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日本史が2倍楽しくなる「名前」のお話②

 日本史を学ぶ人を悩ませる要因の一つが、「昔の人、コロコロ名前変えすぎ!」というのがある。

 例えば上杉謙信は、虎千代(幼名)→長尾景虎→上杉政虎→上杉輝虎→謙信(法名)と何度も名を変えている。が、「改名にどんな意味があったのか」について考えると、もっと深く歴史を理解できる。

徳川家康の場合

 徳川家康は元々「松平元康」と名乗っていた。松平氏ははじめ駿河の今川義元に従属しており、「元康」も「義元」から偏諱(へんき)を受けたものだ。

(※「偏諱」についてはこちらを参照)

 今川義元が桶狭間の戦いで敗死した後、松平氏は今川氏から独立する。それを内外に示すため、「元」の字を捨てて「家康」に改名したのである。

陶晴賢の場合

 周防大内氏の家臣・陶晴賢。はじめは主君の大内義隆から偏諱を受け、「隆房」と名乗っていた。

 1551年、陶隆房は主君の義隆を襲撃し、自害させた。隆房は義隆に代わり、義隆の養子・晴英を傀儡として擁立する。この際、彼は旧主君から拝領した「隆」の字を捨て、新主君の「晴」を拝領した「晴賢」を名乗ったのである。

偏諱と改名を知ればこんなこともわかる

 一級の文化人武将として知られる細川幽斎の諱は「藤孝」である。室町幕府の重臣は多く足利将軍から偏諱を受けているが、「藤孝」は誰に由来するのか。

 13代将軍の足利義輝の初名は「義藤」だった。細川藤孝の諱は、義藤からの偏諱なのである。

 主君の方が改名していると、偏諱を受けた家臣の名前の出所がわかりにくくなることもあるのだ。


 名前一つとっても、掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられる。実に奥の深いものなのである。

 

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