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アメリカ大統領選挙と情報戦⑦~父ブッシュの「汚すぎる選挙戦」(一)

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 1988年の大統領選挙では、共和党のジョージ・ブッシュ(父ブッシュ)候補と、民主党のマイケル・デュカキス候補が争った。互いにデマも含めた熾烈なネガティブ・キャンペーンを行ったため、「史上最も醜い選挙戦」とまで言われた。

予備選から行われた中傷

「醜い選挙」になる予兆は、共和党内の予備選の段階ですでに表れていたようだ。共和党内の指名争いは、ブッシュとロバート・ドール候補の一騎打ち状態であった。
 ニューハンプシャー州における予備選の直前、ブッシュ陣営は「ドールは増税を画策している」としたネガティブ広告を打ち、ドールが懸命に否定するという場面があった。本来、増税するか否かは重要な政策上の争点になるはずだったが、マスメディアも候補者同士の勝ち負けを面白おかしく報道することに夢中になってしまい、肝心な政策論争は置き去りになってしまったのである。

ブッシュの大逆転劇

 さて、デュカキス候補は、マサチューセッツ州の知事として財政再建などの成果を上げた人物である。1988年7月、民主党全国大会で民主党統一候補に選出された。この時、ブッシュ候補は現職の副大統領(レーガン政権)だったが、この時点の世論調査で17ポイントものリードを許していた。

 ところが、11月8日に行われた本選では、ブッシュ候補は約54%の得票率でデュカキス候補に勝利する。


 この逆転劇では、まずブッシュ側の優れたイメージ戦略が大きな役割を果たしている。ブッシュ陣営が警戒したのは、取材中の失言など、思わぬ事態が電波に乗ってしまうことである。ブッシュの遊説日程は分刻みで計画され、厳密な打ち合わせ通りに行動・発言することが求められた。

背景には星条旗

 記者やカメラマンがブッシュ候補をとらえる時は、ブッシュ陣営が「この絵を見せたい」と思った場面だけだった。ブッシュが演説する際の背景には多数の星条旗があり、「愛国的だ」というイメージが有権者に植え付けられた。取材の機会も制限され、記者が率直な質問をぶつけることはほとんどできなかった。


 これについて、ブッシュのみを汚いと評価することはできない。デュカキス陣営は、当初自由な取材を認めていた。しかし、ブッシュ陣営の手法が有効とわかると、それを真似るようになったからである。

 そして、何よりこの年の選挙を性格づけたのは「ネガティブ・キャンペーン」であった。政策の是非を討論するよりも、相手候補のイメージを傷つける宣伝が大きな枠割を果たしていたのである。

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