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出かけられないので趣味について考えた話。

学生時代に自転車と出会い、この春で10年目を迎えます。

これまで、大学4年間で約4万km、社会人の5年間で約2.5万kmの計6.5万kmの距離を自転車で走りました。正確に計測したわけではありませんが、おおよそこのくらいだと思います。

よくある例え話で「地球〇周分です」なんて言ったりもするんですが、6.5万kmだと「だいたい地球1周半くらいです!」ってところでしょうか。

自分の自転車を始めたきっかけを考えると、よく10年も続いたものだと感じていますが、今回はその理由から考えてみたいと思います。

趣味とはなにか

趣味呼ばれるものにもいろんなのがありますよね。拾いものですがこんなものがありました。

趣味

「女ウケする趣味一覧」というものらしいですが、フルーツ狩りとか、睡眠とかもあるのでウケの基準は謎です笑。
辞書的にも、趣味とは『仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。(出典:デジタル大辞泉(小学館))』という意味らしいので、多種多様なのは当然なのですが。

個人的に「〇〇はわたしの趣味です」と人に紹介するには、仕事以外で楽しみを感じることに加えてあと一つ条件があると思っています。それは「継続している」ということです。

【個人的!趣味の条件】
①楽しみを感じている
②仕事・職業から離れた自由時間を利用している
③継続している

この「継続している」というところが案外難しいところなのですが、継続しているだけなら習慣なんですよね。毎日歯を磨いたり、睡眠をとったりしていますが、そこに特別な楽しみは見出していないですし、仕事ではないですが、生きるのに不可欠な時間という意味では自由時間でもありません。

自己紹介でも触れたように、「楽しい」という感情には賞味期限があるので、いくら楽しいなと感じたことでも、自動的に趣味なったりはしません。やはりそこには楽しいことを楽しいと思い続けるためのなにかが必要です。

自分にとってのそれは『新しい景色が見たい』ということでした。

自分が趣味としているサイクリングは、誰かと競い合ったりする競技的なものではなく、どちらかというと散歩的な側面が強いのですが、徒歩と比べて格段に速く、そして車よりもじっくりと移動するその乗り物は自分の世界を『面』で広げてくれるものでした。
時間があるうちは、当てもなくサイクリングにでかけては、また行きたい場所を見つけて帰ってくるの繰り返しでした。楽しいことをしていたら、次の楽しいことが見つかるといったように、さながら永久機関のように無限に燃料が湧き出てきていました。

社会人になったタイミングで、時間というリソースが徐々に減っていき、気づいたときには燃料が枯渇していました。
趣味が終わるときは、興味がなくなった時ではなく、時間や体力などのリソースが不足することによるものが多いのかもしれません。

趣味に必要なリソースってなんだ?

「いくら稼ぎが良くても使い時間がない」なんて言ったりもしますが、反対にただ時間だけあっても仕方がないもの事実なんですよね。なのでいまのところ、自分が趣味に必要なリソースとして考えているのは、大まかにいうと【時間】【体力】【お金】の三つですね。

①時間
とにかく時間がないことには始まらないので、「最近好きなことに興味が持てなくなってきた」という場合は、この辺りを見直すのがいいんじゃないかと思っています。自由時間がないと趣味なんてできないですよね。
自分はサラリーマンなので通勤含めて月に20日×10時間=200時間は労働に拘束されます。拘束時間について一般的にどのくらいが多い・少ないということを論じるつもりはありませんが、以前は250時間とかだったので、月間50時間の自由時間が増えて視界が開けた感じがしましたね。50時間あれば自転車で1,000km走れますよ。

②体力
これは生まれ持った運動神経というよりは、自分の人生において体力面でどの程度の状況なのかといった意味合いですね。おおよその人は20歳前後が体力のピークで、その後は一定の割合で低下していくといわれているので、27歳の自分は全盛期は過ぎているものの、まだまだ体力面では高水準といえます。
ただし、運動不足による体力の低下などもあるかと思いますので、自由時間の有無はこういったところにも影響してきそうです。

③お金
究極的にはお金さえあれば、働かなくてもいいし、全てが自由時間!と思ったりもするのですが、現実問題なかなかそうはいきません。多くの場合、お金(=労働時間)と時間のトレードオフが発生したりもします。ただ、ゆくゆくは体力的にも、能力的にも限界は来るので、不労所得的な収入や自身の能力を向上させてより稼げるようになることが自由時間をつくることにもつながるんじゃないかと思います。
自分の場合はサラリーマンということもあり、会社に労働時間を供給することによって、定期的に収入が得られる状況にあります。定期収入の心強さはありますが、状況を変えない限りは、今後も爆発的に自由時間が増えることはなさそうです。

生涯走行距離を計算してみる

では、上記のような趣味リソースを考えたときに、今後の自分はいったいどのようになっていくのか。自分の趣味であるサイクリングにおける計測可能な単位(距離)で、量的に算出してみました。

前提としては、「サラリーマン」を続けていくことを想定します。なので、状況としてはこれまでの5年間と近いものであると思います。

まず、何歳までサイクリングを続けられるのか、についてですが、厚生労働省の最新のデータ※では、介護を受けたり寝たきりになったりせず日常生活を送れる期間を示す「健康寿命」は、男性で72.14歳です。
いまのところ大きな病気もせず健康に生きてこられているので、全く想像はつきませんが72歳まで自転車に乗り続けることと仮定します。
※厚生労働省『平成 29 年簡易生命表の概況』より

また、筋力や持久力については、一般的に18~20歳をピークとして、一定割合で低下していきます。なので、体力面では今後、特段トレーニングなどを積まない限りは、大学生の頃の自分に勝てそうもありません。

加えて、自分にとって自転車に乗る行為は、必死に練習して強くなったり、他者と競い合ったりするような対象ではありません。いまのところは、あくまでも散歩や日常の交通手段の延長線上にあるものです。このスタンスが変わらない限りは、通学で往復60㎞を走破していた時期を上回る走行距離にはなりそうにありません。年間走行距離は今後も落ち込んでいくことになるでしょう。上記を考慮して算出したのが下図です。

生涯走行距離

自分の生涯走行距離は約20万kmということになります。

地球換算で約5周分ですね。思いのほか少ないなといった印象です。


「やりつくす」なんてことはない

ここまで書いてきて強く思ったのが「時間って有限なんだな」ってことです。何をいまさらなんですが、今後の人生における自由時間が15万km分しかないと思うと、時間を何に使っていくのかをより一層真面目に考えないといけない気がしてきたのです。

たとえば日本の道路の高速道路を除く実総延長は120万km※です。もちろん、すべての道路をめぐることが目的ではないですが、日本国内でも隅々まで行くことは不可能に近いですし、世界に目を向ければなおさらです。
※国土交通省『道に関する各種データ集

ほかの趣味にしてもそうです。読書をするにしてもすべての本は読みつくせませんし、すべての山を登るとかも不可能ですよね。少々極端な話かもしれませんが、何が言いたいかというと、趣味が終わる理由は常に自分側にあるということです。それが時間によるものなのか、体力(健康)によるものなのかは分かりませんが、特定の趣味をやりつくしたから引退するのではないはずです。

この先、自分がいつまで健康でいられるかは分かりませんし、一生サイクリングが趣味であるとも限りませんが、そのときどきの「楽しい」とそれを実現するために必要なもののために生きてる、くらいの余生を過ごせたらいいなと思いました。


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