【気まぐれエッセイ】ノックされて気付いた、幸せでいる秘訣

相手の行動は同じでも、そのときの自分の気持ちや状況によってこちらの捉え方が全く違うものになることって、よくあると思う。


身近な例を出そう。

先日、私がカフェのトイレに入るなり、トイレのドアをノックをされたときのこと。私はそのとき「人が入っているかどうかの、確認のノック」だと迷いなく思った。それ以外の考えは浮かびもしなかった。

それが別の日、同じようにトイレのドアをノックされたときには、「急かされた!」と感じたのだ。

実はそのとき私、中でLINEを返していたんだよね。すぐに返信しておいた方がいい内容だったという言い訳を一応させてもらうけど、席に戻る数分くらい遅くなったって、別になんの問題もなかった。後になると面倒だから、気付いたときに返してしまいたいという衝動にかられ、「もし待っている人がいたら悪いな」ってちょっと思いながら、ほんの少し長く籠っていた。

そんなときにノックされたから、私は咄嗟に責められたように感じたのだ。


だけど後々冷静になって考えてみると、最初のノックも後のノックも、ノックした人の真意なんてわからない。だって、私が少し長くトイレに入っていたからって、ノックした人がずっとそこで待っていたとは限らないのだから。確認のノックをしただけだったかもしれない。逆に最初のノックだって、もしかすると急かされていたのかもしれないし。


自分が罪悪感を持っていたかいなかったか。それだけで、人にされたことは同じなのに、こんなにも感じ方って違うんだなと改めて気付かされた。自分を怒り狂わせるのも、平穏でいさせてあげるのも自分なんだなって。自分の捉え方1つで、不幸にも幸せにもなる。


相手の言動を悪くとらない、そしてつい悪い方に考えてしまう原因をなるべくつくらない(後ろめたいことはしない)ようにしよう。いつも自分をハッピーでいさせてあげられる私でありたい。


P.S.トイレを占領しないように気を付けます。

幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。