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アメリカ大統領選挙と情報戦⑩~父ブッシュの「汚すぎる選挙戦」(四)

前回はこちら。

 ブッシュ陣営からの「フェイク攻撃」を受け続けたデュカキス陣営は、負けじと相手に対するネガティブ・キャンペーンを繰り出すようになる。

副大統領候補への卑劣な攻撃

 主な標的となったのはブッシュ自身ではなく、副大統領候補のダン・クエールだった。(写真左、ブッシュの隣の人物)

 本選直前の3週間ほど、クエールの副大統領としての資質を問うスキャンダルが繰り返し報道された。しかしその内容は、「若い頃、親の金で徴兵を逃れた」「大学生時代にカンニングをした」という過去の疑惑報道が中心だった。副大統領候補として問われるべき、政界入りした30代以降の言行は、ほとんど取り上げられることはなかった。
 こうして、双方が政策とは無関係な中傷合戦を繰り広げたことで、1988年の大統領選挙は「史上最も醜い選挙」と呼ばれることになったのである。

「フェイクニュース」への対応は初動が肝心


 1988年の大統領選挙で敗者となったマイケル・デュカキス候補からは、学ぶべきことが多くある。彼の敗因の一つは、いわれのない攻撃を受けたときの対処が遅すぎたことである。

 誰しも、自分を悪く言う言説には触れたくないものだ。「中傷する奴の相手など時間の無駄」という考えで、無視を決め込む心理もわかる。しかし、反論しないことはしばしば噂に説得力を付け加えることがある。ネガティブ・キャンペーンを認知した段階で、「○○という噂は虚偽です」「このCMの主張は論理的ではなく、ただの印象操作です」と繰り返し広報しておけば、傷口を広げずに済むはずだ。


 確かな実績を持ち、選挙参謀もエリートで固めていたデュカキスは、ネガティブ・キャンペーンに頼らない王道の作戦にこだわりを持っていた。またデュカキスには頑固なところがあり、周囲に言われても自分のスタイルをなかなか変えない一面があったという。初動の遅さには、そうした要因があったのかもしれない。

「馬鹿馬鹿しいデマや印象操作に惑わされるのは、愚かなごく一部だけだから相手にしなくていい」―――デュカキスの考えの中に、エリート的な一種の見通しの甘さがあったことは否定できない。内容が馬鹿馬鹿しく感じたとしても、過小評価して放置していると致命傷に発展するおそれがある。


 デマや印象操作の広まりやすさに比べると、それを打ち消す情報はなかなか広まりにくい。それでも、できるだけ早い段階で「火消し」に動くことが、被害を最小限に抑えることにつながるはずである。

ネガティブキャンペーンで足元をすくわれたブッシュ

 最後に、「ネガティブ・キャンペーンを多用することの代償」も付け加えておこう。誹謗中傷を含むネガティブ・キャンペーンは、やり方を誤ると有権者の反発を招き、自分自身の評判を下げるリスクも伴う。


 効果的な宣伝で選挙を勝ち抜いて大統領となったブッシュは、4年後の1992年に再選を目指して出馬した。この時も、相手のビル・クリントン候補(民主党)に対するネガティブ・キャンペーンが行われたが、効果が上がらず敗北を喫した。前回の選挙が記憶に残っていた国民に、同じ手は通用しなかったのである。

(完)

主要参考文献
ドリス・A・グレイバー著、佐藤雅彦訳『メディア仕掛けの政治―現代アメリカ流選挙とプロパガンダの解剖』現代書館
有馬哲夫『中傷と陰謀 アメリカ大統領選狂騒史』新潮新書
藤田博司『アメリカのジャーナリズム』岩波新書

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