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不登校から気付いたこと~私の命の過ごし方~

不登校になるまで、工学部建築学科を志望していました。
それがどうして心理学に転向することにしたか、ここで振り返っていこうと思います。

建築を志望したのは、人が自然と調和しながら暮らせる、その土地の良さを生かした住まいを創造してみたい。

そんな思いだった。

四角四面の住居ではなく、そこに吹く風やお日様、土や生物のことを考えて、人がそこに住まおうとしたときに、その土地から求められるような、あるべき住居を考えてみたかったんです。

そんな私が、ある日から学校の行くのをやめました。

学校に行かなくなった理由は一つではないし、挙げていくと当時の私の本当の気持ちなどから少しズレてしまう気もするのでここでは書きませんが、不登校になった私が得たもののひとつに、「時間」があります。

「私だけの自由な時間」が沢山できました。

それは当時の私にとって、とても嬉しいことでした。

好きな時に、好きなだけピアノを弾ける。
本を読める。
勉強もできる。
散歩したり、飼っている犬と戯れたり。

とても嬉しい清々しいことでした。

でも不登校になったことで、心の中に、小さな石ころが転がっているような、しこりを感じるようになりました。

それは健全なあるべき社会生活を送れていない、といった感覚。

そんな生活を続けていくうちに、私の興味関心は、「人の心」、「人が生きる、この社会の中で生きていく」って、どういうことだろう、どうあるべきなんだろう、そんなことを思うようになっていきました。

やっぱり孤独だったんです。

両親は、至って健全な社会人だったし(今も)、優等生で問題なく
自慢の娘だった私が、ある日突然、引きこもるようになって、理解できなかっただろうし、どう関わっていいのか、どう声をかけるべきか、分からなくなっていたと思います。

だからとても孤独だった。

愛情がほしい、ただ受け入れてほしい、と願っていました。

孤独に、ただ自分と過ごす生活の中で私が感じていたことは、人が生きるとき、愛が大切なんだ、ということ。
そして、自宅で悶々と過ごす中で感じていたのは、体の健康も心に影響が深いなということ。身体が健康であれば、大抵心も元気なんじゃないかとすら感じていました。
「食」にも気を遣うようになり、家族の中で一人ビーガン宣言をして母を困らせました。ただ結果的にビーガンはやめましたが。

そして人として生まれたからには、人について考えて生きていこう、人にまみれて生きていこう、みたいに意思を固めて、教育学部心理学科へ進学しました。

今は育休中ですが、保護観察官という仕事は正に、「人の生」を真っ向から考え悩み、取り組む仕事と思っています。

他方、最近、マインドフルネスからマインドフルネスヨガ、キッズヨガと学びを深めているのいるのは、やはり体と心のつながりを実感するが故。

これからも自己理解を深めつつ、周りの方々へ還元していきたいと思っています。

生きることは時にとても難しく苦しいこともあるけど、、、
今のままので十分。満たされてちょうどいい、ということに心から気付き続けたいなと思います。


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