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恋と学問 第16夜、光源氏の晩年。

前々回は、光源氏の誕生から始めて、青年期の恋愛遍歴、そして25才で須磨に退去するまでを扱いました。

前回は、須磨明石での田舎暮らしから始めて、帰京後の全盛期、そして39才で息子の夕霧が結婚するまでを扱いました。

今夜は40才から54才まで、光源氏が世を去るまでの15年間の足跡をたどります。この15年間に起きた出来事を、全部ひっくるめて「晩年」と位置付けるのは、様々な筋が併走しながらも、それらが交差し、からみ合い、合流して、共に終着点へと向かうからです。

複雑に構成された筋を解きほぐすことは容易ではありませんが、出来るだけ簡潔に述べてみましょう。

(以下、谷崎潤一郎訳の源氏物語(中公文庫、1991年改版)から引用する際には、たとえば第1巻の100頁の引用ならば、「1-100」という風に表記します)


11.夢の裂け目(女三宮)


光源氏40才のある日のこと、義兄で前天皇の朱雀から思いがけない相談を持ちかけられます。彼の娘で三女の、女三宮をもらってくれないかというのです。朱雀は出家する予定でした。その前に、可愛い我が子の身を固めてあげたい親心からする頼みごとでした。

女三宮は当時15才です。年齢が離れすぎていますから、共に20才前後だった光源氏の息子夕霧や、頭中将の息子柏木なども候補に挙がりましたが、地位やら財力やら人望やらを考えて、光源氏を指名するに至ったのでした。

いったんは断ったものの、何と言っても前天皇の依頼ですから逆らいがたく、しぶしぶ引き受けることにしました。光源氏からすると、紫の上と静かな余生を楽しむ予定が崩れるので、はじめから気が進まない縁談ではありました。それでも引き受けたのは、女三宮が母方の家系を通じて「紫のゆかり」に連なるからです。

しかし、いざ会ってみると、期待が見事に裏切られます。精神的に幼すぎる。歌や琴のたしなみも、日常のふとした気遣いも、何もかも「あの人」とくらべて劣っている。光源氏は女三宮の不足を通じて紫の上の完璧さを思い知るという、皮肉な形で愛を再確認します。

光源氏の身勝手な愛情確認など、紫の上の知ったことではありません。紫の上は本件によって、「自分は全く殿お一人のお情によって、人には負けずにはいるようなものの」(3-409)、ひとたび高貴な家柄の女性が現れれば何者でもなくなることに気付きます。自己の不安定な位置を思い知り、痛く衝撃を受けるのです。

最愛の紫の上。自己主張をしないことで信頼を得た花散里。紫の上が果たせなかった光源氏の子を生むことで地位を保った明石の上。三者三様の愛され方で均衡を保っていた、光源氏が長年かけて築き上げた六条院の秩序が、女三宮たった一人の「侵入」によって破壊されてゆきます。

この状況を女三宮の視点から見ると、全く違った景色になります。親に言われるがまま結婚したところ、男は滅多に通ってくれない。すでに最愛の人がいるらしい。独り寝を重ねるうちに寂しさが募ってゆく。

かつて婿の候補にあがっていた柏木は、この状況を苦しい気持ちで眺めていました。冷遇されている女三宮への同情が恋心に変わるまでには、そう時間はかかりません。

こうした状況設定にさらに、作者は一滴の雫を加えます。それが拡げてゆく波紋に、登場人物たちは否応もなく翻弄されるのでした。・・・

41才の春のこと。六条院の庭で花見の宴が催されて集まったのは、夕霧や柏木など次世代を担う貴族たちです。光源氏の思いつきで蹴鞠(サッカー)が始まり、柏木の才を皆が褒め称えます。優雅な時間です。そこに一匹の猫が現れます。罪のないイタズラで、猫は御簾(カーテン)を引き上げてしまい、端近に居た女性たちが庭から丸見えになりました。夕霧が咳払いをして注意するまで、彼女たちは気付きませんでした。この機会を柏木は見逃しません。その中でひと際美しい女が女三宮にちがいないと確信し、その姿形を目に焼き付けたのでした。

帰り道は親友の夕霧と同じ車に乗りました。柏木は夕霧に苦しい胸の内をほのめかします。女三宮が光源氏に冷遇されていること。若さの溢れる年頃なのにあれでは不憫であること。夕霧はまともに取り合いません。ああして姿を見せてしまうなんて不用意にもほどがある、なるほど、父(光源氏)に軽んじられるのも納得だと、むしろ軽蔑の念さえ沸いてくるのでした。

柏木はそんな風に受け取りません。たたずまいのおっとりした所が可愛らしく思い出され、「恐れ多いけれども、自分ならそんな物思いはおさせ申すまい」(3-372)と、心に呟きます。使い古された言い方ですが、恋する男からすれば、欠点も美点に映る「あばたのえくぼ」なのでした。

それから何事もなく6年が経ちました。ふとした折に、紫の上が光源氏に出家を申し出たので、光源氏は慌てて打ち消します。しかし、紫の上の決心は昨日今日の思いつきではありません。光源氏への信頼と不信を行ったり来たりした年月に、ゆっくりと育っていった諦めの心から出た訴えでした。

まもなく紫の上が病に伏します。六条院から別邸の二条院に移して、あらゆる手立てを尽くして彼女を救おうとしましたが、はかなくも絶命。あまりの呆気なさに、光源氏は現実を認められません。さっそく葬儀の準備にかかる周囲を制して叫びます。何をしている。祈祷をもっと激しくせよ。まだ分からないじゃないか。すると、やはりと言うべきか、またもや六条御息所の亡霊が現れて、光源氏への恨み言を吐き散らかすのでした。これには開いた口が塞がりません。

亡霊が去って、紫の上は何とか息を吹きかえしましたが、まだ危ういところがあるので、光源氏は付きっきりで看病します。こうした状況下で、さらなる事件が起きます。光源氏と紫の上、六条院の主人二人が二条院に移り、自然と六条院の警備は手薄になっていました。その隙を捉えて、柏木は女三宮の寝所に忍び込み、これを我が物にしてしまったのです。

じきに妊娠の兆候が現れます。光源氏の子と信じて疑わない周囲の人々は、47才の高齢で父になることを祝福しますが、光源氏はどうも疑念がまとわりついて離れない。女三宮はもちろん身に覚えがあるので、良心の呵責に悩まされて寝込んでしまう。そんなある日、光源氏が見舞いに訪れた折りに、布団の下に隠したつもりの恋文がちらっと出ていたのを見られてしまいます。女三宮に仕える女房たちですら、主人の不用意に呆れ、何と幼稚な人かと嘆くのでした。

やがて密事発覚のことは柏木にも伝わります。天下第一の貴公子から恨みを買ってしまった。終わった。身の破滅だ。絶望し、心身を病に蝕まれてゆきます。ひきこもり、公事もことごとく欠席します。しかし折悪しく、朱雀の50才を祝う催しが予定され、その試楽(リハーサル)の日時が決まり、当の光源氏から直々に「招待状」を受けとります。地獄への道なのは明らかですが、断るわけにもゆきません。

病的に痩せた柏木は会場におもむき、光源氏と対面します。平静を装おう光源氏からそれとなく皮肉を言われ、汗が滝のように流れ、気分が沈みに沈み、やっとの思いで帰宅したかと思えば、そのまま重篤となり、帰らぬ人となりました。これを受けて女三宮は、もはや光源氏と一つ屋根の下で暮らすことは出来ないと思いつめて出家します。

女三宮という「紫のゆかり」を受け継ぐかに見えた女に、光源氏が人生最後の夢を見ようとした結果は、最愛の人に取り返しのつかない不信を与え、一人の将来有望な貴公子を死に追いやり、当の女が去って尼になっただけでした。しかし、それよりも重大なことがあります。亡き母への恋慕をきっかけにして、藤壺・紫の上と続いた「紫のゆかり」の夢が砕けて、彼が思い描いた人生の物語など、根も葉もない幻想に過ぎなかったことを、人生の散り際に思い知らされたのです。

私たちが光源氏の生涯に学ぶものがあるとするなら、次のことかもしれません。人は夢を見ずに生きられないのが事実なら、夢の実在を信じたまま終えられるほど、この世界が生きやすくできていないのは、さらに重たい真実なのだと。

紫式部の残酷な筆は、勢いに任せて、光源氏の息子夕霧にも向けられます。女三宮を軽蔑し、柏木に冷静になるように助言していた一流の観察者は、柏木が死んだ途端に、彼の未亡人である落葉の宮に寄せる同情から、恋心を宿してしまうのです。読んでいて「夕霧よ、お前もか」と嘆きたくもなる場面です。作者の「本意」が響きわたる心地がします。なるほど、人の身の上についてなら、いくらでも偉そうな口は利ける。だが、そういうお前は?我が身の恋についてはどうだ、と。

すべての人間が、恋の濁流に呑み込まれ、深淵に堕ちてゆく。誰も逃れられない。作者は、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に匹敵する暗黒世界を、誰の力に頼るでもなく、ひとり巨大な想像力で創り上げて、平安の惰眠をむさぼる読者たちに突きつけたのです。人生の真相を。だからこそ生きがいのある、運命の残酷を。


12.手紙を燃やして(紫の上の死)


あいかわらず「奇妙な人物」である光源氏は、柏木の死をいくら惜しんでも惜しみきれません。あれほど風趣に富んだ良き話し相手はいなかったと、逝去以来ひどく残念がっています。

いや、柏木にかぎりません。この年にもなると光源氏はすでに、多くの人々に先立たれていました。桐壺更衣(母)、夕顔、天皇(父)、右大臣(政敵)、六条御息所、藤壺、左大臣(義父)は世を去り、朱雀(義兄)、朧月夜、女三宮は世を捨てて出家しました。

もはや、紫の上ただ一人だけが、光源氏をこの世に繋ぎ止めておく錨(いかり)の役を果たしていました。プラトンが「ソクラテスの弁明」で記した通り、この世よりも、あの世での交遊が深い人にとって、世を捨てることはたやすいのです。これは古今東西を問いません。

となれば、光源氏に「哀れな夢」を見させるために物語を創造しつづける作者の、次なる仕事は「紫の上の死」のほかにありえません。

光源氏51才の春のこと。六条御息所の亡霊に取り憑かれてから体調が戻らず、何とはなしに苦しげであった紫の上は、自分もいよいよ長くはないことを悟り、心を込めて仏事を執り行います。

この場面が描かれる「御法」の巻は、源氏物語全編中でもっとも感動的な巻です。個人的なことを言えば、私が源氏物語を読んで涙を流すのは、この巻だけです。紫の上が死ぬ直前の描写は、泣きたくなるほどに美しい。

だるそうに横になり、仏事の進行を眺めながら、紫の上はすべての人の顔、姿、才芸、琴笛の音色に意識を集中します。「いよいよこれが聴きおさめ、見おさめであろうとお思いになりますと、今まではさほど気をとめてもいらっしゃらなかった人たちの顔にまで、自然しみじみと御注意が向けられます」(4-201)

紫の上は何を見たのでしょうか?いや、こう問い直したほうが良い。死を間近に控えた者の眼には、何が映るのだろうか、と。

ミヒャエル・ハネケ監督の映画「愛、アムール」(2012年)は、紫の上の眼に映ったものと近い世界を表現しています。重度の痴呆症に侵されて、同年代の夫による老老介護によって、かろうじて生活できている有りさまの老女。彼女がある日、写真アルバムを出してきて欲しいと夫に頼み、1枚、また1枚と、ゆっくり頁をめくりながら、あたかも今はじめて知ったかのような口ぶりで「世界は美しい」とつぶやく。・・・

紫の上は仏事の進行を具体的に「観察」したのではなく、そこに関わる人々や、寄り添う季節の色合いや、心尽くしの音楽を、そのままで美しいものとして「承認」したのです。ここには、なかば生を離れた「半死者」の眼にしか見られない景色があります。

世を去るのを名ごり惜しく思うとは、この世界の美しさを再発見したということにほかならず、それは生に執着しているのでもなく、そうかといって死の恐怖に打ち克ったのでもなく、心ならずも遠ざかりつつある世界を、愛おしいものとして祝福することです。いと(とても)おしい(捨て去りがたい)ことを素直に認めて、それを以て別れの挨拶に代えることです。紫の上の最期は、成熟した人間の最期はどんな姿をしているのか、私たち読者に雄弁に語っています。

・・・さて、取り残された光源氏はどうなったのでしょうか?すぐに出家してしまうかと思いきや、「傷心のあまり気が狂うた」(4-228)と噂されるのを恐れて、ぐっとこらえます。淡々と身辺整理を進めるうちに年も改まり、52才になりました。

ある時、ひとかたまりの手紙の束を見つけて読むとそれは、須磨に隠居した20代の後半、紫の上との間で交わされた恋文の数々なのでした。あまり膨大な量なので、親しい女房を数人ほど集めて、目の前で破り捨てさせます。女房たちは手紙の中身をうすうす感づいていて、とうとう来るべき時が来たのだと、激しく心を動かされます。

かきつめて
見るもかひなし
もしほ草
おなじ雲井の
けぶりとをなれ
【谷崎訳】こういう文殻をたくさん掻き集めて見たところで今は何のかいもないから、かの人の遺骸が煙となって立ちのぼった同じ空の煙となるがよい(4-252)

燃えさかる手紙を見つめながら、か細い声で光源氏が詠んだこの歌は、私の頭のなかで、レディオヘッドのアルバム「キッドA」の終幕と響き合います。

Stop sending letters
Letters always get burned
It's not like the movies
They fed us on little white lies
【私訳】
手紙を送るのはもうやめてくれ
手紙は焼かれるのがオチ(運命)だから
現実は映画と別物だよ
罪のない嘘でぼくらを飼いならす映画とね
(Radiohead 「Motion Picture Soundtrack」 2000年)

この1年後、53才の年に光源氏は出家し、54才で世を去ったと推定されていますが、その間のことは物語に描かれていません。


13.書けなかった死(紫式部)


雲隠という、現在は名前だけが伝わる巻に、失われた本文があるとの伝説は、源氏研究家の間で古くから言われてきたことです。たしかに、主人公の死を描かないという選択は、作者にとって勇気の要ることでしょうし、ましてや源氏物語は光源氏の生涯で完結するのではなく、主人公を薫の君(柏木と女三宮の間に生まれた子)にして継続することを思えば、物語の連続性を担保する意味でも、光源氏の最期を描いたはずではないか?やはり失われた巻が存在するのではないか?このような疑念が沸くのも分からないではありません。

しかし、雲隠の巻に本文はなかったと考えるのが妥当だと私は考えます。本居宣長は雲隠の巻について、「雲隠の巻は、名のみ有りて詞なし。是れ作者の微意ある事也」(岩波文庫版「紫文要領」10頁)と、言葉少なに述べるのみですが、この「微意」(微妙な意図)の中身が問題です。

そこで、本文は書かれなかったことを前提にして、「なぜ書かなかったのか」を考えてみます。これにもいくつか説がありまして、なかでも有力な説は二つあります。

・ 神の死を省略する神話の慣習に倣った
・ あえて描かず余韻を持たす技巧だった

どちらも私には納得が行かない説です。これまでの作者の書きぶりを考えれば、人と世の運命のすべてを描くために刃のごとく研ぎ澄まされた筆を、たかだか慣習や技巧のために犠牲にするとは思えないからです。

作者は光源氏の死を描かなかったのではない。描けなかったのだ。これが一番しっくりくる説です。何度も書こうとはした。しかし、こんなに物の哀れを味わい尽くした男に、どんなふさわしい死に方があるのか?作者は考えあぐねる。こんな奇妙な男に尋常な死などありえない。ああ、どうしたものか?自分で造り出した幻想(光源氏)に悩まされるなど可笑しいようですが、すぐれた登場人物が作者の制御を離れてしまうことは、創作する上でよく起こることです。

紫式部は困り果てて、この文字通り始末に終えない人物のことは放っておいて、心機一転、薫の君の物語を書き始めたのだろうと思います。そして、読者から「なぜ書かなかったのです?」と尋ねられたら、彼女なら平然と言ってのけたはずです。

あえて書かずに余韻を持たせる、奥ゆかしい文章技巧なのです、と。




【以下、蛇足】




光源氏の生涯を、全3回にわたってたどる試みの、今夜は最終回です。

紫文要領の第2部「善悪と物の哀れ」は、ある意味では「光源氏論」なので、その中身に立ち入る前に、光源氏のことをおさらいしておこう、というのが元の目的でした。

まずまずの成績で目的は果たされたと思いますので、次回から紫文要領の本文に戻ります。お楽しみに。

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