「人間五十年」の誤解
織田信長が好んだという幸若舞『敦盛』。その一節「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり 一たび生を享け、滅せぬもののあるべきか」は非常に有名です。
ところで、「人間五十年」の部分を「人間の一生はたった五十年だ(昔の人の寿命は五十年くらいだった)」と誤解していることが多いようです。
「人間」は現代の意味ではない
現在、「human」の意味で使用される「人間」は、古語では違う意味で使われます。「人」たちの「間」、つまり世間や人間の世、といった意味です。
故事成語の「人間万事塞翁が馬」は、「世の中では、不幸が幸福に転じたり幸福が不幸に転じたりする」という意味。
幕末の僧・月性(西郷隆盛の盟友として有名な月照とは別人)の漢詩の一節「人間至る処青山あり」は、「世の中、青山(骨を埋めるところ)はいくらでもある(だから広い世界に出ていこう)」という意味です。
広辞苑では、「人間(にんげん)」の項目の一つ目に「人の住むところ」という語釈を載せています。この意味で使う場合、多くは「じんかん」と読ませます。
「敦盛」の一節も「世の中」と解するべきで、「じんかん」と読むのがより良いと思われます。
「下天のうち」とは何か
仏教では、一切の生き物が「六道」のうちを輪廻すると考えます。六道には、上から天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道があります。最上の天道も階層が分かれており、最下層が「下天」となります。それでも、現世の人間が暮らす人間道より上位です。
下天の人の寿命は500歳で、しかも下天での一日は人間道の50年にあたるとされます。
つまり、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり」とは、次のような意味になります。
「人間の世界における五十年は、下天の時の流れに比べれば、夢や幻のようなものだ」ということです。
むろん、この一節は仏教における無常観、人生の儚さをうたっています。なので、「人の寿命はたった五十年だ」と誤解して読んでも、そこまで困ることはありません。
しかし、例えば「信長の頃は『人間五十年』の時代で…」と言うと誤りになってしまうので、気をつけたいところです。
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