「名前の呼び捨て」。少なくとも、ボクらの福祉事業所ではしない。
仕事上、児童の送迎で、地元の特別支援学校へ毎日行く。
その時に、ボク自身だけかもしれないが、ちょっとした違和感を感じる出来事があった。
今回は、そのエピソードをちょっと。
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特別支援学校に到着した。
うちの事業所の車の横に、他の事業所の車が止まった。
ボクは、すでに乗車中の児童の見守りながら、車のスライドドアを開け、もう一人の児童と職員が来るのを待っていた。
しばらくすると、他の事業所車に乗るために、児童と30代前半ぐらいの女性職員が真横に立った。
その時、会話が耳に飛び込んできた。
「○○、早く乗って!」
○○とは、恐らくその児童の名前だ。
この言いまわしに、「違和感」が胸の奥から湧き上がってきた。
その職員が、”さん”や”くん”を付けずに、児童の名前を呼び捨てにしていたからである。
職員本人は、親近感で、名前を呼び捨てにしたのかもしれない。
だが、福祉職員が児童の名前を”呼び捨てにすること”には、やっぱり違和感がある。
職員と児童は、友達ではない。
もし児童の家族が、通所先の職員から呼び捨てにされていたら、良い気持ちはしない。それは、児童本人も、同じであると思うのだ。
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では、この「違和感」の正体は何なのか。
その呼び方そのものに、
その間で、どこかに優劣の気持ちがあると、伝わるからからだ。
職員とご利用者は、対等の関係である。
そして、職員も児童も、立場上の上下はない。
ただ、職員は”支援してあげている”ではない。
”お仕事として、支援をさせていただいている”のだ。
ここを忘れてはいけない。
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もう一つ。
かーちゃんのエピソードを紹介する。
次男のウッディが、特別支援学校の高等部だった頃の話だ。
かーちゃんはウッディの授業参観に行った。
農園で作業の授業。
ウッディが、教員の意にそぐわない行動をしてしまった。
すると、怒った教員が
「△△!」
(※△△はウッディの名前)
と呼び捨てで、怒鳴りつけられた場面に遭遇したそうだ。
かーちゃんは、その時のことを思い出し、「とても悲しかった」と話してくれた。
まさに、教員と生徒の間の言葉がけに、優劣の関係を感じてしまうエピソードである。
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とーちゃんも、この教員の話を聞いた時、本当に残念に思った。
今は、「昭和の時代」ではない。
自分が子どものころは、当たり前であったことも、今は許されない。
それは、教育現場でも同じことだ。
そして福祉の世界でも、敬称付けは当然のことだと感じるのだ。
つい見過ごされそうな、この特別支援学校内でのできごと。
ボクは、違和感を感じずには、いられなかったのである。
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