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エムス電報事件①~概要

(画像は1873年のビスマルク)

前回はこちら。

「フェイクニュース」とは嘘情報・誤報を指すが、世の中に溢れている情報は「嘘ではないが意図的に歪曲された」グレーゾーンのものも多い。はっきりした嘘でないだけに、発信者の意図は見抜きにくく、慎重な人でも誘導に乗ってしまうかもしれない。
本稿で紹介する「エムス電報事件」も、完全な嘘ではなく、事実をもとに巧妙な印象操作が施された例である。150年も前の事件だが、現代人に与える示唆は大きいと考える。

いつ、どこで起きた事件か

この事件は今から150年ほど前の1870年に起きた。プロイセン(現在のドイツの原型となった国)とフランスの間の外交問題である。

当時、ドイツという国はなく、小国が分立する状態だった。その中でも最も有力であったプロイセンでは、宰相ビスマルクの指導によってドイツ統一が目指されていた。

フランスにとっては、ドイツが統一されれば隣に強大な国家ができることになる。なので、フランスがドイツ統一の障害になることは不可避だった。ビスマルクは、フランスと戦って勝利することがドイツ統一に必要であると考え、フランスを戦争に引き込もうとしていた。

(少し乱暴な要約なので、後日の原稿で補完する)

エムス電報事件の概要

エムスとは、ドイツにある温泉保養地バート・エムスのことである。バート・エムスに滞在中のプロイセン王ヴィルヘルム1世が、フランス大使とやり取りし、その内容がビスマルクのもとに電報で報告された。

ビスマルクは、その電報を改ざん・省略し、フランス大使が極めて無礼な態度をとったかのように印象操作した。電報が新聞に発表されると両国の世論が激高し、これによってプロイセン=フランス戦争(普仏戦争)が勃発。入念な準備をしていたプロイセンが勝利し、ドイツ統一が達成された。この流れは、高校世界史の教科書にも載っているため有名である。

ビスマルクは、どのようにして世論を誘導したのだろうか。フランスは、なぜ破局を回避できなかったのだろうか。エムス電報事件は情報操作の事例として有名だが、果たしてどこまで世論に影響があったのだろうか。

今後、筆者が勉強した内容を順番にまとめていきたい。

続きはこちら。


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