見出し画像

誰が大統領を殺したのか

※先日、卑劣な暴力によって安倍晋三元首相が亡くなりました。どのような背景であれ、暴力を用いて人命を奪う行為が許されるはずはありません。犯人を強く非難するとともに、故人に謹んでお悔やみを申し上げます。

 衝撃的な事件の後では仕方ないことではありますが、インターネット上には無数の情報や意見があふれ、多数のシェアをされたものもあります。

 形成されたネット世論の中には、懸念すべきものもあったため、急遽本稿を書かせていただきたいと思います。

1901年9月6日

 遠回りになりますが、まず世界史の話をさせてください。

 1901年9月6日、アメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーはニューヨーク州バッファローで銃撃され、8日後に死去しました。

 この事件に対し、「ある人物が新聞を使って世論を煽ったせいで、大統領暗殺事件が起きた」という批判が起きました。

 その人物とは、「新聞王」の異名を持つ経営者ウィリアム・ランドルフ・ハーストです。内容も報じ方も過激で通俗的な「イエロー・ジャーナリズム」の手法で、「ニューヨーク・ジャーナル」紙を人気紙に育てました。

暗殺事件は「ジャーナル」紙のせいか

 確かに、ハーストの新聞はマッキンリー大統領への攻撃を繰り返していました。

 ライバル紙が非難したところによれば――

・1900年2月、作家アンブローズ・ビアスが寄稿した詩が、大統領の暗殺をほのめかしていた。
・1901年4月、政治家の暗殺を正当化しかねないような過激な社説が掲載された。

 ハーストの新聞の内容が時に低俗で、フェイクも辞さないような報道姿勢だったことは事実です。
 しかし、上記の非難は重要な事実を無視していました。

 大統領暗殺の犯人は高等教育を受けていない移民の子であり、英語の読み書き能力がなかったのです。そもそもハーストの新聞を読むことはできません。

 ビアスの詩も、掲載当時は特に反響はなく、後になって「暗殺事件の原因だ」と(かなり歪めて)掘り返されたものです。「ジャーナル」のライバル紙が、ハーストを蹴落とそうとしたキャンペーンの側面が強いと言えます。

 因果応報といえばそれまでですが、公然と「殺人者」と非難されたハーストの名声は大きく傷つけられることになりました。

現代人は冷静な対処を

 話を現代に戻します。100年前のマッキンリー暗殺事件の時、かなり的外れな「犯人扱い」の非難がなされました。

 現代人も、同じことを繰り返そうとしているのかもしれません。

 例えばほら、このように。

「過激な言葉で安倍氏を非難する者がいた」→「犯人はそれに刺激され、事件が起きたのだ」というストーリーです。
 矢印部分に証拠・根拠があるわけではありませんが(そもそも、投稿がなされた時点で容疑者の背景は報じられていなかった)、一見してもっともらしくもあります。ここで「事件の元凶」に仕立てられるのは、リベラル系の政治家や論客ということになるでしょうか。

 第一報から時間が経つにつれて、「政治というよりは宗教がらみではないか」という情報が出てくると、こういうのも出てきました。

「そりゃあ、一人の頭おかしい人の単独犯かもしれんが」という留保の部分。おそらくこれを書いたご本人も、「一連の政治や言論界隈の反安倍運動」と事件をつなげるのに無理があると無意識に気付いているのでしょう。

 公平に言って、「一連の政治や言論界隈の反安倍運動」には、使用した言葉の過激さなど反省すべき点が多々あります。

 しかし、上記の言説が世論に広く受け入れられてしまうと、社会を不健全なものにするでしょう。ある政治家への正当な批判でも、「テロを誘発するのでは」という名目で封殺してしまえるようになるかもしれません。

 上記のような粗雑な批判を許すのか否か。日本の民主主義は、この点でも試されているのではないでしょうか。


この記事が参加している募集

#世界史がすき

2,672件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?