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藤原定家の非凡さ

「小倉百人一首」の選者で、「新古今和歌集」の編纂でも主要な役割を果たした藤原定家。

「雅な平安貴族」のイメージがあるが、1162年生まれ・1241年没なので平安時代末期~鎌倉時代初期の人である。
 また、若い頃に公家の源雅行と喧嘩になり、脂燭(しそく、たいまつのような照明具)で顔を殴って処分されるという、まったく雅でないエピソードも持っている。実像はかなり神経質、癇癪持ちだったようだ。

 だが、彼が天才的な歌人であったことは疑いない。
 彼の最も有名な歌の一つがこれだ。

 見渡せば 花も紅葉も なかりけり
 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮

 一般的には、花や紅葉のあるところで(もしくは想像しながら)その美しさを詠む。だが、彼は敢えて花や紅葉が「ない」ことを詠んだ。華やかな要素が何もない寂れた漁村の風景。定家はそれに美を見出す。ここに、この歌の秀句たるゆえんがある。

 なお、同じように「秋の夕暮れ」をうたった他の2首の歌と合わせて「三夕(さんせき)」と呼ばれる。

・さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮)
・心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
・見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(定家)

 いわゆる「三夕の歌」が「なし(ない)」という言葉で繋がっているのも面白い。

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