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恋と学問 第14夜、光源氏の前半生。

物の哀れを知る人を善き人とする。本居宣長は熟読の果てに、紫式部が源氏物語の中に忍ばせた「本意」(本当に伝えたかったこと)を発見します。そして、紫式部が理想とした人間像は、光源氏という奇妙な人物の内に、凝縮されて表現されたと考えました。宣長の思考を受けて私たちは、これから彼の生涯を概観してみるのですが、そうすることで、物の哀れを知ることを人間的価値の最上位に置くということが、どれほど大胆で斬新な思想だったのかを明らかにしたいと思います。

今夜は前半生をたどります。さっそく始めましょう。


1.誕生(桐壺更衣)


平安京の文化が華やかなりし頃、時の天皇と桐壺更衣との間に、玉のように美しい赤ん坊が生まれて、世間の評判となりました。

これを面白く思わない人がいます。正妻の地位にあった右大臣の長女です。あの女は身分が高くもないくせに天皇に溺愛され、しかも美しい男の子まで生んでしまった。天皇は彼を皇太子とし、母親を皇后とするやもしれず、自分や息子の地位を脅かすかもしれない。

この右大臣の長女を始めとする、桐壺更衣のことを妬み嫌う人々は、彼女を激しくいじめました。心労が積み重なった結果、みるみる痩せ衰えて、ついに死んでしまいます。

光源氏はこの時まだ3才です。


2.幼き恋(藤壺女御)


母がいないことは幼な心に、他では埋められない寂しさを植えつけました。

しばらく母の実家で過ごし、6才になって改めて宮中に上がりました。7才で学問や芸事などを始めると、ことごとく才能を発揮し、朝鮮から来た人相見からは「帝王となるべき人相である」とまで言われます。

永遠の恋人、藤壺女御が14才の若さで入内するのは、光源氏が9才の時です。

亡くなった桐壺更衣に瓜ふたつの女がいると聞いた天皇が呼び寄せた女性で、桐壺更衣と違い家柄も立派だったので、右大臣の娘も今度ばかりは疎んじるわけにもいかず、藤壺の美貌は宮廷社会の話題を独占しました。

母を亡くしたのは3才の時ですから、光源氏に母の記憶はほとんどありません。しかし、周囲から「似ている」「そっくりだ」とくりかえし聞かされる内に、藤壺のことを意識するようになります。

光源氏の「あだ名」が付いたのは、この藤壺が入内してからです。人々は光源氏を「光るの君」、藤壺女御を「輝く日の宮」と、並び称したのでした。


3.思春期の悩み(葵の上)


12才で元服(成人)し、左大臣の娘、葵の上と結婚します。左右の大臣のバランスを取るための政略結婚です。葵の上は4才年上で当時16才でした。

先回りして言えば、この夫婦関係は上手く行きませんでした。左大臣に大事に育てられた葵の上は、欠点などおよそ見当たらない女性です。そのことは光源氏も分かっている。でも、何かが足りない。

欠点がないことは、人間の値打ちにとって、それほど重要だろうか?光源氏の思索が始まります。ある意味で、葵の上の「物足りなさ」は、源氏物語の始まりを告げる起爆剤の役割を担っています。光源氏は彼女を起点にして、「人間の魅力とは何か」を探求する「求道者」になってゆくのです。


4.隠れる女たち(空蝉・夕顔・六条御息所)


16才になった光源氏は、立て続けに三人の女と結ばれます。空蝉・夕顔・六条御息所です。三度の恋は光源氏の若い感受性を刺激して、成長の契機となりました。順番に見てゆきましょう。

空蝉は不幸な境遇にある女です。それなりの家柄に生まれながら、親を早く亡くしたために零落し、年の離れた伊予の介という男に囲われて暮らしていました。光源氏とはふとしたことで肉体関係を持ちますが、一度きりでした。それからは無愛想に拒むのではなく、気品のある対応でかわしつづけ、そのことで光源氏を魅了しました。


夕顔は悲しい経歴を持つ女でした。光源氏が偶然見つけて愛し合うようになりますが、どんなに親密になろうとも、素性を明かしませんでした。じつは夕顔は、光源氏の義兄である頭中将の元愛人であり、嫉妬した彼の妻によって仲を引き裂かれてからは、頭中将にも行方が分からなくなっていた女でした。二人の恋は夕顔の急死によって終わりますが、これは六条御息所の生霊のしわざであると説明されています。


六条御息所は前東宮(天皇の早世した弟)の未亡人ということもあり、その高貴な雰囲気に、光源氏はすっかり魅せられてしまいます。しかし、女のほうでは違いました。まず、年が離れすぎている。いわゆる「こんなおばさんで良いのか?」という負い目です。さらに、教養に裏打ちされた高貴な佇まいに光源氏は惹かれていましたが、それは彼女の本当の心を隠すための武装にすぎませんでした。嫉妬深くて意地汚い、本当の自分を圧し殺して逢瀬を重ねるうちに生じた「歪み」が、彼女の意思とは関わりなく生霊となり、光源氏を苦しめることになります。


この三人に共通するのは「隠れる女」であることを通じて光源氏を魅了した点です。空蝉は身体を、夕顔は素性を、六条御息所は本性を隠すことで、光源氏の欲望を点火しました。光源氏はこれらの経験を通じて、「恋とは隠れる者との関係である」ことを学びます。


5.恋は育てられない(紫の上)


藤壺と不義の関係を結んだのは17才の時です。一度きりの関係がとんでもない「副産物」をもたらします。藤壺の妊娠です。光源氏は、皇后を孕ませるという、前代未聞の罪を犯したのでした。

とはいえ、お腹のふくらみが明らかになるまでは、当事者ですら想像だにしていなかったことでした。物語の女主人公、紫の上(7才下、当時10才)に出会うのは、光源氏がどうすれば藤壺と再会できるかと悶々としていた頃のことです。

京都の北山の寂しい尼寺に住む絶世の美少女を発見し、しかも藤壺の血縁であることが分かり、これを思い通りに育ててみたいという欲望が止みがたく、ついに誘拐してしまうという流れは、作品中でも特に有名な展開ですが、それで結局「彼は恋を思いのままに出来たのだろうか」と、当然あるべき問いを差し向ける読者が滅多にないことは、何とも不思議なことです。

光源氏は紫の上に先立たれるまで、30年以上も添い遂げます。むろん、他の女性には例がない特別な扱いです。いかにも女主人公と呼ぶにふさわしい。なぜ紫の上にそれが出来たのか?この浮気な男を、どうやって繋ぎ止めたのか?それは、彼女がいつまでも思いのままにならない女性であり、そのことで光源氏の欲望を駆り立て続けたからです。

紫の上について、「理想の恋人に育て上げようとした」という最初の場面ばかりが有名になっていますが、これが誤解の元です。作者は光源氏に理想の恋人を与えて幸福にしてやったのではない。恋は思いのままにならぬことを思い知らせた。しかし、思いのままにならなかったからこそ、結果として、より深く彼女を愛することになった。光源氏の心内における恋愛観の深まりこそ、作者が書きたかったことなのです。


6.ありのすさび(葵の上の死)


妻である葵の上が男の子を出産し、一同が喜びに包まれたのも束の間、その直後に生霊によって殺されてしまったのは、光源氏21才の時でした。

息も絶え絶えとなる葵の上の顔が変形して、見紛うことなき六条御息所その人の顔になって、光源氏に怨み言を吐き散らすくだりは迫真の名場面として名高く、今はどうか知りませんが、私の頃はここが中学校古典の教科書に載っていました。

しかし一方で、これに劣らない名場面が、そのあとに続くのは余り知られていません。それは、左大臣家の庭の欄干で、光源氏と義兄の頭中将が語り合う場面です。妻を失った光源氏。妹を失った頭中将。頭中将は、妹が光源氏と上手くいってなかったことを知っています。

頭中将は、表向きは慰めの言葉をかけながらも、光源氏の心の底を確かめようとします。が、彼の言葉からも表情からも、深い悲しみ以外の何物も認められないことを意外に思います。

あるときは/ありのすさびに/語らはで/なくてぞ人は/恋しかりけれ
現代語訳:側に居た時は/側に居ることに安心して/きちんと語り合わなかったね/人は居なくなってからいよいよ/恋しくなるものだと知ったよ

この藤原俊成の歌が、光源氏の心をよく映しています。頭中将は、光源氏が妹と上手くいってなかった「のに」悲しむのを不思議がります。合理的思考の馬鹿らしさです。上手くいってなかった「から」余計に悲しいに決まっている。死は単に人を奪うだけではない。その人と有り得た未来の関係ごと奪い去る。光源氏は夕顔の時に恋人の死を経験済みでしたが、今回のことで、恋と死の絡まり合いについて、さらに思索を深めることになります。


7.政治と恋(朧月夜)


敵対する右大臣家の六女である朧月夜と密通したことが露見し、これを好機と見た右大臣家の攻撃に耐えかねて、須磨の田舎に身を引いたのは、光源氏25才の時です。

関係は19才から始まり、24才の時に発覚しました。朧月夜はもともと朱雀天皇にあてがうつもりだったので、その前に手をつけられたことが、右大臣側の怒りを買ったのです。(光源氏の父である天皇はすでに亡く、右大臣の長女の子である朱雀が即位していました。光源氏の義理の兄です)

朧月夜密通事件を、右大臣家は光源氏追放の口実に利用したにすぎません。右大臣側の本当の目的は、光源氏に反逆の意志があることを朱雀天皇へ密告し、彼が後見人をつとめる冷泉親王を廃位することにありました。(冷泉とは表向きは天皇の子、実際は光源氏と藤壺との間に生まれた不義の子です。なお、右大臣家が冷泉の代わりに担ぎあげようとしたのが宇治八の宮で、彼は物語の終盤において重要人物になります)

源氏物語は恋愛ばかりを描いた小説と思われがちですが、そんなことはなく、今見たように政治も描きますし、経済も、文化も、社会も、何もかも、この世界を構成するすべての要素が物語に投入されています。なるほど、どの要素も恋愛ほど丁寧に描かれていないのはたしかです。なぜでしょうか?源氏物語は世界のすべてを描きますが、それらを「物の味の強弱」に応じて序列化しているからです。

政治とは打算の世界です。集団間の力学です。何も政治家だけが政治をするのではない。どんな馬鹿だって政治的にふるまいながら、この世が自分にとって生きやすいものになるように、もろもろの関係を調整しながら日々生きている。それを面白いと感じる人もいます。力ある者に取り入るなどして、可能なかぎり己の地位を上昇させることに、喜びを見出だす生き方があったって良いではないか、と。

源氏物語は、作者の紫式部は、そのような生き方に高い評価を与えません。むしろ、反政治的な行動で破滅寸前に追い込まれた光源氏を、理想の人間の典型として描きます。光源氏にとって、敵対勢力の女と愛し合うことに、どんな「得」があったでしょうか?愚行中の愚行としか言いようがない。自己利益の最大化という観点からすれば。

となれば、紫式部は、自己利益の最大化の達成度で人間の価値を測ること自体、まったく認めていないことになります。これは実は恐るべき思想です。光源氏の人間的価値は、自己利益の最大化よりも恋を優先することができた点にこそある、と言うのです。政治的にふるまえる人より、恋することを優先できる人のほうが、人として上等である。・・・どうしてそんなことが言えるのでしょうか?

政治とは集団間の諸力の調整です。政治において個人は、どこかの集団に所属して構成員に期待されるつとめを果たすことでしか、価値を持ち得ません。個人の個としての価値は、集団に埋没すれば見えなくなります。しかし、むろんのこと、目を凝らして良く見れば、それは厳然と存在します。川砂に混じる砂金のように、それを掬い出すことは可能です。

光源氏は朧月夜を見て美しいと思った。それを告げることが、彼にとってどんな災厄をもたらすことになろうとも、告げなくてはならないことだと思った。これはいわゆる「自己犠牲の道徳」とは関係ありません。光源氏が作者の紫式部によって賞賛される理由は、彼が地位と名誉を犠牲にして彼女を愛したからではないのです。

彼女が集団(右大臣家)の末端に位置する構成員である以前に、魅力的な個人であることに気づいたからです。それを告げられない政治的状況など無視して一向に構わない。そのように決断して、まっすぐ彼女の心に向かったからです。

賢明であることよりも、豊かに生きることを優先させることができたからです。




【以下、蛇足】




今回は、本居宣長の光源氏論を理解するための前提として、改めて彼の生涯をおさらいする企ての、第1回でした。

物の哀れとは何か?物は運命のこと、哀れは共感する力のことだと、くりかえし述べてまいりました。ならば、朧月夜という右大臣家の娘を、左大臣側に属する光源氏は諦めるべきだったのではないのか?両家の政治的状況も一つの運命だったのではないのか?これは、当然あるべき疑問です。

しかし、禁制を踏み越えてまで恋を成就させようとする衝動もまた、人間という不思議な生き物の運命です。政治と恋、どちらのほうが人間にとって根本的な運命か?朧月夜との交渉で問われていたのはそういう問題です。光源氏は後者を選びました。いや、正確に言うならば、後者を選ぶような人間として、紫式部によって造型されたのでした。

1回の分量を考慮して、光源氏54年の半分にも満たないところで、今回は筆を置きます。次回で後半生を語り切れるかどうか。まだ分かりませんが、簡潔に述べるのか主旨ですので、何とかまとめてみようと思います。引き続きお付き合いください。

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