母に支配された幼少期

こんにちは!豊川です!

noteを始めて一週間が経ちましたが、毎日投稿に重きを置きすぎて簡単な事しか書けていなかったので、自分のこれまでを書いてみようと思います。

思い出しながらなので、投稿したあとも思い出したら随時更新して行こうと思います。

平成7年3月5日 宮城県仙台市青葉区に元気な女の子が誕生しました。

この日は大雪だったとかそうじゃないとか笑。

私が記憶があるのは幼稚園年少ぐらいから

毎日の日課は

大好きな男の子をおいかけまわすこと、

ちびメンヘラ誕生。

当時メンヘラという言葉はなかったと思いますけど笑。

「〇〇くん好きいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」 

大変愛に敏感なおなごでした。

それも何か、家庭環境が原因だったのかと思います。

当時母と父はほぼ別居中。

珍しく父が家に帰ってくると、母はキッチンで作業しだす。

いつもはリビングで一緒にゴロゴロしているのに。

リビングでご飯を食べようと言っても、キッチンから動かず、

父のいるリビングにはくる気配は一切ありませんでした。

父とはたまに二人でご飯に行ってましたが、ママっこだった私は母のグチをよく聞いていたため、父をあんまり良く思わず、誘われても断ることが多かったです。

それに、父は焼肉屋を経験していて、いつも脂っこい匂いがして近づきたくないとさえ思ってしまっていました。

母とは幼稚園以外はいつも一緒にいました。

母とはとても仲が良かったと思います。

でも今思うと、癒着・依存という言葉が近いかなと思います。

でも母は、とてもヒステリックな人でした。

ファッションブランドのヒステリックグラマーも着てました。笑

母は私を支配していました。

私の考え、私の発想、私の行動、ほぼ全てを支配しました。

まあでも、良くても悪くても子供の頃は親の考えに染まってしまって当たり前かと思うのですが

私はもっと考えがしっかりしていたと思います。

おかしいことはおかしいと言わなきゃ。

自分が幸せに生きるために一生懸命だったのです。

そしてはっきり反抗していたにも関わらず、受け入れられることは全くありませんでした。

例えば、母と一緒に何か作業をしていて私が「これはこっちの方がいいんじゃない?」というと「は?なんやそれ、ださ。てか、あんたの意見なんて通るわけないやろ。お母ちゃんのことなめとんのか」

みたいな笑。

なんかいうと「自分のこと正しいと思ってんのやろ、なめんな」とか、

なんかなんも考えずに言ったことに関して私が悪い感情を持って言っているとか

正直決めつけてるのはあんたでしょと5歳ぐらいの時はわかっていましたが、反抗しつつもそれに飲み込まれた自分がいました。

私は何もできない。私は可愛くない。私は仕事ができない。私はいろんな人に迷惑をかけている。

私を好きになってくれる人はいるわけない。いや、そんなわけない!

好きになってもらわなくちゃ。そうだ!

と、考え、私は母のために最善を尽くす娘になりました。

また、別件で好きな人にも好きになってもらうためにどんどんアプローチして行くことにもなります。

母のために、

歌をうたい

ピアノを習い

いうことを聞き

母のために生きていました。

それは中学校ぐらいまで続きます。

途中に、それは母が支配しているのではなく

母に従う私が支配されているのだと気づきます。

一気に書いてしまうのは難しいので

ちょこちょこ書き進めていこうかと思います。

最後まで読んでいただきましてありがとうございます!

またよろしくお願いします!