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1-5 給食

 まだ11時過ぎなのに、ひどく疲れていた。教室の真ん中の列。前から4番目に僕の席はあった。席替えをする予定なんてまだ先のことだろう。この前したばかりだった。

「ふぅ」

と、声にもならぬため息をついて迫りくる給食の時間のことを考えていた。もちろん空腹だからではない。またあの給食の席にしなくてはならない。

僕の行っている学校では6人一組で班を作りそこでみんなで囲んで給食を食べる。その形になると位置関係はこんな感じだ。僕は端っこの左。僕の前がMさんで、僕の右隣がO君。

あのことの前の日までは何とも思っていなかった給食の時間がこんなにも苦痛になるなんて想像できなかった。僕も、有名な占い師も、神も想像していなかっただろう。(もし神様がいるのならお伺いしたい。何故、こんなことを?と。もし仏がいるならお伺いしたい。僕は前世なにをしたのか?を)

 今更だけど言わせていただくと、苦痛というのは人それぞれだ。そんなこと当たり前だろ?と思っている方?一番危険な発想に陥っている。当たり前という表現を普通と感じている時点で、”あなたの価値基準”の物差しで測っている可能性が高いということだ。もう一度言う。苦痛というのは人それぞれ違う。そして当たり前という尺度も人それぞれ違うということだ。
 面白いことにこの手のアンケート結果は腐るほどある。例えば登校拒否児になりやすい性格Top10や、欠けている点5選などである。体感だけどこの類の記事を見て納得する親85人、納得する登校拒否児15人になるだろう。一つ例を挙げると(この内容らが必ずも的外れと言いたいわけではない)完璧主義が目に付いた。完璧主義。何をもって完璧とする?揚げ足取りともいえるが、まず基準が大人基準だ。完璧にテストの答案を埋める子が登校拒否児になるのか?逆はありえないのか?この完璧主義は誰にでもある。これを読んでいるあなたも持っている。誰もがもつ特徴だ。
 この”登校拒否児になりやすい性格Top10の主題を変えてみよう。【世界的に成功する性格Top10】へ。
登校拒否児が持つ性格の一つ、内向的性格。Microsoft社のビルゲイツ氏は人付き合いが苦手だが、大学中退だ。
例えば完璧主義。X JAPANのリーダーYoshiki氏は完璧主義で有名だが、高校は優等生だ。
 それとも彼らは特殊だと言いたいのだろうか。そうやって親や先生の価値基準で特殊と判断しているのは大人側の人間だけだ。登校拒否の目線で考えてほしいものだ。これ以上熱くなると文字打ちする指が怒りで冷たくなるからこれぐらいで勘弁しとこう。続きはそのうちね。
 1-2でも言いましたが、間違えを指摘したいわけでもないし、先生が良い悪いという判断をしているわけでもない。ここはどうか分かっていただきたい。これは実話である。紛れもなく実際に起こったことであり、真実である。

 そうこう神を相手に責任の所在を探しているうちにいよいよ給食に時間になる。逃げ出したかった。緊張と苦痛で全身が冷たくなり、汗をかいている。

先生とチャイムの音に急かされて生徒が机を移動させる。
机をくっつけようとしているMさんをちらっと見る。無表情なのか、笑っているのか分からない顔で机を動かしている。


ほんの薄く張り詰めた空気が発生し始めた。


逃げ出したい気持ちで一杯だった。心の中はまた否定されるのではないかという恐怖で埋め尽くされていた。


怖い。



怖い。


僕は20㎝ほど(多感な頃の20㎝は10㌔に等しい)みんなの机から話す。ぎりぎりテーブルクロスが行き渡る距離だ。(ったと思う)

冷たくこわばった手で、テーブルクロスを敷くの手伝う。

だらりと垂れ下がり緊張感のないテーブルクロスと対照的に張り詰めた空気。隣のO君は『こっちに来なよぉ』と笑顔で言う。
その言葉の意味は分かるが答えが見つからなかった。

無音

無色

無味

他の人からしてみれば、なんでこいつは離れて座っているんだ?と疑問を持ったかもしれない。

『いただきます』と同時に楽しそうな声があたりを包む。お箸と茶碗がぶつかる音や、早くもお替りに立つ生徒がおり、騒がしくも幸せだろうひと時。僕には全く響かない。ゆっくりと食べているふりをして過ごす。

「ごちそうさまでした」

と、軽く会釈をして牛乳とパンを持ち残りを配膳台に丁寧に戻し教室を出た

誰も気づいていないだろう。出来るだけ目立たずに教室を出た、とはいえトイレに立つもの、紙飛行機で遊びだすものもいてバレるわけがない。

「ふぅ」

と、今度は確実に聞こえる大きさのため息をついて4階に上がり、家庭科室へと続く静かな踊り場で一人で僕の給食を食べる。

僕だけの時間

 残り時間はほんの少しだけど、心から安心できる一人の時間を手に入れた。僕は嬉しかったのか、悲しかったのか分からないけど泣きながらパンを食べた。


美味しかった


こんなに美味しいパンを食べたのは今現在もこの時だけだ。安息の味だ。

心から「ご馳走様でした」と言い、誰もいない踊り場で時間が過ぎるのを待った。





*会食恐怖症について僕が思うこと

 もう会食形式の給食は廃止してほしい。なぜみんなとご飯を食べなくてはいけないのか。僕はこのことがあってからは、極力、他人とご飯を食べない。今でもだ。しかしながら今は社会人で飲み会の席や昼食の時間がある。基本として、飲み会の席はまず行かないと断る。どうしようもない時は(偉いさんがくるとか、どうしてもとか)一次会時間限定で出席。二次会は100%行かない。これを良く思わない上司がいるが、そんなのは無視している。アルハラだ文句をいうと半分は諦めてくれる。ついでに僕も出世を諦めるしかなくなるが。(ここは日本だからな)


昼食の時間はみんなと時間をずらして食べるか、食べない。

今でも完治していないのかも。まぁ、診断されたわけでもないし、一人で食べることは好きなので全く構わない。強いて言うと”デート”の時に不便なだけかな。あんまりお腹空いてないと言いコーヒーだけにしていた。はたから見たらかっこつけているだけだ。

 個人の意見としてですが、食欲は生理現象であり、排せつ、SEXなどと同じで本能で動物的な感情だ。(もっとも詳しい事はその手の専門家に聞いてくれ)そんな動物的姿を他人に見せること自体、僕はもう受け入れることができない。だれが好き好んで笑顔で今日は色つやが良いなどと排せつを見せ合うのだろうか。(そういうのが好きな方もいるらしい。それは個人の自由だ)少し下品になりごめんなさい。

 つまり学校に行くという難関をクリアしたところで、会食がある限り行けない、行きたくなくなる生徒も多いということだ。

学校に行かせようと躍起になるのは構わないが(無駄な努力とは言わないが、努力の方向が見当違いだ)その先に問題が存在することもあるということも忘れないでほしい。

学校へ行かない理由は学校内だけにでもたくさんある。いじめや体罰などが注目されるが(こんなのはもってのほかで、虐められる側にも責任があるなんて言うのは本当の虐めを経験したことがない虐め実行素人さんが言うことだと思う)それ以外の理由にも着目していただきたく思い、そして願います。

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