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ドイツ史を動かした「11月9日」

 日本の歴史上、最も重大な日付とは何でしょうか。終戦記念日かもしれませんし、建国記念日かもしれません。とはいえ、同じ日付にいくつも重大なできごとは起きていないと思います。

 ドイツの近代史を紐解いてみると、「11月9日」という日には極めて重大な出来事がいくつも起きています。


1918年11月9日

 第一次世界大戦で敗退を重ねたドイツでは、キール軍港の水兵蜂起をきっかけに革命運動が全国に波及。11月9日、皇帝ヴィルヘルム2世が退位・亡命し、共和制が宣言されました。

 ここにドイツ帝国は崩壊し、ワイマール共和国が成立するのです。これをドイツ革命といいます。同月11日、ドイツ政府は休戦協定に調印し、第一次世界大戦は終結しました。

1923年11月9日

 第一次世界大戦で敗れたドイツは経済的苦境が続き、社会不安が高まっていました。
 国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)を率いるヒトラーは、ドイツ革命で成立したワイマール共和国に強い不満を抱いていました。
 そこで、軍人のルーデンドルフらと協力し、ミュンヘンでクーデターを起こそうとしました(ミュンヘン一揆)。
 しかし、蜂起は失敗に終わり、11月9日に鎮圧されました。逮捕されたヒトラーは、獄中で著書「我が闘争」を著します。

 その後ナチ党が政権を握ると、11月9日はミュンヘン一揆で死亡した同志を追悼するための、国民の祝日となりました。

1938年11月9日

 1938年11月9日、ナチス・ドイツ政権下で最悪のポグロム(ユダヤ人迫害)が起きました。
 11月7日、パリのドイツ大使館員がユダヤ人青年に殺害される事件が起きました。これをきっかけに、ドイツ全土で反ユダヤ暴動が発生。ユダヤ人への暴行・殺害、ユダヤ商店の破壊・略奪などが行われました。
 破壊された商店のガラスが水晶のように輝いていたことから、「水晶の夜」事件と呼ばれます。

1989年11月9日

 ナチス・ドイツは第二次世界大戦で敗北。米ソ冷戦下で、ドイツは東西に分断されました。東ドイツの首都・ベルリンも東西に分割されます。

 1961年、東西ベルリンを分断する「ベルリンの壁」が建設されました。東から西への亡命を防ぐ目的であり、東西対立の象徴となりました。

 1989年になると、東欧の社会主義諸国で自由主義運動が活発化します(東欧革命)。東ドイツでも民衆のデモが体制を揺るがせました。

 1989年11月9日、東ドイツ政府は、国民の出国規制の緩和を発表。これをきっかけに市民がベルリンの壁に集まり、ベルリンの壁は崩壊しました。


 以上のように、「11月9日」という日付はドイツ近代史の重要なシーンに何度も登場します。「11月9日」をテーマにドイツ近代史をおさらいすることさえできるのです。

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