第5話 大学時代について

宮城県で1番不良が多い学校だろう高校から、稀にみる大学進学を果たした自分の大学時代をお話しします。

宮城県から北海道の函館大学に進学することが出来、初めに住んだのが大学推薦のあった下宿であった。

ここは10部屋ほどあり、高2で買った400ccのバイク(ZZR)を引っ提げて生活を始めた。

最初にここに住めたことは本当に貴重で、この年は4人の新1年が入居したが、全員がサッカー部という不思議な縁に恵まれ非常に楽しい生活であった。

細かいことを言うと色々有り過ぎるから割愛するが、サッカーに明け暮れた1年生、そして高校の時にあれほどキレキレの動きが出来ていた自分が高3の夏の大会を最後に全く練習をしていなかったことで信じられないほど下手糞になって実力を発揮できず評価もされない最悪の1年間でもあった。

そんなこんなで1年生が終わるとき、本当の意味で一人暮らしを経験したいと思い両親に相談し引っ越しをすることになった。
新居でも隣の部屋にはサッカー部の仲間が住んでおり、とても良い環境で生活をすることが出来た。

ただ、サッカーでは思う動きが全くできず、あれほど自信を持っていた特技が無くなり自暴自棄のような思いもあった。

中卒のような知能しかないし、たまたまサッカーが上手かったので入れた大学で、それが全く発揮できないということは自分自身が不要という思いで本当につらかった。

そんな時に出会ったのが、パソコンであった。
1998年~1999年に初めて大学のパソコン室で世界の知に触れられる感動を感じたのを今でも覚えている。

ただでなくても大学のパソコン室でインターネットをする人間なんてほぼ皆無であり、それも運動部の人間は自分一人だったと思う。

ただ、この奇跡の端末と出会ったことは今の自分を形成していると言っても過言ではない。

どうしても自宅にパソコンが欲しくて、当時デスクトップは最低でも20万は出さないと買えない時代。
一流メーカーは手が出ないため、SOTEC(ソーテック)という中国製のパソコンを買い、3分10円かかるダイヤルアップでひたすら節約しながらインターネットをした記憶がある。

昼間は大学のパソコン室、家では深夜にNTTが出していたテレホーダイなる23時から朝8時?の間だけ市内の通話料定額という商品があり、アクセスポイントにお金を気にすることなく繋ぎ毎夜パソコンに明け暮れていた。

その時1番楽しかったのは、バナーズというサイトでゲームをすると小遣い稼ぎができ、1アカウントに対し1日1000円を確実に稼げたので一生懸命やったことを覚えている。

それと女の子と知り合いになりたいという男のさがで、出会い系の原型であるメール友達を作ろうというサイトに登録し女の子にメールを送っていた。

ただ、その当時はとても純情でやましいことをしたいとかではなく、純粋に好きになれるような人と出会えたらと思いメールをしていた。

返事が来てるか気になるため、1回繋ぐと3分10円の通話料がかかるが、何度も何度もお金を気にしながら返事が来ていないかな?なんて接続していたころが懐かしい。

その当時はネット証券も始まりだし、大学2年生で証券口座を開設し、ジェット証券という会社で株取引もしていた。

ヤフーの将来性が見えていたので買いたかったが、当時1株100万円したため買えずに、親会社であるソフトバンクの株を買ったものだ。

今も持っていたら100万円は数億円に変わっていたが、人間、欲や煩悩があるといつも気になってしまい売ったり買ったり利ザヤを稼ぐことばかりしてチャンスを逃してしまう。

今であれば必ず言えることがある。
株は信じた銘柄を買い、そして寝かせる。
それが大きく儲けるためのコツだと思う。

それとメルトモを探したことで発見したことが、メールのステップの後は電話になるのだが、携帯の通話料が最安のプランでも1分40円だったと思う。
女の子との電話なのでついつい長話をしてしまい1時間話すと2400円…。
大学生の自分には大金であったが、通話料を稼ぐためにアルバイトをしたりもしていた。

そんな中、今も自分の特技となっている情報の収集力と分析力がこの時から発揮された事例があった。

女の子とどうやったら長話が出来るかを一生懸命探して、そしてたどり着いたのが、当時のWindowsに搭載されていたNetMeetingというソフトウェアだった。
これは超簡単に言うとLINEと同じだと思ってよい物である。
ipアドレスを直繋ぎするシステムであるが、56kbpsの時代にこんなソフトを作るマイクロソフトが本当にすごいと思った。

通信速度が遅いため通話品質は非常に悪いが、テレビ電話機能まであり20年以上前から今の世界を見れていたマイクロソフトの凄さに驚くばかりである。

他にも世界の人とチャットが出来るソフトとしてICQというものもあり、これで世界の人と出会えたことも今の自分の原型になっている。

ちなみに私の卒業論文はインターネットの将来と無料通話について述べていたのだが、NetMeetingに出会ったときにすでにこの機能が確実に携帯に組み込まれLINEのようなものが出来ると友達にも言っていたらしい。

最近大学時代のサッカー部仲間と思い出話をしているときにそのことを言われた。

「ウラ(私の名前)さ、誰もパソコンなんて興味ない時代に1人未来を見てたよね。だって大学時代にLINEが出来るって言ってたじゃん」と言われたときに、あっ、確かにそんなこと言ってたなと思い出させてくれた。

友達曰く、LINEが出来たときに奥さんにウラが言っていたアプリが本当に出来た!と会話したんだと教えてもらったとき、なんか本当に嬉しく自信になった。

LINEが出来たのが2011年。
他にも同じことを考えた人は世界中に沢山いたと思うが、日本の中ではまだまだ少なくそれも大学生の時に気づけた人はそんなに多くなかったと思う。

今は特によく思うのだが、自分は5年先くらいはほぼ確実に、と言うか今まで100%未来を予測することが出来てきた。
これはスピリチュアルや怪しいことではなく、世の中に出ている沢山の情報を収集してその点と点を繋ぎ合わせることにより、起りうる未来をぼんやりというレベルではなく、超鮮明に目の前に描くことが出来る。

これをなんて表現していいか分からないが、真剣に考えたことは映像として目の前というか、頭の中ではあるが視覚的な感覚として目の前の映像として鮮明に見ることが出来る。

その映像は不思議なもので、人物は誰か分からないが喜んだり感動している人の顔まで見ることが出来たりする。

人は色々な能力を持って生まれてきていると思うが、これがあることは今では意味があるから貰えたのだろうと思っている。

正確に言うと貰ったなんておこがましい話なので、与えていただいたという表現の方が正しいが、この力で沢山の人の助けになれたらいいなと思いながら生きている。

だいぶ特殊な話になってしまったが、大学でサッカーに挫折し、それがあったからパソコンと出会い、パソコンの中のインターネットという無限の情報に触れることにより、情報の点と点を繋げるという特技がかみ合わさり未来を見る力が強くなったという話である。

大学時代は初めての大恋愛もしたのだが、そういうのはまた小出しにしてしまうが、ここから自分という人間は汚い存在で生きている価値もなくいつ死んでもいいと思えるところまで考えるようになっていく。

ちなみにうつ病とか病気というそういう意味ではなく、人間というのは本当に馬鹿な生き物であり、特に脳みそというものは馬鹿の塊であると思っている。

一例として、人間であるということを他の生き物と比較しとても崇高なものと思い込んでいる人が非常に多い。
そしてとても知的なものだとさえ思いこんでいる。
でもそれって何故そう思うのだろう。
あなたって何者なの?
貴方ってどこにいるの?
自分自身が何たるかを本当にわかっているのだろうか?

例えば自分の感情や心は脳みそにあると思っている人がいるが、じゃあその脳みそのどこの部分があなたなのと言ったら分からないと思う。
人間を分解していけば、ミクロの世界、分子や原子になるが、そこのどの部分にあなた自身はいるのだろうか?

それと同じで、人間が馬鹿な理由は五感だけを信じるというところにある。
目で見て耳で聞いて、匂いを嗅いで触って食べて、それだけで世界の全てを感じているかのように振舞っている。

しかしその考えであれば、何故目に見えない臭いは存在としてあると認識できるのに、幽霊などは理解しようとしないのだろう。
それと同じで、無である宇宙空間から光が届いているが、太陽の熱まで届いて毎日暑い寒いと言っているが、そもそも無である存在の宇宙から何故熱が届くことを普通に思っているのだろう。

テレビも携帯もそう。
電気の波が何故映像や音声を届けられるのだろう。
不思議に思わないのだろうか。
そう考えると人間も波の中で存在しているのであって、実は存在していないのではないかとさえ思う。

そもそも何が真実で何が真実でないのだろうと思わないのかが不思議でしょうがない。

テレビを見て政治家が馬鹿な発言をして、なぜあんな馬鹿な人が当選するんだ、一般人でも言わないことをよく言うよね、ほんと馬鹿ねなんて偉そうに言っているが、そんな馬鹿な政治家に支配され、自分たちの生活が良くも悪くも作られていることに何故気が付かないのだろうか。

あの政治家馬鹿ね、なんて言っている自分が1番馬鹿なのに気が付かないほとんどの人間、これは人間の本質であり、金持ちはいつまでたっても金持ちで、搾取する立場はずっと変わらない、そんな上流の人間にコントロールされているとさえ感じないでコントロールする側を馬鹿にする、馬鹿の中の馬鹿になってはいけないと切に思う。

要するに、全ては情報弱者という大多数の人間が下流にいて、情報を探しに行かない、探し方が分からない、だから搾取されていることにも気が付かない、嘘のニュースに騙されてそれを信じてしまう。
そんな人間の頂点には少数の頭の良い人がいて、無知な者をコントロールしながらかじ取りをしている構造になっている。

この中で、人間として生まれたからこそ幸せという定義をどうすれば最良にできるのかを私は考え、どうすれば皆が幸せに感じられるように生きていけるかにチャレンジしている。

そしてその課題の最重要テーマであり悲しい現実でもあるが、お金という存在に振り回されて本来生まれてきた意味すら気づくことが出来ず終わっていくという部分にある。

サラリーマンなんかは良い例だが、生活のためだけに辛い会社に行き、そして愚痴を吐く。
そんなに嫌ならやめればいいのに、俺はつぶしがきかないから止められないと自分の可能性すら閉じ、ただ盲目にご飯を食べるためだけにお金を稼ぎに行く。
それも自分の生涯所得すら決められたレールの上をただ食べるためと呼吸をするためにただひたすら生きている。

そう考えると人間って他の動物や虫と同じ存在だということに気が付くと思う。
いや、虫や動物のほうがよほどキチンと生きている。
それに気が付いてほしいと私は願う。

人間は必ず死ぬ。
そして人生は1回しかない。
そしていつ死ぬか分からない。

自分が生まれてきた意味すら考えることもしない、自分のために人を蹴落としていかないと生きていけない、人と優劣をつけて優越感を得て一瞬の幸せを感じる。

それってなんか悲しいな。

自分はそんな世の中を変えたいと思っている。
いつ死んでも良いという覚悟はある。
まぁ死んだら悲しんでくれる人もいるし、自分から死ぬつもりはないし、殺されたくもないが、ただ常に覚悟は持っているし死ぬことは怖くない。
そして心はいつも乾いていて、自分が汚い存在だと思っている。

なぜこういう思いをもっているかはまた次回以降に書くが、自分はどうなっても良いから、世界は幸せであってほしいと心から思う。
そしてお金という概念から多くの人を解き放ちたいと思っている。

別に修行僧でもないが、生きていること自体が修行であり、沢山起こる困難も全て修行だと思っている。

世界はマトリックスのような世界であり、人間というゲームを楽しむために生きているのではないかとも感じている。

もう変態だとしか思われないであろうが、自分は宗教も何も信じないが、ただ自分に起こった不思議なことだけは人が理解してくれなくても自分は体験をしているので分かるので、そういうのをまた今度書きたいと思う。

今回は大学時代の話しではあるが、大学時代に未来を見る方法を得たというものが今に繋がるスタートなのでとりあえず書いてみた。

というか、仕事も忙しいので頻繁に更新が出来ないが、また2時まで書いてしまったのでそろそろ終わりにする。

とりあえずこういう言葉も脳みそを使って書いたら駄目だと思っている。
脳みそは上手に使う必要があるが、真実は無意識の中にあると思っているので、また余裕があるときに無意識を使って書こうと思う。

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