!?
マグネシウムそのものは海水にも豊富に含まれてる一般的なミネラルであり、爆弾の材料としても代表的な物質です。
燃焼中のマグネシウムに適度の水が触れると水を分解し、水素と酸素が発生し爆発を起こしたり、マグネシウムの燃焼を加速させます。
原爆投下20~30分後から、広島市からその北西の地域にかけての広い範囲で、真っ黒い雨が降りました。
水上爆破によって竜巻のように巻き上げられた水が、原爆の雲に含まれた多量の放射能と反応し、黒い雨となって降ってきたのではないでしょうか。
これは被爆直後、午前10時頃に向こう岸からこの原爆ドームと川を目撃した様子です。
水の竜巻が柱のように上がったといいます。
原爆が炸裂した瞬間では、原爆ドームや建物も吹き飛んでいません。
その後、猛烈な大火事が発生して、街を焼き尽くしてしまっています。
爆心地に残された「人の影」
原爆が爆破した日、被災者の「人の影」が壁に残されていました。
壁に「人の影」が焼き付くのは、地上起爆しかあり得ません。
持ち帰られた原爆
原子爆弾はもう一発、使われる予定でした。しかし、それは不発弾に終わりました。
陸軍は長崎で、不発弾を確保しました。
しかし、なぜかそれは長崎から東京に持ち帰られ、その後、ソ連大使館に引き渡されたようです。
戦後、日本がアメリカの隷属国にならないための楔を打ったのです。
天皇による隠蔽
昭和天皇は、敗戦した理由が海軍である事にも関わらず、自分が指揮していたことを隠すために、忠実である陸軍の軍人に全て指揮があったかのようにし、陸軍の軍人である、東条英機が東京裁判で収監されました。
天皇は自分を指名されないように裁判にきている検事に対しても工作を図り、上流の女性を検事に送って裁判中自分の名が上がらないようにしたとされています。
原爆爆破の指示を与えたのは裕◯天皇でした。そして、東京裁判で問われることになる戦争犯罪の責任を陸軍に押しつけました。
極東国際軍事裁判(東京裁判)で、戦前・戦中の指導者28名の被告は「主要戦争犯罪人」、いわゆる「A級戦犯」として罪に問われました。しかし、罪に問われた28名の中に海軍の指導者は1人も入っていませんでした。
第二次世界大戦は、陸軍と海軍の権力争いでもあったのです。そして、陸軍はその闘争に破れてしまったのです。
広島原爆の真相
原爆は、実はアメリカが投下したのではなく、日本の軍が地上で爆破させました。その指示を与えたのは裕◯天皇でした。
原爆は、日本海軍により戦艦大和にて広島と長崎に運ばれ、地上 (水上) に置かれ、そこで爆破されました。
原爆爆破当日、県知事らも無事に避難できていたことがわかっています!
ちなみに長崎原爆では県知事含め官僚らはほとんど避難して無傷!
これらは東京大空襲の時、東京都知事ら官僚も無傷だったのと同じです!
爆撃機から見た広島への原爆投下シーン(カラー化、日本語字幕)
Atomic Bomb on Hiroshima, Japan(Inside the Enola Gay)
https://www.youtube.com/watch?v=6wGPUbRoVBg&t=141s
こちらの動画では、原爆をエノラゲイから投下したとされていますが、はっきりとした部分が映り込んでいません。
投下したと思われる映像の後に、下からキノコ雲が立ち上る映像に切り替わっています。
エノラゲイによる原爆投下の映像は、ロックフェラーの指示によって作られた映像です。
当時、日本で原爆を開発していた理化学研究所の槌田 敦さん
仁科・武谷の作っていた原爆と同じ物が、広島の原爆、と言っちゃってます (8:00~) 😅
第二次大戦の際に、国内の、明治期あたりから、日本を乗っ取ってきた一団、それは明治維新で日本を乗っ取った勢力ですが、その勢力が、第二次大戦の時期になっても日本国内の勢力を駆逐、破壊する軍事的な工作を原爆や空襲という形で、日本全国で展開していました。
東京大空襲も、広島・長崎原爆も天皇と米国との合意の終戦工作でした。
世界初の日本製広島原爆は地上(水上)で起爆されました。
すべてが自作自演だったのです。
真珠湾攻撃の真相
真珠湾は、アメリカ空軍機を使ったロスチャイルドの偽旗だった‼️
真珠湾はロスチャイルドの偽旗であり、零戦に見立てて塗装されたグラマン機を使用していた。
真実はあまりにも酷い😢
ダグラス・マッカーサー、1951年5月3日、アメリカ上院軍事外交合同委員会公聴会にて
上が長崎平和祈念像、下が悪魔バフォメット像。
アメリカは原爆を落としていない。地上(水上)起爆だからです。
だから、オバマ大統領は決して謝ることはなかったのです。
東京大空襲(空襲を受けなかった場所)
戦争の時に、敵対国への空爆で真っ先に狙われるのは通常、参謀本部であり、当事国の首領である天皇の皇居。
それらが綺麗に残っている事実。関係の無い国民だけが焼き払われました。
そして、後に、東京大空襲を指揮した将軍、カーチス・ルメイに天皇は大勲章を授けています。
この一連の歴史的事実の意味する事は…
「爆撃しなかった事に対する感謝の意を表す為の勲章の授与」だったことは明らかです。
日本国民の出生届けの秘密
日本人が役所に出生届けを出した時、税金から生命保険が掛けられる仕組みになっているのをご存知でしょうか?
そして日本人が1人死亡するごとに、天皇には"生命保険金1500万円"が懐に入ってくることになっています!
国民が死ぬと、皇室に1500万円入金 (1人あたり)
M資金というものがあります。
これは、1921年、イギリスでの会議で決定された、日本が敗戦約束の見返りとして受け取った資金です。この資金は駅の都市開発などに使われました。
1921年。昭和天◯がイギリスに行き、エリザベス女王・ロスチャイルドから受けました。引き出す時には、人道支援と言う形で引き出します。
お金がたまるのでODAを作り、80ヵ国の東京の大使館に要請を出させます。
お金はFRBを通して送られ、その9割がキックバックされ、内5%が日本の総理の懐に入ります。
坂本九、飛行機事故死の真相
日航機撃墜事件で命を奪われた坂本九は、アメリカで「上を向いて歩こう」を含んだレコードジャケット「SUKIYAKI」の写真を撮影しています。
坂本九が上空を指さしています。
腰を掛けているのは、火薬と書かれた箱です。
上空に注目しつつ、火薬は地上にある。
そして、六八九(ろくはちきゅう)トリオは、作詞:永六輔、作曲:中村八大、歌:坂本九の三人組のことを指します。
689非常に簡単なアナグラム、数字遊びです。
8月6日 広島に原爆が落ちた日、8月9日 長崎に原爆が落ちた日です。
今蘇ってきた原爆地上起爆説。
これらがすべて、ただの偶然なのでしょうか?
坂本九は、1985年8月12日、日航機123便に搭乗していたため、そのジャンボ機撃は墜されてしまうという形で、不審死してしまいました。
坂本九がこの飛行機に乗り合わせていたのは、ただ運が悪かっただけなのでしょうか?
それとも、真実を伝えたことで制裁を受けたのでしょうか?
結論は明らかのように思えます。
1985年 8月12日、日本航空123便墜落事故で死去 43歳没
「手配は必ず全日空(ANA)で」と指定していました。
しかし、当日は満席、仕方なく確保したのが「日本航空123便」でした。
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
思い出す春の日 一人ぼっちの夜
上を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて
思い出す夏の日 一人ぼっちの夜
幸せは雲の上に 幸せは空の上に
上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
思い出す秋の日 一人ぼっちの夜…
「原爆投下はやむをえないことと、私は思ってます。」
1975年10月31日、日本記者クラブ主催「昭和天皇公式記者会見」
原爆被害が大変悲惨な状況であるにも関わらず、会見の中で笑っています。
これがこの天皇陛下の正体です。
この戦争で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます🙏
このブログ作成にあたって、
「エンドゥ一日一食 OMAD」さんの動画
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」さんのブログ
を参照させていただきました。
https://rakusen.exblog.jp/26284880/
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