【短篇小説】三番スクリーンで逢いましょう
画面が暗転し、ピアノの独奏曲が掛かると同時に下から上へとエンドロールが流れ始めた。
普段であれば気の抜けるタイミングであるが、僕はまだ緊張感に包まれたままだ。何故、物語の幕が閉じたのに落ち着けないのか。理由は簡単で僕の意識が映画ではない別の所に向いているからだ。
隣の気配はまだ微動だにしない。この幕切れに何を感じたのだろう。感動?驚嘆?失望?いくら想いを馳せても僕に彼女の感情を捕まえることはできない。隣にいるのに、一つも掴めない。それがたまらなくもどかしい。
ただただ白文字が流れていくように、時間も同じだけ流れていく。「時間が止まればいいのに」なんて、映画を観ている退屈な時間には決して思わない陳腐でどうしようもない台詞が口を衝きそうになる。
——このまま延々と見たことも聞いたこともない人の名前を眺め続けるのか?
心の中で冷静な僕が笑っている。
——それもいいかもしれないね。
この空間で、二人きりでいられるのならば。
誰にも見られないことを前提にした一人遊びをしているうちに、やがてエンドロールも終わりを迎える。
がさり、と隣から物音が聞こえると僕の神経は全て体の右半分に傾いた。冷静な僕も、おどけた僕も、猫が好きな僕も、実は緊張しいな僕も、全てない交ぜになって、瞳以外の全ての部分で彼女を見ている。心臓が高鳴るのは、彼女の存在を、呼吸を僕の体が確かに感じ取っている証拠だろう。
ふう、と息を吐きながら、無関心を装い足元に目をやった時。視界に赤いポーチが映り、僕の足に覆い被さった。
「あっ」
何も考えずにポーチに伸ばした僕の手と、柔らかい彼女の手が重なった。僕は反射的に指を引っ込める。まるで何かとてつもなく熱いものに触れてしまったかのようだ。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
彼女の声が自分に向けられていることがわかると、一気に顔が熱くなった。さっきまで気配でしかなかった、僕の中の全てが形となって僕の心を押しつぶす。何か、言葉を返さなければ。きっと光速よりはやいスピードで僕の頭は回っていただろう。でも、それよりもっとはやいスピードで世界は回っていた。彼女は僕の返答を待つわけでもなく、赤いポーチを肩にかけて颯爽と席を立つ。声にならない声だけが彼女の背中にぶつかって、いや、届かずにこの世から消えてしまった。
彼女がいなくなるまで、僕はその姿から目を離すことができなかった。
声をかわす千載一遇のチャンスだったかもしれない。
でも、僕の心は晴れ晴れとしていた。
いいんだ。何度だって同じ時間を共有できるのだから。
またいつか、三番スクリーンで逢いましょう。
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